ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

日々のお手入れ お洋服編(減ってきたぞ→何買う?→「断捨離」とか言わない)

何年か前から実はいくつかフリマサイト登録して売ってみたんだけど、手数料と送料がバカみたいでうんざりしてすぐ諦めた。それでもでっかい紙袋にごっそり突っ込んで某店舗に二束三文に叩かれて売ってたりして服を減らす努力はちょこちょこしてた。

ほんとだよ!努力してたんだよ!!

 

んでもうアレ系止めようかという時になった頃に偶然にも大手無料通信アプリ「某」がフリマサービスを始めてなんと手数料が無料だと知った。

なんだって?!!即ダウンロード !!!

 

出品してみたらまー売れること!

私も私で、まー着てないもんどんなけ持ってること!!

面白くってどんどん売った。

 

さすが最大無料通信アプリ「某」の集客率だわ。さすがだわ。

ただやたら運営の規制がうるさい。説明文に何を入れるな、この類の出品はダメ、画像にちょっとでも加工したらダメ、芸能人の名前も入れちゃダメ…ダメダメダメダメ、んーーーーーーぬぬぬぬぬぬううううっ

いちいち注意警告が飛んできて「お前らどんなけ監視しとん」という鬱陶しさと気持ち悪さ。そのおかげで”悪い売買”(諸々含み)が見られなかったのも悪くはないんだけど…。 

 

まぁとりあえずね、なんか潤ったよね。売れまくったから。通帳のマイナスが減ったりとか(潤ってはいないね)。

そして何よりね、クローゼットに隙間が出来たよね。なのに着るものがなくなったわけでもなく。ははは←

 

さらに面白いことに残ったものが10年以上着てるもんだったりという発見が。

売上を資金に繰り入れつつ、あらためて5年後10年後(60かぁ)でも不自然でないもの…ベーシックなアイテムを買うこと心する。

もともと保守的なので冒険ではない。別にアレ系だったからって激しく派手だったり難しいデザインに挑戦してたわけでもないので流行は気になるけど、要するにまあシンプルである。

 

 

その間、フランス人がどうとか言う本が売れたらしいけど、私日本人だからと振り向きもしてない。

 

<余談>私「欧米では~」とかすぐ言うの苦手です。私、日本で暮らしてる日本人だし日本の価値観に慣れ親しんで日本人の流れに紛れ込んでるのが好きです。あと単純に「啓発本」買うお金も読む時間ももったいないと思ってる。

 

 

「もうこんなん持ってるな」「あ、持ってるモノで大丈夫」

服を手に取ってそう思える余裕出たよね←急にどうした、自分でもオドロイタわ

 

そんな感じで俄然クローゼット内容変更へと突き進む間に、たまたま見返した高校生の頃のアルバム。

 

へー今と好みが同じ…ぇ?

 …好みが10代かよだいじょーぶか!?

 

いや一瞬焦ったけど私、ギャル系は歩いたことないですから。(米倉涼子の声でお願いします) トラッド好きなんで。(米倉…)

 

ギャル道はともかく、なんらか寄り道しつつもこの歳になるとやっぱりもともと好きなものがはっきりしてくるのかもしれないなぁとか思いを馳せる一瞬だった。

(ちなみに高校は私服だった)

鬱になる人間はたまにそうやって過去を見に行って死にかけるという話があるけど、今回ばかりは救われたんちゃうか?

 

なるべく良い生地、良い糸、良い縫製、手入れしやすく、ちょっとお値段張っても10年頑張ってもらっちゃうんだもんねという言い訳。

別にブルックスブラザーズとかラルフローレンとかファーストブランドに拘ってないし、分相応な界隈でなんとかするんだもんねという言い訳。

 

(自分との対話だから異論反論受け付けない)

 

そうこうしてたら「某」フリマアプリが突如閉鎖。

他のアプリは客の質が色々まずくて、アホみたいな金額に値切ってきたり口の利き方もなってないとか、売上よりHP減る方が大きかったりするので、最近はもう頑張らなくなった。出品物管理も発送の手間もめんどくさくなってきたし。

 

マイナス要素は排除。 

 

大事なのは、どうもこうもならんものは勢い棄てていくという潔さ。

(贅沢こいて申し訳ありません。各方面様。)

送料は自分で負担してでも知人に貰ってもらうという方法もとった(迷惑がられない程度に、という見極めが重要で…不安)。

 

もうひとつは、買う方に夢中にならないということ。

買い物依存とはよく言ったもので、気付くとお店に寄っていて悩んだりしつつも結局なんか買う。高いの安いの良いの悪いの、大きさ色や形…結構脳を働かせて結果購入に至ると「ご褒美」感覚が脳内麻薬の様な高揚感を生む(て思ってる)。

ウチに帰って冷静になると「なんで買っちゃったんだ…」とか後悔するんだけどこれは脳が記憶しないの。なんでかね。気持ちはがっくりしてるのに。

 

整理してるから買ってもいいと思うのはダメ。

でも我慢もダメ(暴発する)。

ペットボトルを見ても我慢するとか無理(これは違う)

 

シーズン毎に欲しいアイテム、不要なアイテムをザッと考える。

セールに必死に食らいつかない。

自然とそうなったけど、結構良い事だ。

 

歳のせいかいい具合に人混みや埃っぽさにもどんどん弱くなっていて、好きなお店にターゲットを絞って行くようになった。

欲しいアイテムがないからって検索しまくらない。脚を使って手に取ってそれでも納得しないならやめる。

 

最終的に「買わなくても死なない」などなど

結果的に今までと全然違うスタイルになってた。

 

買い物は好き。

かわいくなりたい。

 

でも今はもう買わなくても着るものはあるって思える。

吟味してもうっかり似た服をダブって買うことがあるけど、なんかしらちょっとは違うから大丈夫。

毎日同じ色合いでも平気。

気持ちもなんとシンプルになったもんだ。

 

「断捨離」って言葉がやたら流行ってやたら使う人がいるけど、それこそ「それなら真夏も真冬も10着でやれや」みたいな無理難題だと私には思える。

 

欲望をを捨てたら、多分ラクだ。

水の様に自由になるだろう。

そして何かを失うだろう。クローゼットのスペースとか強欲とか…それはそれで悪くもなさそう。

 

人それぞれだから、頑張る方向もそれぞれ違うかもしれない。いいんじゃない?

 

自分の中の鬱陶しい欲求と馴れ合いながら、私は歳を食っていくみたいだな。