「思うだけで、思うほどに涙が出た恋」について思い出した
若い頃に「思うだけで涙が出る恋」っていうのを経験して、別に障害があった訳でもないのに苦しくてひたすらに泣いて、結局は苦しすぎて逃げるような形で終えてしまった。
しかも女々しく時間を置いてから「逃げたわけではない」なんて手紙まで書いた。お相手には酷いことをしたと思う。
両思いで毎日が「嬉しい楽しい大好き!」()なはずなのに、毎日お風呂で泣き、布団の中で泣き、夢を見て泣いた。あれほどに思い詰めることが「恋」であったというだけで、今でも「逃げて良かった」と思ってしまう。
距離があったり相手が遅い時間まで仕事をしていたり、会うことがままならない辛さは確かに大きかったけれど、何より自分で自分を抑制できぬ強い思いがイヤだった。
電車で1時間かけてお相手の利用駅のホームで待ち続けるということを何度もした。ほんの30分とか1時間、喫茶店でコーヒーを飲むだけのために。
何時に降りてくるのか、もしかしたら出張で降りてこないかもしれない、知らずにすれ違ってしまうかもしれない、会えるあてが全くない待ち伏せをしながら泣いていた。胸にその方から勧められた太宰の本を抱えてたりして…うわああああああああっっっ……
一笑に、というか爆笑に付してほしい。(今は携帯があるもんなぁ…)
社会に出たばかり、更に実家から独り立ちしたばかりで、色々なことに余裕がなく不安定なまましなければならないことが沢山あった。仕事を覚えるだけでなく、心の成長も含めて社会人として大人としての経験や関わりを成形していくことなど、精神的な負担が大きかったと思う。
それなのに恋がのしかかってきた。アンコントロールで知らない世界を飛ぶ巨大なジェット機を操縦するような感じだった。重くて怖くて辛くて、泣かずにいられなかった。
その時は「こんな辛い恋はない」と思ったけど、考えたら不器用とか経験値が低すぎたとかそんなもんで、もっと辛い恋なんていくらでもあったわけなんだけど。(あったよ!あったんだよ!)
単純に「私にはあの人じゃなかった」ということだったりするし、だからって家人が「この人」かと問われたら首は横に90度傾くけど人生そんなもんでしょ。
そんなこんな、『「ナラタージュ」は観ないからね!』という念押しをしている。