ピアノの楽譜を捨てる
4歳の頃、兄と一緒にピアノ教室へ通い始めた。4歳の記憶はそんなにないけどたぶん母が「4歳からやらした」と後になって言ってたのだと思う。
最初は嫌も応もなかったけれど、いつの頃からかつまらなくなっていた。嫌になってた。でも母は私の意思に関係なく通わせた。たぶん泣いて行きたがらない日もあったと思うけど、それもあまり覚えていない。
雨が止んだ帰り道、小さな手からするりと落ちた新しい傘の持ち手が、濡れたアスファルトで高い音を立てて割れてしまったこと。
この出来事がなぜか昭和のカラーテレビの生々しさで思い出になっている。
泣いて帰った。母は何と言って私を慰めたのだろうか。
やめたいと訴えるまでに10年かかった。中学生の私は母からの「別の先生を探すのならいい」という交換条件で教室を辞めさせてもらった。
でもそれを言い出すずっと前に、バスに乗って行くレッスンに通わされた時期がある。10歳くらいかな。
母はパートに出かけていて、学校から帰るとバス代とおやつ代がテーブルに置いてあった。
時間が近づくと胸が詰まり涙がボロボロと出た。この感情を母に知って欲しいのにどう伝えていいか分からなかった。座布団に涙を染み込ませたら気付いてくれるのではと、ひとしきり突っ伏して声を上げて泣く。でもすぐ渇いちゃうんだよな。諦めて楽譜の入ったカバンとお小遣いを持って、靴を履きドアを閉め、家の鍵を掛けた。
慣れないバス。その窓から流れる知らない街並み。家々の間の細い私道、勝手口のようなドアのチャイム。大きな部屋の中の大きなグランドピアノ。
帰り道で買う菓子パン。
記憶は目に映った景色の断片。
肩につかない黒髪の綺麗なおばさんの先生。教わったことも、声も、言葉も、何も思い出せない。優しかったのか怖かったのかも分からない。ただ子供心に、「諦められてる」という気がしていた。努力しなければならないけれど、しても仕方がないという気がしていた。先生が言ったのか、感じたのか、よく分からない。
母からレッスンの報告も聞かれたことがないと思う。
あれ、
なんだかこんな話を以前にも書いた気がする。
とりあえず現在の我が家には、母から「あんたのとこで要らんかったらもう捨てるよ」と言われて渋々引き取ったピアノがあるけれど、ピアノを鳴らしていいマンションではなくて、家人の物置きになって埃まみれだ。
去年?一昨年まで?ヴォーカルトレーニングに通っていた。スタジオには気持ちばかりの電子ピアノがあって、突然弾きたくなった。練習としてスタジオに入り、色々試したけれど何も音楽にならなかった。びっくりするほど何も弾けない。
慌ててネットからコード表なんかをプリントしてみたが、全然要領を得なかった。頭の中で鳴らしたい旋律があるのに指がなんの反応も示してくれなかった。
今年、こんなことが起こるのかというコロナ禍に見舞われた。やがて外出自粛などの政府からのお達しが出て少し落ち着いてきたものの、感染者数は増えていくばかり。
足を止めれば経済が死ぬので、お店は以前のように営業し始めている。なんだか何もかもがピンとこない事態だ。
私自身は勤務時間は短くなったものの毎日電車で通勤し続けている。知り合いに感染者もいない。感染者や死亡者の数がどんなに騒がれていても、どうにも実感が湧いてこないのだが。
勿論、色んなことに神経がすり減る。しょっちゅう楽しんでいた1人カラオケもしたいけれど、なんとなく狭い密室に入る気持ちになれない。誰か触れたか分からないマイクも持ちたくない。
それに何故か、何ヶ月も原因不明の喉の痛みが続いて声が掠れている。アレルギー耳鼻科に通っているけど、なかなか完治しないままだ。ちなみにいつも2時間待ちだった病院は、未だに順番待ちすらほとんどない状態。今までの患者さんたちはどうしたんだ、あれはなんだったんだと狐に摘まれている。
そんなこんな、それならとピアノを弾きたくなってきた。
近くにピアノのあるスタジオがないかな、いくらくらいかかるかな…と検索すると、家の近くにも会社の近くにも手ごろなところがヒットした。
今日、会社近くのスタジオに登録をした。
よし昔の楽譜を出してみよう。良い機会なので不要なモノは捨ててしまおう、と今さっきまで3時間も古い楽譜の箱を整理していた。
埃まみれの楽譜をひとつひとつ手に取って広げた。どの先生の書き込みなのか当時やっていた楽曲とか、とにかくほとんど思い出せない。変だなぁ、あんなに嫌だったのに。
高校生になってバンドや弾き語りのために手に入れたものは全部覚えてる。恥ずかしいほど下手くそだったけれど、すごく楽しかった。
「あなたはわたしの、青春そのもの」。ユーミンの楽譜もパラパラとある。バンド譜の片隅には当時先輩たちからもらった変なあだ名が書き込まれてる。
青春そのものだ。
いやそれよりも。
最初のピアノの発表会の楽譜や、もっと前のもの。同じ冊子が2冊あって兄のものがどっちかすぐに分かる。兄がこの曲を習っているのが羨ましかったから。でも私のものにはその曲に何も書き込みがない。
基本の教本とは別に、表現力を付けるような課題は、先生が一人一人に合った楽曲を選んでいた。指の動きを良くするための教本は、音符が波のように並んでいる。覚えている、耳も気持ちも。
そうやって、表面の埃や汚れを拭きながら、開いては閉じてを繰り返し、全く記憶のないものを無造作に紙袋に詰めた。
突然気持ちが溢れてどんどんと説明できないものが胸の中に攻めてきて、私はとうとう息が苦しくなって止まった。
そのままなぜか涙が出そうになった。
誇らしかったはずだけれど、辛くて嫌だったこと、上手く行かなくて悲しかったこと、新しい先生に「やりたくない気持ちが現れてる、なぜ習いにくるのか」と詰め寄られたこと…。
汚れた楽譜を拭き取った真っ黒のティッシュそのものの真っ黒な思いが胸の中にいっぱいになってしまった。
「音楽が楽しめる素養を作ってもらった」、「親には感謝してる」、そういうきれいごとに落とし込んでいた記憶は、こんなに真っ黒だった。ショックと虚しさが胸の塊になる。
それなのに。
それぞれの先生たちがごちゃごちゃと書き込んだ楽譜を全部ひと思いに捨てることが出来ない。まとめて捨てる紙袋にはまだ余裕があるのに、残してももう弾けないのに、気持ちよく捨てられない。
どうしてなんだ、もう要らない。
誰に見せることもない、私だけの楽譜。
要らないのに、捨てたいのに、捨てられない。
キリがないので気持ちを切り替える。床をごしごしと拭いて捨てられない楽譜をまた箱に戻した。これでも引越しのたびに減っているはず。気にするな、私。
もう要らない。そうやって簡単に捨て去れるならもっと早くにそうしていた。別に死出の旅の準備でもないけど、本当に持って行きたくもない。いつかは決着をつけて、スッキリした気持ちで死にたい。
その次の課題はアルバムかな。
あれ?
ピアノのスタジオ、全然行きたくなくなってきた。
(一気にスマホで書いたから誤字とかひどいかもしれないけど、これはとりあえずアップしとく。これからの乗り越えるべき課題かもしれないし、そんなでもないけど。)
2022/11/8推敲(記録)