ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

自分の考える自分と、他者からの自分の乖離←送信しなくて良かったメール

難しいことは勉強してないから分からない、という前置きをする。

いつか誰かとメールのやり取りをしていて、自分の言いたいことが全然伝わらないというか、自分が相手に期待していることが全然伝わっていないことに屁理屈を返そうとしていた内容。

なんとか送信は止めた。アブナイアブナイ。読み返すとなんとなく「お前はこっちがお前をどう思ってるのか全然わかってねえな!!!」という非難に思える。

アブナイ!!!

そして、そういう雰囲気があるけど実際何言ってるか自分でもわからない内容だ。読み返して、もう何言ってんのオレ?てなる。

参ったなー

でもこれってかなり感情的になっていて、それを一生懸命言葉をこねくり回して抑えようとしてるんだよな。

 

一応記録しておこう。

実際、自分でもよく分からないんだ。

 

 

他者が見て感じる自分の姿やふるまいと、自認してる自分には当然乖離があるものだよね?あった方がいいのかない方がいいのかも分かんないのだけど。

そもそも乖離してても、自分を客観視出来たら直せるはずだよね、そう思うんだ。

どっちが本来の姿なのか?

そういうのって永遠に分からない。

できれば自我なんてなくて、人に溶け込んで見えなくなる方がいいなとは思う。

(迷惑だろうが何だろうが本人はそうしてる自分が当然で周囲から疎まれているかどうか関係ないんだもの)*1

 

何事にも誰に対しても思いやりを持っているか、気遣いをしているか。

そんなの「そうありたい、あろうとしてるし、実際してる」だとしても、他者から「この人自分勝手だな」って思われてたら、事実はそれ以外の要素は含まないのかもしれないな。

自分にとっての自分なんて、誰にも関係ないんだもの。*2


「こうありたい」が「誰かに嫌われようと、迷惑を掛けようと」に結びつかない場合の葛藤なんて、無意味なのかもしんないな。

他者にとってと自認が一致しないのは、結局のところ成長や学習ができないのだろう、自分の素がダメなんだなとしか思えない。自我のコントロールができてないということだし、いつもいつも後からがっかりとうんざりの嵐。

 

*1 何言ってるのか不明。いや、「人がどう思おうと関係ない」という独りよがりなことを「楽な人生」として正当化してるんだろうか。それを「いいな」と思う自分か相手を非難してる気がする。自己否定であり相手非難という感じかな。

 

*2 ほぼ1と変わらんか。結局自己否定や相手非難をしたいだけなのかもしれん。

 

 

はー送信しなくて良かった。はーー良かった!

 

 

群がる人だかりに混ざれない~もう距離が分からない、降臨する星野源氏

星野源は世界の星になった。

スターだ。

銀河だ。

宇宙だ。

我々を見下ろし、我々が歓び踊る様を見て

「まだまだ踊れーっいぇええええあああっ」

と煽る超世界にいる。

時代が違えば引越し大名じゃなくて大塩平八郎になれたろう。

 

…あ、宇宙か。

 

武道館で見た星野源は、まだ自分の手の届く世界に拘って、純粋に自分が楽しめることに喜ぶ幼児の様なかわいらしさとたどたどしい親近感があった。

それがぐんぐんと大勢の目に触れ、魅了し、徐々に高みへと昇っていった。

小さな部屋でギター片手に「こんなのどう?」って聞かせてくれた親密な距離は大きくなり、気付けばストリーミングサービスという巨大な宇宙に変わった。

 

「これどうよ!?」て笑いながら叫ぶ源。サノスもびっくり。

笑顔で応える歓声。

画像に群がる人はみんなまるでそこに彼がいるかのように声を掛ける。(いるんだろうけども)

その誰しもが、個に応答してくれると思っている。

 

え。すごいな。

その感覚はすごい。

Showa40'生まれの私にそれはない。

そういう安直な想像力がもう発生しない。

そして身に付くこともない。

我が身を弁えている。

 

最初は誰もが「距離感がわかんねぇ」って思ってたinstagram()

発信する有名人も若干そういう感じでうっかり本当にコメントに応えてくれてたけど、さすがにもうそんな人は珍しくなった。

源に至ってはフォロワーが55万人超。(2019/10/18現在)

 

55万人てどんくらい?

ちょっとググってみる。

…日本人の15歳~69歳の人口がだいたい7500万人だって。

55万人て大したことないな←(いや、0.73%ってすげえか)

んーー東京都で見てみるか!…1350万人。んむ…まだピンとこない。(4%…??)

 

お。

八王子市人口が56万人弱。(ちなみに世田谷区が93万人。)

おおこれか。

八王子で生まれたてから死に際の人間含めた全員が源のインスタクラスタ数だ!!

全世界(少なくともインスタ配信が届く場所)の中で、八王子レベルかぁ…

 

…ん?

 

八王子レベル?

いややっぱりよくわかんない!!

 

何やってんのかな!!私!!!

 

昨夜、源がインスタライブ→YouTubeプレミア→インスタライブっていう流れでオンタイムにてネットに降臨した。

茶の間のテレビじゃない。そこがミソ。スマホタブレット、個人の手元に源が降臨した。一般人のものすごくプライベートな部分に存在しちゃった。

 

まさに「降臨」

でもそれ仮想だけど。(いるんだけども!)

インスタライブが始まった瞬間に視聴者は5万人、20分で7万人になってた。(全世界55万人のうちって考えると……いや分かんないな!)

 

instagramはネット回線とスマホがあれば誰でも受発信できる。さっきも書いたけど、自分もそうだけど多分誰しも、当初はその受発信それぞれとの距離感がつかめなかったと思う。

 

とりあえずいい大人になれば、それがプロモーションとして割り切って利用する有名人、特に芸能人は多いと理解する。そこに「個」は存在させてないだろうなって捉えてる。完全に割り切ってない発信者もいることは置いておいて。本音バリバリ出して炎上しちゃう人も置いといて。

 

ハッキリ言って、知り合いじゃない。友達でもない。有名人は有名人。こっちは一般人。

完全なる一方的な思い。ただそれだけ。その距離、多分10万光年くらいあるはず。分かんないけど。目視は絶対不可能。ライブチケット抽選に当たれば前方20列くらいなら実在を確認できるくらい。何人くらいかな。

その関係性にピンとこない輩がまるでリアル仲良し(恋人、親子、上司と部下)みたいなコメントをしてるのを見ると、私は目を細くして「バカなのかな?」って思ってた。

でも。

昨夜はもうそういう人しか居なかった。

いや今気付いたけど、7万人のうちその距離感を感じないタイプが一体どれくらいいたんだろか。youtubeに関して言えば多分インスタの数倍、数十倍はいた。だってコメント欄が豪雨の中の川の如く流れてたもの。

仮想ステージに突進する群衆が見える気がして、画面を遠ざけてしまった。

ものっすごい集中線のベクトル。長い。その先はスマホ画面!

いやいや、ちょっと無理だ。こわいこわい。

だってちゃんと見て?聞いて?

その群衆が伸ばした手の先では源が透けてるだけなのだわ(源=初音ミク説)。掴める人は居ないんだよ。

 

私には遠かったわ…

近いのかもしれないが、近くねえよなというリアルが痛いほど心を刺したよ。

浮かれる人たちが羨ましいんだわ、多分。
…寂しいけどさ。

だって、別に彼の音楽が嫌いになったわけじゃない。変容してもいつも好きなままだ。そんな自分を見ないふりして来たけど、やっぱ好きだ。

 

でも普通にな、行列とか人混みがすっごい苦手なんだ。

八王子市民全員よ?

私、以前JR立川の改札の人波見て酔って倒れそうなったことあるよ?立川市人口なんて17万人だよ?

 

え?立川ってなんか意外に少なくない?

 

その先に、本物の源がもしいても、掻き分けて突進することはもともと出来ないんだな。

 

 

源よ、どこまで昇るのだ。

イカロスの蝋の翼が溶けぬように気を付けなければだめだぞ…

 

 

♪わらってよ~き~みの~ため~にぃいいい

 

 

 

急に描きたくなってシャーペンを持つ

めっちゃキモくなり我ながら驚く(病人に近かった頃)

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思い直してしばらく置き、気楽に描く

急に最近のスカした感じになる

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修正してみる

キモい←→スカしてるの微妙な違いをさまよう

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ゲルボールペン入れながら髪を変化

なんでこうなるの、だ、だれ!?

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しばらく放置

再度シャーペンでもっさり感出してみる

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これが私のアナザー…限界

iPadお絵描きしてみたいけど、まだ機会がない…)

 

映画「girl」思春期怖い…もしかしてあれって中がドロドロの蛹だったのかな

男の身体で産まれ、女の心を持つ16歳の少女のお話。

なんだけど。

「少女」とするのは登場の瞬間から彼女はごく普通の思春期特有の憂鬱な表情と輝くような美しさが滲み出ていて、少女そのものにしか見えないから。そもそもタイトルもそうだった。

仕草のひとつひとつも可憐。彼女の「長い前髪を耳に掛ける癖」があんまり美しいので、ついつい真似したくなってしまう。

 

ガチガチに言えば「男から女への変容を人工的に起こしている最中の少年」が描かれてる。

 

実は予告を観た時は、この話のモデルとなった本人かまたはリアルなトランスジェンダーを起用してると思ってた。*1

観賞後にチェックするとシスジェンダー(出生時の身体的性別と性自認が一致している)だ。その起用にもどうやら論争があったらしい。

トランスジェンダーの俳優にトランスジェンダーの役が回ってこないのは差別のひとつなのじゃないか」的な。

原作の人種や性別についていちいち問題を唱えるってめんどくさいな。いや、どんなことにも問題がない?って考え方は大切なのかもしれないけど。

「差別を失くそう」と界隈の是正が促されても、多様な人が集まるほどにそういう感覚が生まれて拡大し、露呈してしまうということはなくならない気がしてる。世界中のどこにも「差別がない」という完璧な状況は見いだせない気がする。人はみんな違うんだから。目立つものとしての共感は区別意識をも生むだろう。

「区別」「差別」「選別」という似通った感覚は人の心の中にいつもあって、それが悪として暴かれた時もするりと許容されるものに変容する。自分の中でも悪気なくそういうことがいつも起こってると思う。

監督の話では、オーディションは性別を問わず募っており、選ばれたヴィクトール・ポルスターは男性のバレエダンサー。

「オーディションに現れたその姿は性別を超えた天使の様だった」

もうそれが全てじゃないか。

 

16歳の彼女はララと名乗る。まだ男性の身体をしていたけれど、(手術を見据えた)治療をして女性へと変化する途中である。そして、人間そのものが子供から大人へと変化する年齢でもある。更に彼女は大きな夢を見出し、そこへ向かって突き進もうとしている。

とんでもない険しい道だ。苦難だよ。治療だけでも心が千切れそう。

 

ただの思春期に将来へのなんの展望もなくぼやっと生きてた私。そのやっかいな心的状況に勝手に憂鬱になり鬱憤を吐き、周囲を巻き込んでいた。年齢ならではの異性への思いも考え過ぎて、一歩も動けない。何しろ全てにおいて頭の中はぐるぐると思考で埋め尽くされ、答えも出ないし行動にもならない。なんにもできない自分にただぶすぶすと燻っていた。

しかもそんな自分を正当化することだけじゃいっちょ前だった。蓋をした鍋のように沸騰しても噴き溢すだけという…酷い。

俯瞰で思い返すとそんな感じだ。本当に本当にめんどくさい存在だった、我ながら。燻る火だるまっていう感じ。ただただ酷い()

 

そう考えると、ララのとんでもなく強靭な精神・行動力にあらためて圧倒される。弱音を吐かず、涙は飲みこみ、血を流してもやる。未来を掴もうとするその執念には畏れすら感じた。

そもそもなりたい自分が見えているという、

16歳で。

うそぉ?

人生も折り返した私、未だに何も見えてないし、もうこのまま墓場に突き進もうというやけくそだけで生きてても、泣いたり嘆いたりふがふがしてるのにぃ?

 

お父さんも親戚のひとたちも、学校も、みんな理解があって素晴らしい。それが救われる。

そしてまたそういう多感な世代が集まるところだから、残酷なことも起こる。許しがたいけどどうしようもない。他者の痛みに関心をもつことが、好奇心に取って代わってしまう。

「ララが女性用ロッカールームを使うことになんか嫌って思う人いたら挙手して?」

このシーンには心臓が止まりそうになる。しかし続く挙手のシーンはない。

「あれ?今の怖いのなんだった?」みたいに観客を置き去りにして進んでいく。監督の意図として「そういう悪気のない行為は社会のどこにでもある、その今の日常を描きたかった」という。なるほど。

誰かの痛みを気遣っても、自分の痛みとしては感じない。世界はそんな風にある。

 

泣いてもいいのに泣かないララ。気が気じゃないお父さん。子犬のようにかわいく優しい弟。皆、ララを愛しているし心配している。十分にも思える周囲の優しさは、逆にララの焦燥感を煽る様に作用し、追い詰めていく。

最終的にララの強さがまさかの事態を引き起こすのは本当に劇的過ぎて、映画だからっていやそうだけど、そんなのさすがに想像もしてなくて心臓が裂けてしまうかと思った。

 

座席は6割7割の埋まり具合。私の両隣りはいくつか空いて両方女性が座ってた。まさか!まさか嘘!?ていう同様の反応で嗚咽を抑えるので必死。そのままエンディングが流れ場内がほの明るくなっても鼻をすすっていた。

 

あんな我慢強い子だからこその決断なのかな、

あんな我慢強い思春期ある?思春期って頑固そうだけど実はすぐ決壊して泣いたりするよね?

何かを決めて突き進める強さってそんなすごいん?

進もうとするほど邪魔をしてくる取り除きたい障害物。それがある限り乗り越えられない、それが憎い。全ての息苦しさの元凶。それさえなくなれば。

都合のいい解釈や適当なごまかしは通用しない、ただそこにあるものを排除しようと思うことも、全てそのせいだとすることも、お父さんも観ている私たちにも、実感として理解できなかったんだな…。

理解できてたとしても、そんな選択肢は思いつかなかった。

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www.gqjapan.jp

 

indietokyo.com

*1:このトランスジェンダーとかの「ジェンダー」という言葉、ちょっと調べようとしただけでも結構ややこしい定義で、イマイチ理解しきれずに、しかしやむを得ず使用してます。しかし大事なのは、劇中には一貫して彼女をそういった言葉で表現するシーンはありません。

映画「ハウス・ジャック・ビルト」シリアルキラーの気持ちが分かっても困るけども

安息日であるはずの日曜に、実家というか父の入所先へ。*1

bionic-giko.hatenablog.jp

体力もだけど精神的に大きな疲労を抱える日だった。そのまま帰宅するか途中でこの映画を観るか、1時間ほどの電車内でうつらうつらしながら考えていた。

別に「父の日だから」とかいうのでなくて、3ヶ月に一度の判定会議だ。父の施設での状況報告を聞きつつこのままの介護プログラムで良いですか?っていう趣旨のもの。この種の施設では必須なのだ。「いい様にしていただければ」という完全お任せ態勢になれない生真面目…いや全然真面目じゃないな、その時しか母にも会ってないし。母から「これとこれとこれを聞いて。どういうことか教えて」とのリクエスト含めて正味1時間くらいケアマネージャーや介護士と対話。(父の容態に問題がある場合は契約続行についても問題が発生したりするわけだが、そういうのは都度連絡が来て経過を見て、という手順になる)

母は一人暮らしで父への見舞いを週3日もしてる。それしかすることないわけだが、なかなかの気力体力だ。小さい身体で、でっかいカートに父の着替えなどぎっちり詰め込み、バスに揺られて早朝から昼過ぎまでなんやら世話を焼いている。エライヨネ…

しかしそれが母の生きがいなので、むしろ父には生きててもらわないと母がどうなってしまうやら、というわけだ。これ以上はものすごく問題のある話をしそうなのでやめとこう。

 

映画の話ね。

で、結局鑑賞してきた。

実在の連続殺人犯のお話。強迫神経症潔癖症の技師で建築家で、自称芸術家で、自称「Mr. Sophistication」(なんだよそれw)だったりと、いやもう「ザ・不穏マン」。

途中に挟み込んできたいくつかの別の映画のシーンに記憶があって、ああ同じ監督の映画かー…とか。「アンチ・クライスト」。(あと「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とかは未見)

アマゾンプライムでホラーとかサスペンス的な括りでオススメに出て来たので観た。あー似てる似てる、構成とか画面から訴えかけてくるものとか色とか…。ホラーじゃないしサスペンスっていうでもなかった。

 

しかしまあいずれにしても難解で。

事件が起こって、何かが続いて変化して、という。映画なのでなんでもそういうもんだけど。事件の衝撃よりも、その何かしら続いていく問題が非常にじわじわと心に重くなる。何かって言葉に出来ない。もしかしたら人によって違うのかもしれない。

単純に猟奇殺人を繰り返す話だけど、なんかある。気がしてしまう。

 

犯人ジャックが潔癖症過ぎて殺人現場からなかなか去れず、現場を何度も繰り返し確認しに行く様がコントみたいだった。ほぼコント。笑ってしまう。(あとは全然空気読めないとか事態の把握が出来ない被害者たちとかにも)

強迫神経症とか潔癖症をバカにする訳じゃない。*2

さっきも「Mr. Sophistication」で思わず笑いが出たと書いたけど、実際には笑える話じゃないのにそうなるってことは、多分監督も意識してるのだろうと思う。

いかにも自己中心的で、自分の異常性が正しく崇高で、更には洗練されていると思い込んでいる精神異常者だと知らしめるシーンだ。

 

ちなみにカンヌ(だっけ?)で上映されて途中退席者が続出したとかスタンディングオベーションだったとか、極端な話が伝えられた。

もし退席してしまうとしたら、単純に描写がえぐくて耐えられないか、猟奇殺人なのになんだか不覚にも笑いが出てしまった自分が許せない、そんな感じだろうか?私なら後者だ。退席しないけど「不謹慎だわな」とは思う。

スタンディングオベーションはよく分かんない。「ヘレディタリー 継承者」を観た時も思ったけど、宗教的に考えるとこのエンディングは喝采に値するのだろうか。

それとももっと深い意味があるの?

アンチクライスト」観た時は実際のところもっと意味が分かってなかった。そう考えると、宗教的な視点ならすごい単純な話なのかな。

 

 

 冒頭からヴァージという老人の声とジャックの会話で5つの事件を振り返ってる。

「ヴァージって、捜査官かまたは所謂懺悔を聞く神父かな?」って思いながら、まあこの殺人劇の案内を聞きながら鑑賞してる。

 

 

※えーっと、ここからちょっとネタバレっぽくなるので読みたくない方は閉じてください(笑)

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ずーっと開けられなかった冷凍庫の奥の扉が案外にもあっけなく開き、ヴァージの姿が暗闇から浮かぶのだけど、「え?待って。事件に臨場してるおじいさん誰?」ってなる。

「えー!?マジで誰?ヴァージ何?一緒にどこ行くの?」

戸惑いつつも、観てれいれば徐々に察するわけだけど。

このただただ猟奇的で異常な殺人者の姿を見せつけられた先がこれなの…?という拍子抜けではあった。このガッカリ感。スタンディングオベーションした方たちとの最大級の落差。…何が自分に足りないのだ?

 

あとこれは自分的なメモ。

実は、その扉があいた時のシーンは私にとってデジャビュだった。多分まったく初めての状況に決まってるのに、どこか、もしかしたら夢に見たような気分になった。

 

私は情緒が安定していないのか、感情の振り幅が大きく疲れる日常なのだが、最近妙に凪いでいた。それは自分でも不気味なほどに。でも扉があいてから終焉までのシーンを見ながら、その真裏に病んでた頃の衝動が隠れてるのだなと思ってしまった。

主人公が心の闇と共に破滅へと向かう中、観ている私はふわっと自分自身が何処かから飛び降りる映像が浮かんだ。実際観ている状況とは全く別の映像だった。

誰にも理解されたいと望まない、今の自分の気持ちなのかなという気がした。

*1:ブログを書いたのち、実際に入所するまでは3ヶ月かかった。結局「介護老人保健施設」てとこに入った。それから1年と3カ月ほどになる。

*2:自分も病んだ時、強迫神経的な行動について悩んだしよく覚えてる。自分でも笑うほど滑稽だったと思う。その行動についての異常さも心を病んでるとも自覚できなかった。でも、つまらないことが心配で確認を繰り返す行動について、精神的な話を置いておけば多分コントのネタにもなってるだろうと思う。

アニメ「スパイダーマン・スパイダーバース」ヒロイン良き良き

世界には悲しいことが起こり、子供や動物は虐待され、嘆いてもどうにもなならないのは自分自身のこともそうで、折れたり凹んだりする人生だ。それでも映画に夢中になれる。ほんの2時間でもそれを忘れていられる。映画の良さをしみじみといつも感じる。

 

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これは本当に実感した。

父の施設へ行って母とちょっと揉めて(母自身は何とも思ってないだろうけど)、父にうんざりしてからのシアター入りだった。帰り道、足取りはとても軽かった。


久しぶりにのIMAX3Dでちょっと酔った。

漫画はいいなー

アニメはいいなー

 

とある映画ブログでこの作品の良さについて、物語から作画に至るまで書かれていて、これはIMAX3Dで観なくては!ととっさに予約した。

これを読んだら「お、ちょっと観てくっか」ってなる!きっとなる!

www.machikado-creative.jp


もともとアメリカンコミックにはまったく興味がなくて、スパイダーマンなんか全身タイツだし無防備だし、本当に魅力を感じてなかった。なのに何故だか実写はけっこう観てる。今はトム・ホランドがタイプだからだけども。とっちゃん坊やって(すごい古い言葉かなこれw)感じでもう大好き。
bionic-giko.hatenablog.jp

 

それでもってなんやかんやでいつも鑑賞後は満足してる。ハラハラして目を瞑ったり、何が起こってるのか目を凝らしたり夢中になっている。


今回はアニメ。まさかのアメリカンコミックのアニメ。アメリカの作るアニメ(ディ〇ニーとか〇ィズニーとかピ〇サー含めてディズ〇ーとか)のクネクネした過剰に滑らかな動画がとても苦手。もはや現実離れしてる関節柔らかすぎる動き、苦手。

ところがこれは、そんな従来の(私にとっては)過剰なコマ数を半分ほどに減らしているという。

 

昭和のアニメで育った私にピッタリじゃないの!と。

ていうか、コマ数減ってる分作画にものすごく時間をかけて、一コマが絵画のような仕上がりって言う。

"ああああん!それってまるで安彦良和氏のイラストじゃん!ファーストガンダムじゃん!"

ていう心の叫びに素直になって、心してシートに体をあずけて本当に良かった。正解。

一コマ一コマを焼き付けるように観た。本当に瞬間瞬間がいつも絵画のように美しかった。

悲しい現実にぺしゃんこだけど、複数のスパイダーマンたちの大きな哀しみとそこを乗り越えてくる「信じて跳べ」が何度も繰り返されて気分がハイになってくる。キーワードは「It’s a leap of faith 」。あ、これ、さっきのブログの受け売り。てか、コマ数の話もみんなそうだけども(笑) 

このブログを読まなければこんなにのめり込んで観たか?という。そもそも劇場じゃなくてもいいやって思ってた。ありがとう、街角クリエイティブさん!

 


てことで同じことを書いても意味ないので、あとは私の雑記。

実写版スパイダーマンに出てくるガールフレンド"グェン"はゼン・デイヤ扮する大人びた魅力全開。アニメはほんのちょっと未来から来た本物のヒロイン スパイダーガールとして描かれてる。これがまた本当にゼン・デイヤを上回るキュートさ、生意気さ、妖艶さバリバリだった。

とにかくスーパーヒロインが大好きな私、釘付けだし、実写版も是非是非、ゼン・デイヤに変身して欲しい気持ちが高まる。

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ほんとこの類似性素晴らしき… 


Japanese Girlは日本のちょっと手の足りないアニメから引っ張ってきたみたいなクォリティ。可愛いJK。カタカナや漢字で思いっきり日本っぽさを出す絵だし、声優も日本アニメに溢れてるあの声。ただし喋るとチャイニーズっぽい。んー?この辺りはわざとなのか、海外では同じように聞こえるのかちょっと謎。いずれにしても違和感覚えるのは日本人だけかな。

人種や時代を超える物語。どの世界にも通じるよ、誰でもヒーローになり得るよ、哀しみを乗り越えて勇気を持って、自分を信じて行こう。

 

…観てないと多分響かないと思うけど、むしろ「クッサww」てなるけど、いや書いてても鼻で笑えるけど、観て!!!観たらついついそういうことが伝わって来るから!

別に伝わらなくても、本当に「マンガ見てるみたい」って楽しいから!2時間、現実をしんどさを忘れるから。

 

全身タイツがダサくても、中年太りがダサくても、なかなか上手く飛べなくても、時間は流れていくし、ダメなものはダメだ。どこかでちょっとだけ、変われたらいいんだけど(あんまり信じてないけども)。