ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

それがなにかわからなくても、確かに私はそれだ、という夢

空飛んでた

何か恐ろしいものから逃亡していたらその先が崖だった

落ちるところではっと目が覚める。

という悪夢の話ってよくあるけど、私は「落ちる」系はあまり、というか全然記憶にない。

逃亡系は、

刃物を持った恐ろしい生命体に追われて部屋の一番奥のお風呂場に逃げ込んだら、お風呂場の壁が一面なんらかの生肉だった。

というのはあった。あれ、めちゃくちゃ怖かった。今も明確に脳に浮かぶ。

 

 

久しぶりにブログ書こうと思ったのは、今朝の目覚めの夢が衝撃的だったから。

お薬でがっつり眠るようになって夢を見たとしても覚えていない、つまりは夢を見てないともいえる状況になって長い。20年ほどかも。長いな。

なので、たまに夢を見る(覚えている)とちょっとびっくりする。

 

50代半ば、一人暮らしになって1年弱。自分のペースで生活することに快適さと言い知れぬ不安が混在している。

飼い猫への依存度も増し増し。この猫が往生したらどうなってしまうのかという沼にたびたび落ちてしまう。

とはいえ、他者へ気遣いをしなければならないというプレッシャーのない家はとことん快適でゴキゲンそのものでもある。

そういう快適と不安を両端にしたシーソー状態は不安定ともいえるのかもしれないが、誰しも普通のことかもしれない。ちょっと振り幅が大きいのじゃないかなとは思う。この夢はそのせいなのかなとも思う。

 

 

子どものころからいろんな小動物を飼ってきた。

今回夢に出て来たのはウサギ。

でも見たこともない柄と大きさと、顔も身体も作りものみたいな容姿だった。

抱きしめている。目はプラスチックのボタンみたいに見開いている。肌触りもなにもかも本物じゃないって分かってた。

私は悲しんでいた。そのウサギ(のようなもの)は死んでしまっていたから。

何が起きたかは分からないけど、自分の過ちのためだと、私はぽろぽろと涙を零して泣いていた。

そこにまた見たことのない老婆が近づいてきて優しげに微笑んで言うのだ。

 

「あなたは、悪いお地蔵様ね」

 

 

急激に覚醒しながら感情が音を立ててせり上がってきた。涙が溢れだし声を上げて泣いた。

もう目覚めて夢だとも認識していた。でも私は

「悪いお地蔵様」

という言葉に心当たりがあった。いや実は何だかはわかんないけど

「そうだ私はそれだ」

と確信し絶望し号泣した。

激しい動悸と悲しさで息を切らし声をあげて泣いた。

 

何かで読んだ言葉でもない、記憶にない言葉「悪いお地蔵様」。

文字にしても不思議だけど怖くもなんともない。でも頭の中で音読するとビリビリっと何かを刺激する。胸が痛くなる。

 

 

なんだろうね。

記録。

 

映画「リスペクト」

最近はずーっと映画については某レビューアプリに書いてた。

けどちょっと偏ったというか、突っ込み過ぎてレビューから離れるので感想として久々にこちらに(下書きはたんまりなのでこれもそこに行くかも)

 

音楽大好き感動厨なので聴いたことある曲や「あ、こんなのも歌ってたんだ」てノリノリしたり、ちゃんと泣きましたけれども。たくさん傷つけられて少しずつ自分を掴んでいく過程や、宗教音楽自体にも感動しちゃうもんね。

 

ただこう言ってはあれなんだけど。

あれほどの恵まれた環境と才能の中で、何故、大人になる家庭で自我をしっかり形成出来ないのか、すごく不思議だった。いつまで経っても自信なさげで。
そして何故あれほどに「男」に依存するのか。

結局、虐げられてきた黒人や女性であることの前に、親との関係に深く起因してるのではと。恐ろしいほど親の権力に利用され振り回された半生だったと思う。裕福な家庭であるが故に、親の恩恵が親の権力に直結してるというか。黒人云々と違う。
頼るべき親子関係を神とすり替えられ、親にも神に見放されないよう、しかしいつまでも正解が分からず寄ってくる「男」に依存しちゃうの。(幼少期のあれは別。完全に親の立場やコトの重大さに気付く彼女自身の賢さと、親の無頓着からの事件だよ。)

 

私は信仰心はないけれど、宗教芸術にとても魅力を感じる。絵画彫刻建築音楽、どれも厳かで美しく尊く思う。ただそんだけ金が集まるのかな?みたいなゲスさが今回すごく臭った。宗教って人間臭いものと表裏一体なのね。人が集まり金も集まる。集めるというか…

言いにくいけど、黒人に対するとてつもない差別の実情は知識としてあるし、それによって過激な活動が生じてしまうことも理解する。でも結局その中に、子供や女性への抑圧虐待暴力も存在して、知ってて見て見ぬふりをしてるのではないの?と勘ぐってしまう。差別の悲劇に隠そうとしてる。

権力や金持ち、腕力という優位な立場の利用、それはすなわち差別とも見えて、なんか気分悪い。

だって実際に神父の性虐待もすごいのん、あんな究極のもんでもやっと問題化してる程度なのが不思議だし止まないのも差別と同じ。神の下に平等とか、神が守ってるとか御言葉に従うとか、信仰心を盾にして力を振り回す感じがまざまざと感じられる。

宗教は健気な人の希望や救いだけど、裏は裏でめちゃくちゃ闇だし怖いね。

 

そんな風に親や男に傷つけられて来たアリーサ(アレサって言わないのね)も、結局「虫(闇)」に追いつかれて、ここでお決まりのヤク中か!!もれなくヤク中!!!

と思ったらアルコールでした。

神が救ってくれたんですかね。(ひにく)

いや、救ったのは音楽だと思うんだけど、宗教でもあるんですかね(ひにく)。

どんだけ捻くれてるの私w

 

音楽に罪はなく、私のアレサ・フランクリンはこれなので貼っとく。だいちゅきジョージ・マイケルとのコラボでちゅ❤︎

 

youtu.be

映画「リリーのすべて」

最近はずっとFilmarksに記録つけてるんだけど、本当に良かったのでこちらにも。

 

観始めてから「なんか観たな、おかしいな」とおろおろしたんだけど、なかなかamazon primeに上がってこなくてうっかり動画のあらすじ見ちゃってたこと思い出した。

実際はそりゃもう全然深くて、今後は2度とそんなん観ないぞって誓う。

 

コロナも2年目に突入。更には人生の岐路というべき事案が続いて沸いてて、もう長いこと劇場から足が遠のいてた。こんなに映画でボロ泣きしたの久しぶりで、ちょっと色々溜まってたのもあるけど存分に泣かせてもらったわ。

 

 

序盤過ぎから眉は八の字になり目は情けなく垂れて、あっさりと泣き始めた。あーほんとこんなに涙ポタポタ落としたの久しぶり。
はー泣いたー疲れたー

 

ジョン・ウィショウ登場で若干ウキウキしてしまったけど。

 

性って、実際には複雑でいわゆる多様なんだろうな。らしさなんてその人なりで、自分がフィットして満足出来たらそれが正解だ。弁えててどうする()

 

とは言え生物としてはそれぞれに役割の与えられた器官があるわけで。頭の中の自分と違うことにあんなに苦しまなきゃならない。
もうなんか申し訳ないほど辛さだけはシンクロしてしまい、バカなので安易に泣いてるんだけど。

色んなシーン、何年か前にやはり劇場で号泣した「girl」がダブったな。あれはオランダとベルギーの合作?ドイツかな?ある程度理解も治療法も簡単ではなくともある現代社会の設定で、それでも苦しく辛い人生が始まったばかりの10代の話だった。治療にはとても時間がかかり、葛藤と焦燥感から自らの身体と命を危険に晒すほどの苦しみであることがすごくショックだった。
テーマが同じってのはもちろん、主人公の透明感ある顔立ちもダブった。
(GENKINGさんのそういう時期、SNSフォローして追ってたけど、そういえば正にそんなお話だったのに何故かリアリティが伝わらなかった。何故だろうか)


原題「The Danish Girl」
そのまんまのシンプルなものなのにいいタイトルだなぁってじわる。
エディ・レッドメインやベン・ウィショウの美しい英語と、デンマークの自然やフランスの街の景色描写が美しくて…。
生まれて生きて夢を抱いて恋をして…それがまるで責苦だったリリーの人生。やわらかな光と影が溢れる空に高く舞っていくのは、救いだと感じても良かったんだろうか。

これが「今のジェンダー問題を鼓舞している」実話とは知らなかった。
誰にってこともないけど、いろんなこと知らなくてごめんって思った。この気持ちは「girl」では感じなかった。
「分かったつもり」と言うことは本当はいっぱいあるんだろう。

 

 

素敵な夫だったはずの男性があっという間に美しく可憐な女性へと変貌していくという難しい役どころを演じたエディは賞賛を浴びたし、ここにはその妻役のアリシアに焦点を当てた製作裏側の動画を貼っときますね。(予告編ではありません)

もちろんエディと共に助演女優賞としてアカデミー賞獲得してますね。

(個人的にはハンス役のアニメ顔マティアスもとてもとても良かったし、実際ハンスの存在はやはりこの物語に欠かせない大切なものだったと思う)

 

『リリーのすべて』アリシア・ヴィキャンデルの特別映像 - YouTube

ブログと人生(というほど大仰な話でもないけども)

このブログにはほぼ音楽と映画について書いていた。しかし映画1本で如きであまりにいろんなことを思うのでなかなかブログがまとまらず、下書きのまま保存して発酵が進んでしまうものがどんどん積まれて行っている。記憶が記憶を呼び、感情が感情を掻き立てて、自分の文章力では全然まとめられないのだ。

 

映画鑑賞は楽しみとストレス発散なのでそんな熱心に感想を書き上げなくても良さそうかもしれないけど、最近は特に加齢のおかげで脳の記憶野の劣化が加速していて、なんか残しとかないとっていうもしかして無意味かもしれない焦燥感でいっぱいなのだ。

 

まずFilmarksアプリを導入し、若いころに観たものも含めて「観た」だけチェック。一応片っ端から浮かんだものをググって公開時期と記憶を照らし合わせて鑑賞した年くらいまでは入れる。

その頃の自分がなぜそれを観たのか、どんな自分だったのか、作品の内容とリンクできればそうしてレビューとして文字も入れる。

 

これだとブログほど自分の感情を混乱させないので、作業として淡々とこなせる。

配信カルチャーの享受してくれる、人間の記憶や老化を支えてくれるものとしてありがたく利用させてもらおう。

 

こんな感じで、めでたくも老化加速装置を身に付けたことを実感しているわけだ。

そして若さだけでなく確実に物理的に失うものもあって、ここ半年足らずの間に両親を見送った。

それは蔓延する未知の感染症ではなく、老人となった彼らがごく自然に迎えた終焉だった。しかし母については本人はじめ周囲も驚かざるを得ないほどに急なことだったので、さまざま厄介ごとをこなしていたものの、未だに気持ちの整理ができないままでいる。

少しずつ文字にしてみようかと思っている。

自分にも大きな変化を迎えようと準備をしていたところの母の急逝であったが、決意はもちろん、すでに歩みも始めた。

 

書き散らかしつつ自分の気持ちを整理していこうかなと思う。

 

ピアノの楽譜を捨てる

4歳の頃、兄と一緒にピアノ教室へ通い始めた。4歳の記憶はそんなにないけどたぶん母が「4歳からやらした」と後になって言ってたのだと思う。

 

最初は嫌も応もなかったけれど、いつの頃からかつまらなくなっていた。嫌になってた。でも母は私の意思に関係なく通わせた。たぶん泣いて行きたがらない日もあったと思うけど、それもあまり覚えていない。

雨が止んだ帰り道、小さな手からするりと落ちた新しい傘の持ち手が、濡れたアスファルトで高い音を立てて割れてしまったこと。

この出来事がなぜか昭和のカラーテレビの生々しさで思い出になっている。

泣いて帰った。母は何と言って私を慰めたのだろうか。

 

やめたいと訴えるまでに10年かかった。中学生の私は母からの「別の先生を探すのならいい」という交換条件で教室を辞めさせてもらった。

でもそれを言い出すずっと前に、バスに乗って行くレッスンに通わされた時期がある。10歳くらいかな。

母はパートに出かけていて、学校から帰るとバス代とおやつ代がテーブルに置いてあった。

時間が近づくと胸が詰まり涙がボロボロと出た。この感情を母に知って欲しいのにどう伝えていいか分からなかった。座布団に涙を染み込ませたら気付いてくれるのではと、ひとしきり突っ伏して声を上げて泣く。でもすぐ渇いちゃうんだよな。諦めて楽譜の入ったカバンとお小遣いを持って、靴を履きドアを閉め、家の鍵を掛けた。

慣れないバス。その窓から流れる知らない街並み。家々の間の細い私道、勝手口のようなドアのチャイム。大きな部屋の中の大きなグランドピアノ。

帰り道で買う菓子パン。

記憶は目に映った景色の断片。

肩につかない黒髪の綺麗なおばさんの先生。教わったことも、声も、言葉も、何も思い出せない。優しかったのか怖かったのかも分からない。ただ子供心に、「諦められてる」という気がしていた。努力しなければならないけれど、しても仕方がないという気がしていた。先生が言ったのか、感じたのか、よく分からない。

母からレッスンの報告も聞かれたことがないと思う。

 

 

あれ、

なんだかこんな話を以前にも書いた気がする。

 

とりあえず現在の我が家には、母から「あんたのとこで要らんかったらもう捨てるよ」と言われて渋々引き取ったピアノがあるけれど、ピアノを鳴らしていいマンションではなくて、家人の物置きになって埃まみれだ。

 

 

去年?一昨年まで?ヴォーカルトレーニングに通っていた。スタジオには気持ちばかりの電子ピアノがあって、突然弾きたくなった。練習としてスタジオに入り、色々試したけれど何も音楽にならなかった。びっくりするほど何も弾けない。

慌ててネットからコード表なんかをプリントしてみたが、全然要領を得なかった。頭の中で鳴らしたい旋律があるのに指がなんの反応も示してくれなかった。

 

今年、こんなことが起こるのかというコロナ禍に見舞われた。やがて外出自粛などの政府からのお達しが出て少し落ち着いてきたものの、感染者数は増えていくばかり。

足を止めれば経済が死ぬので、お店は以前のように営業し始めている。なんだか何もかもがピンとこない事態だ。

私自身は勤務時間は短くなったものの毎日電車で通勤し続けている。知り合いに感染者もいない。感染者や死亡者の数がどんなに騒がれていても、どうにも実感が湧いてこないのだが。

勿論、色んなことに神経がすり減る。しょっちゅう楽しんでいた1人カラオケもしたいけれど、なんとなく狭い密室に入る気持ちになれない。誰か触れたか分からないマイクも持ちたくない。

それに何故か、何ヶ月も原因不明の喉の痛みが続いて声が掠れている。アレルギー耳鼻科に通っているけど、なかなか完治しないままだ。ちなみにいつも2時間待ちだった病院は、未だに順番待ちすらほとんどない状態。今までの患者さんたちはどうしたんだ、あれはなんだったんだと狐に摘まれている。

 

そんなこんな、それならとピアノを弾きたくなってきた。

近くにピアノのあるスタジオがないかな、いくらくらいかかるかな…と検索すると、家の近くにも会社の近くにも手ごろなところがヒットした。

今日、会社近くのスタジオに登録をした。

よし昔の楽譜を出してみよう。良い機会なので不要なモノは捨ててしまおう、と今さっきまで3時間も古い楽譜の箱を整理していた。

埃まみれの楽譜をひとつひとつ手に取って広げた。どの先生の書き込みなのか当時やっていた楽曲とか、とにかくほとんど思い出せない。変だなぁ、あんなに嫌だったのに。

 

高校生になってバンドや弾き語りのために手に入れたものは全部覚えてる。恥ずかしいほど下手くそだったけれど、すごく楽しかった。

「あなたはわたしの、青春そのもの」。ユーミンの楽譜もパラパラとある。バンド譜の片隅には当時先輩たちからもらった変なあだ名が書き込まれてる。

青春そのものだ。

 

いやそれよりも。

最初のピアノの発表会の楽譜や、もっと前のもの。同じ冊子が2冊あって兄のものがどっちかすぐに分かる。兄がこの曲を習っているのが羨ましかったから。でも私のものにはその曲に何も書き込みがない。

基本の教本とは別に、表現力を付けるような課題は、先生が一人一人に合った楽曲を選んでいた。指の動きを良くするための教本は、音符が波のように並んでいる。覚えている、耳も気持ちも。

 

そうやって、表面の埃や汚れを拭きながら、開いては閉じてを繰り返し、全く記憶のないものを無造作に紙袋に詰めた。

 

突然気持ちが溢れてどんどんと説明できないものが胸の中に攻めてきて、私はとうとう息が苦しくなって止まった。

そのままなぜか涙が出そうになった。

誇らしかったはずだけれど、辛くて嫌だったこと、上手く行かなくて悲しかったこと、新しい先生に「やりたくない気持ちが現れてる、なぜ習いにくるのか」と詰め寄られたこと…。

汚れた楽譜を拭き取った真っ黒のティッシュそのものの真っ黒な思いが胸の中にいっぱいになってしまった。

 

「音楽が楽しめる素養を作ってもらった」、「親には感謝してる」、そういうきれいごとに落とし込んでいた記憶は、こんなに真っ黒だった。ショックと虚しさが胸の塊になる。

それなのに。

それぞれの先生たちがごちゃごちゃと書き込んだ楽譜を全部ひと思いに捨てることが出来ない。まとめて捨てる紙袋にはまだ余裕があるのに、残してももう弾けないのに、気持ちよく捨てられない。

 

どうしてなんだ、もう要らない。

誰に見せることもない、私だけの楽譜。

要らないのに、捨てたいのに、捨てられない。

 

 

キリがないので気持ちを切り替える。床をごしごしと拭いて捨てられない楽譜をまた箱に戻した。これでも引越しのたびに減っているはず。気にするな、私。

もう要らない。そうやって簡単に捨て去れるならもっと早くにそうしていた。別に死出の旅の準備でもないけど、本当に持って行きたくもない。いつかは決着をつけて、スッキリした気持ちで死にたい。

 

その次の課題はアルバムかな。

 

あれ?

ピアノのスタジオ、全然行きたくなくなってきた。

 

 

(一気にスマホで書いたから誤字とかひどいかもしれないけど、これはとりあえずアップしとく。これからの乗り越えるべき課題かもしれないし、そんなでもないけど。)

2022/11/8推敲(記録)