ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

土曜日の始まりに

実家に向かう電車の中で涙が勝手に溢れてくる。

 

中学生になって、ピアノのお稽古に行くのがイヤでイヤでもうそれをどう抑えていいか分からなくて駄々をこねていた。母が「それなら途中までついていってあげる」と言って、強制しているのは当の本人なのに、私も私でなぜか不承不承出かけた。

木枯らしの中をふたり、私が前を母がその後を歩いていた。黙って歩く。渇いた冷たい風に髪が乱れたけれど寒いとは感じなかった。気付かぬうちに目からは涙がポロポロと溢れて落ちていた。声もなく泣きながら風に向かって歩いていた。
羽織った服が向かい風に広がらないように、胸の前で腕を抱きしめる格好で歩いていた母が私の涙に気付いて立ち止まった。
2人ともしばらく黙って立っていた。

丸めた背中のまま、母は「そんなに嫌なのか」と問うて私の答えを待たずに「そんなに嫌なら行くのやめよ」と言って今来た道を引き返し始めた。

自分が何を思ってたか、何か言ったかは覚えていないけれど、その景色をなぜか俯瞰で思い出すことが多い。
私の心はどこにいたんだろうか。
ただ辛いとか嫌とか、それを言葉にすることが出来なかった。その後家までの道すがらのことも、帰ってからのことも覚えていない。
ただ、幼少期から通わされていた教室を止める代わりに、自分の好きな先生を探して来なさいという話になっただけの、あの日。


こうして文章にしていると、私の心は鎮まって行く。

誰かを責めることもなく、灰色の空、風になびくススキや枯れた芝生や、金網のフェンス、ひと気のない団地の中の細い道、ガタガタしたアスファルト、そういう自然の事象だけが思い出される。

 


あと1時間もしない後に、私は新しく建て替えられた団地のひと部屋の中に吸い込まれる。
ただそれだけの1日のことだ。
私の涙に、もう母は気付かない。

 

いや、気付いたのはきっとあの日だけだ。

私は数え切れないほど誰もいない家の中で泣いていた。