家事代行サービスを利用してみた。①
ここ数ヶ月の間にテレビでちょこちょこ目にしていた「家政婦・作り置きの名人」は、家事代行の派遣業だと知った。
家事代行かぁ…「ウチもちゃんとしたごはん作ってもらいたいなぁ」というふわっとした感じ。絶対美味しいもの…
いや、ちょっと待て!!それよりもずーっと気になって気になって眠りにつく時すら気が滅入っていた「部屋が汚い問題」、これお願いしたらすごい気が晴れるんじゃない!?と思いついた。
よしググろう。
テレビで観た「家政婦・しまさん」を検索したらすぐに「タスカジ house keeping」がトップに。ささっとサイト内を見て回る。
やっていただけること、登録してるひとのこと、費用など。一コマ3時間、時給制、交通費は依頼者負担。システムは簡単。交通費の負担が少なくて、依頼したい仕事を得意とする人は…て意外にスケジュールは先まで埋まってる。こんなに先の話だとちょっと心が折れる。
思ったらすぐ実行したい性格なのと引っかかる気持ちもあって、サイトを開いたり閉じたり繰り返してた。
「家事を他人にお願いするの?」
引っかかる気持ち。自分と世間両方になんとなく存在してる「そんなことにお金を使うの?」という感覚。もうひとつは「全くの他人に恥部を見せる」という抵抗感。
まず、世間の感覚なんかどうにもならないから置いとくけども。
出来ないことが恥ずかしく辛いという思いはいかんともしがたい。「家のことなんて出来て当たり前だ」という思い込みがあるからこその自責。「臭いや虫が出るとかでなきゃ、性分だし本人がいいならいいじゃないのぉ?」と人には言いつつ、心の中では「いやいや家の中は綺麗にしとかないとぉ」とか思ってるんだな、私。嫌なヤツ~!
片付け魔の母からの呪いもあり「片付けられない=人としてダメ」という意識が張り付いてる。あるべき所に戻すという事が出来ないのはやるべき事をやらない怠惰な人間だという自己否定感を持っている。
"性格だから仕方ない"と言うのは"頑張りが足りない"言い訳だ…だから「仕事してるから手が回らない」も言い訳。どっちだって結果は同じだし直す気もないじゃないか…とまた責めてしまう。堂々巡り。結構重症の呪縛だった、考えると。
「家事=仕事」対価を払うのだから理由はいらない。
結局タスカジさん依頼をすることになっても、部屋の現状を説明するのに「働いているので…」と言い訳をしていた私。依頼するのに言い訳などいらない。「汚い部屋を片付けて欲しい」それでいい。
「ここにある仕事をこのお金でやってもらう」それだけのことだ。
拭い去るのだ、呪縛を!!
二つ目の「他人に恥部を〜」
じゃあ例えば綺麗好き片付け魔の母に頼んだとして。
母「あたしが、子供の頃からあれほど言ったのに!!キーッ!!!」
私「あんなに怒られてたのに私!出来なくてすみませんね!!!!」
…
どう考えても作業開始5分で無言、その後独り言から言い合いになり…いやもう無理。想像しただけで殺意ががが。
てことでここはやっぱり他人。綺麗にしてもらうのに金を払うんだから、(程度や質にもよるだろうけど)片付いてないことが前提なのだ。全然恥ずかしくない!
拭い去れ!!呪縛!!(ここでも言い聞かせる)
とはいえ
それでも私はやっぱり恥ずかしさを拭いきれず。呆れられぬよう、そしてすぐに仕事が始められるようにある程度の準備はしなければ、と片付けに手を付け始めた。
これが結構きつかった。予約日が近づくにつれて焦りやプレッシャーが増した。私の小心っぷりすごい、苦笑
結局そこそこ片付いてしまった。そして必要な引出し型収納ケースを無印良品で数個調達したり。
なんかこの調子なら自分でやれるんじゃね?
…
いやまあやれないっていうか。ひとりでやってるとすぐに「もういいか」とか、ある程度のところから進めなくなってしまうのだ。タスカジさんにそこを手伝ってもらいたいし、アドバイスが欲しいんだな。
うーん。不安と期待でいっぱい。
とにかくこうして「苦痛」「自責」の元になっていたことをお金で解決作戦は始動していた。
依頼は、私の部屋のクローゼット内(布団や衣類などがごちゃこちゃ)と私の部屋(モノの置場が定まらずなんとなく乱雑に…ごちゃこちゃ)、そして時間があれば洗濯機周りの掃除と片付けで3時間ではとうてい足りないと算段している。
ていうのがもう1週間以上前の話(笑)
続く