ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

映画「三度目の殺人」

連休中日、そう台風が来るその日、「帰って来れますように、電車止まりませんように、途中で泣き崩れて倒れてしまいませんように」などと唱えながら行ってきました。ほんとに、猫のことで何も手に付かないのに…。映画予約とかってキャンセルできないシステムを本当にどうにかしてほしい…。前日のパイプオルガンリサイタルに続いてリハビリみたいな外出となりました。

 

 

常々こんな役どころ

ここのところ私が観る広瀬すずは「傷つけられしモノ」みたいな役柄な気が…たまたま続いてる?(ていうか青春モノを観てないからかもしんない。「ちはやふる」なんてそんなことないんでしょうし)。今回も、もう雨に濡れてしまった仔ウサギの様な、そっと触れないと壊れてしまう極薄ガラス細工の様な、すでに脆くなってしまった1000年前の折鶴の様な(だんだん例えが…)、とにかくそんな感じで規制線を張ってうっかり触らぬよう厳重に保護しなければならないっていう感じの役です。


あと根岸季衣の使いどころがもう、なんだろう、手塚治虫とか松本零士とか往年の漫画家が自作に様々な役柄で出演させるキャラっていうか、もう監督問わず「根岸季衣」役でええんちゃうかという。あれだけ特徴のある雰囲気にあって、何にでもなれる役者ってすごいと思う。正に「名バイプレイヤー」。あ、今回は(も)ほんの些細な役なんだけど。でも映画がビシッと決まるという。ズバァッて記憶に突っ込んでくるキャラなんだよ。誰か作品別に根岸さんの役柄まとめてくれないかなぁ。年表とか。藤原竜也並みの安定を見せる役者だと思うんですよ。いや比較が変だけど。

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役所広司の顔って相当でっかい

て、みんな思ってると思うし私も思ってたけど、ラスト、判決後、拘置所を訪れた福山雅治の顔とオーバーラップさせる印象的なシーンで、「意外にそうでもないの?」てなる。あ、縮尺合わせてるのか。そりゃそうか。(もうどうでもいいけど気になる)このシーンが私には非常に、圧倒的に震えるようなものがありました。

泣けるとかではなく、理解したいのにできないのか、する気がないのか、何が真実で何が正しいのか、延々とその命題をいちいち投げつけられてきてここに至る訳ですが、頭の中がフリーズしてしまうシーンでした。

裁判映画にはよくあるテーマですが、是枝監督はそれを観ている人間の心に委ねてしまう、剥き出しなのに曖昧なまま終わらせてしまいます。

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これは結審前の対決シーン(たぶん)。圧倒的に役所さんでっかい(縮尺変えてない)


福山雅治は役者として安定してるのか

そうともそうでないとも意見がありそう。私の中では「いやいや安心できんやろ、本人もしてなかろう」ていう感じ。今回は福山雅治の手と眼がすごく印象的に撮られてます。いい男は手だけでもぞくぞくするんかよという。ずるいのう、いい男は。(要するに演技ではなくてスタイルを見せられた感)。

前からこんな瞳でしたっけ?みたいな黒目

そんなにファンというわけでないのでパーツにも詳しくないんですけど、予告や番宣、ポスターなんかでもとても気になってた。

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これは新曲「聖域」のポスター。加工なのかカラコンか、赤っぽいギターのせいか、またはナチュラル?

 

やや透けて茶色がかってる。そして大きい。昨今カラコンや映像技術で目の印象はいくらでも変化させらるけど、気になります。

映画に戻りますが、前出の役所広司とのオーバーラップシーンは横顔で、涙が溢れそうで溢れないギリギリのところを長々とガラス越しに見せます。観てる側は「一体どうなんだ」というテーマに縛り付けられているのに、福山のその瞳から零れ落ちそうで落ちてこない涙を見せつけられます。こっちは軽いパニックに陥ってフリーズします。

そのシーンだけで言えば、劇場の大きなスクリーンで観る価値はありました。溜まった涙はテレビだと気付けないかもしれません。いやどうだろう、結構な大写しですけど。 

 

 

どうでもいい事ですが
役者さんの名前とかの確認で鑑賞後にちょこっとググったら、あの、レビューとか感想を飛び越えて、あらすじ詳細載せつつ、独自の見解を何千字とか(以下自粛

 

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傷心の日々を右往左往しつつパイプオルガンリサイタルに行ってきた

 

愛猫急逝から3日。

お稽古の先生にご報告のメールを書いていたら、リサイタルの備忘録になったので切取り加筆訂正してこちらに貼ることにしました。

 

 

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そう遠くないと覚悟はしていました

余りに突然だったので感情が追いつかずに数時間のうちに2本もブログをしたためていました。文章にしていると、論理的な思考が働いて感情的にならずに済みます。

救急の診察では病変が発覚したものの、医師とは今後の在宅ケアのお話をしていたのです。医師ですらそのまま亡くなるとは想定していませんでした。本当に状況に気持ちが追いつきませんでした。
今は何をしても何を見ても聴いても、追いついてきた感情が発動しては泣いてしまい、骨壷を撫でてソファに腰掛けたりうたた寝をしたりしてやり過ごしています。さすがに骨壷を抱いて外出するわけにもいかず、そういう性格ではないつもりなのですが、火葬のサービスで付いてきたお骨が入ったキーホルダーを仕方なく携帯することにしました。

 

そんな中、ハンス・オラ・エリクソン氏のパイプオルガン・リサイタルへ行ってきました

 

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そんな状況だったので外出など考えられずギリギリまで迷ったのですが。

行きたいライブのチケットに当たらなすぎて落ち込んでいた時にふと「簡単に買える!」と購入したものでした。もちろんバロック芸術はとても好きだしNHKホール以外のパイプオルガンを見たことがないし、なによりパイプオルガンだけというコンサートは未知の世界…インスタグラムで仲良くしてくれている友人の言葉が背中を押してくれたこともあり、ひとり雨の中へ歩き出しました。
全く知らない楽曲ばかりでワクワクしつつも、泣き疲れた心と身体では眠ってしまうのでは、または感激で感情が爆発してしまうのではと不安もありましたが、無用な心配でした。
結果的に癒しとなったと思います。
 
ほろ酔いと「別れの曲」
色々思う、泣く、眠らないのに何も考えない、様々な楽曲に感情を勝手に動かされてるみたいに激しさのない大波に揺られるような感覚。自分の意思で何かを感じておらず、まるで誰かに碁盤の石の様にあちこちの感情の上に置かれる様な、本当に不思議な体験をしました。
そしてアンコール曲がすごくすごく良いのでした。
其の夜は探しても探してもピアノかギターしかなかったんですけど、今、不意にオルガンバージョン見つかりました。でも聴いてみたらイマイチでした…(笑)
やはりパイプオルガンとその臨場感が良かったのかもいれないですね。
 
ちなみに旋律ほか分かりやすいピアノバージョンがこちらです。

youtu.be

Peter Maxwell Daviesという昨年亡くなられたイギリスの方の作品ということ以外、ミュージカル曲??という感じで、wikiも英語のみでとにかく背景がさっぱり…ははは。(…無知を知る)

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「Farewell To Stomness」…「ストロムネス島への別れの曲」って感じでしょうか。
帰りがけのアンコール曲を知らせるこのホワイトボードで知った曲名に、ああ、私の中では本当に「別れの曲」として染み渡っていたのだと合点がいきました。
2時間弱のパイプオルガンで酔ったようなところに、アンコールのこれでシメのラーメン食べたような満足感でした(そんな飲まないしそんな食べないから知らないけど)。
 
背中を押してくれた友人にそんな風に報告したら「ぎこちゃんには音楽があるもんね」と返ってきました。なるほどそうなのか……
 
 
 
次のレッスンでは一番最初に一緒に歌っていただいた「Love Never Felt So Good」をまた是非ご一緒にお願いしようと思います。

youtu.be

 
"愛はすんっばらしいよ!こんなの初めてかも!めっちゃイイ感じだよ!"
この漠然とした恋愛バカ(失礼)な愛の歌詞。単語ひとつひとつを直訳しながら見てると、自分の動物との出会いと別れに重ね合わせてしまいなんか泣けてしまいました。(涙腺バカはずーっと発動中)
 
"だってベイビー、それはぼくの人生に入っては出ていき、出て行っては入ってくる。なんてすばらしい愛なんだ!こんな愛はほかにないよ!"
'Cause baby, every time I love you
It's in and out of my life, in out baby
Tell me, if you really love me
It's in and out of my life, in out baby
'Cause baby, love never felt so good
 
 
まさにこの繰り返しなのです。
だから、また私の人生に飛び込んでくる愛を、私は待っています。
 
パイプオルガンリサイタルからこんな気持ちが生まれてくるとは思わなんだ…

14年くらい一緒に暮らしたねこが旅立った。さよなら。

嘘みたいだけど、さっき「先が見えない」と書いたねこはあれからまもなく、頭を私の手の上に乗せて旅立った。

今、傍らに置いた亡骸は生きてる時のままの肌触りだ。洋猫の血が入っているであろうこのねこの少し長めの毛の肌触りは、この子の自慢。そしてふくよかな身体ももちもちして撫でがいがある。撫でていると、もう命がここから離れていったことが本当に信じがたい。

よく敷物にして昼寝をしていたブランケットで包むように段ボールに入れてるのだけど、ちょっとぎゅうぎゅう感が否めない。

放心状態で泣いていたため、気付いたら死後硬直が始まってしまっていた。慌てて身体を丸め、手足を折って頭を更に丸めるように押し込んだ結果、なんか無理やり自ら入った感じがして、触れる度、振り返る度、目に入って来る度に、亡くなってしまったことが実感として受け入れられず呆然とする。

 

今朝はそれほど食欲はなさそうだったけどそれはそんなに珍しいことではなく、そしてなんとか口にしたエサもすぐに全部吐いてしまった。それもそんなに珍しくないことで「あ~あ、残念。吐いちゃったね。仕方ないね。残ってる分を気分良くなったら食べてね。」と言って、本当にいつもと同じ様に出勤した。

 

午後9時近くようやく帰宅した。昼に親戚の訃報を受けて準備するものを捜し歩いて居たため、いつもよりは遅くなってしまった。

確認すると朝の食べ残しが全く変化なし。あらら…。これもやっぱり珍しいことでもないけど、よほど食欲がないんだわ。

だけど。お迎えもないし声も気配もしない。

これは、これはちょっと変だわ…

と、名前を大きな声で呼んだ。何度か呼んだ。

ほどなく返事が聞こえる。いつもなら返事をしながらのっしのっしとねこらしからぬ足音をさせて部屋に登場するのに、異様な鳴き声が聞こえてきた。

 

そこからだ。

 

一体何時くらいからこんなにも具合が悪くなったのか、喋らないから分からないけどとにかく物かげ(でも丸見え)でうずくまっていた。

触れる。すごく体温が低い。そして異様な鳴き声を上げる。普段はサイレントミュウが主でほとんどこんな大きな声は出さないのに。

「おかしいよぅ!ぼく変だよぅ!!助けてぇ!!」

必死に訴えてるようだ。

引っ張り出そうとしてもカラダに力が入らない様子。水も全く減っていないので慌てて小皿に水を汲んで口元にもっていくと、ほんの少し飲んだ。

これはもう尋常じゃない、自分じゃどうにもならないと判断。

親戚の葬式関連の電話も同時進行で進めた。叔母に電話をする。「今、14年連れ添ったねこの調子がおかしいので何とも言えない」。

訳あって両親には事後報告となる。

 

 

インターネットで近くの救急可能な病院を探し出す。20分ほどで担ぎ込み、これまでの病歴や検査結果、そして帰宅からの状態を早口で伝えた。とりあえず血液検査とレントゲン。

待合室で待つ間、母へのLINEに、親戚の葬儀よりねこを優先したい旨つらつらと打つ。母はもう寝てしまっているだろうから、朝起きるなりこの娘の「は?人間としてお前?!」という告白メッセージを長々と読むだろう。

 

どのくらい経ったのか、呼ばれて診察室へ入り告げられた診断。

圧倒的にその名称だけで敗北感のある結果だった。覚悟はしていたけど、想像を超える病気だった。

 

点滴をしていただき一晩様子を見て、今後のことなどしっかり考えて再来院すると話をして帰宅したのは11時前くらいだったと思う。

救急診察する際と結果はシンプルに連絡していた猫飼い同僚に、明日遅刻する旨をメール。

猫飼いで親しくしている知人にはLINEなどで簡単に報告。

誰かと話している間は冷静に考えられる気がしていた。後は何をすれば…変に昂ぶって冴えているのに思考能力は全く働かずに何も決められない頭。まずシャワーを浴びてすっきりしなければ。これからに備えて心をしっかり持たねばと、そしてブログを1本あっという間に書いた。

 

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キャリーからどうにか自力で出て来たねこは、すぐに暗がりでへたりこんだ。痛みによるショックだったようだが、点滴で少し和らいだのか鳴き叫びは治まった。

しかし這うようにクローゼットに入りたがり、自力で登れずもがいたので、お尻を支えて押し込んでやる。そこに丸まったきり、出てこなくなった。具合が悪いことには変わりがないらしい。

 

自分の部屋にねこがいないだけでこれほど寂しいのかと耐えかねていると、動きだしたような物音とまた鳴き声。見に行くと床にへたり込んでまたもがいていた。

 

これはもしかして今夜もたないのではと心によぎる。

 

ずっと覚悟してきた時が来ているのだろうと冷静に判断している自分。しかし、苦し気に喘ぐねこをどう扱えばいいものか…。

30分。また30分。なんて緩慢な苦しみなんだろうか。酷い悪化が見られないのだけどじっくりとダメージが侵食していることは分かる。目を見開き撫でても声を掛けても反応がない。必死に浅い呼吸を繰り返すだけだ。

 

分かった。君たちが全然死を覚悟しない生き物だということが本当によく分かったよ。

 

 

 

深夜2時半過ぎ。やっと苦しみが去った。

 

 

最後に大好きなお刺身を食べられなくて残念だったね。

なんだか、病院から戻ってからは怒ってるみたいに私と目を合わせてくれなかったね。撫でても声をかけても目を合わせてくれず、ゴロゴロも聞かせてくれなかったね。

最後に大嫌いな病院へ連れて行かれたこと、これからも連れて行こうとしてることへの断固たる抗議だったのかな。

君が苦しそうに喘ぐ中、私は「ありがとう」ばかり言っていたでしょう?身体に耳をつけて呼吸や心音を聞きたかったんだけど、全然聞き取れなかった。呼吸は浅過ぎたし、心音は弱すぎたんだね。声を掛けて頬ずりをして撫でていたけど、しっぽぴこぴこもできなかったのも苦しかったからだよね。

一体どの時点で私の声も手も分からなくなってたのかな。

 

何時からあんなにつらかったのか、もう何から何まで、何にも分からなかった。

ひとりぼっちで辛く心細かったろうね。それを大嫌いな病院に連れて行くなんて、何にも分からずごめん。ごめんだよ。本当にごめんだよ。ずっとずっと待っててくれて、看取らせてくれるなんて、君はサイコーだった。本当にサイコーだったよ。

 

 

 

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小豆の肉球、大好きだった。

Pawのグレージュの魅力に気付くの遅くてごめんよ。

眠れそうにない、ほんとは眠れるかもしれないけど眠るのが怖い

我が家の猫は「赤血球増多症」と診断されていた。この診断の際に、異常な赤血球の量に医師が「精密検査を要する」としたものの、再度の詳細の血液検査によって「他の部位の異常によるもの(二次性)ではなく、もともとこの病が発症したものである」と診断を受けていた。

簡単に言うと、体内に癌などがあった時に機能として血液をたくさん作って異常な物体を攻撃しようとかそういう作用から増多症になったという可能性が非常に少ないと診断を受けた。

ただ、実際はエコーやレントゲンなど麻酔を使った検査を勧められた。看過できない数値だと。

 

しかし、それを私は拒んだ。

 

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なぜなら猫本人がそれを受け入れられないからだ。病院へ行きたくない、吐くほどに病院行きを拒む…。「そんなの猫なんだから当たり前だろう」ということは簡単だけど、みんなよく言う「ペットは家族」っていうの、あれを考えたら家族の意思を押しつぶして自分のエゴで嫌がる通院や検査を続行させるのはおかしくないだろうか。家族への行為として私は疑問だ。

というか、私自身は「ペットはペットだ」と思っている。家族よりも強く偏った愛情を注いで、すべての管理をしつつ、決して彼らの嫌がることを「君のためだから」などといって強要はしたくないと思っている。強要すれば彼らは私を疎んだり、しばらくハンストさえしかねない。理解させることなど不可能だ。何より私は猫に嫌われたくない。

これは私の考え方で、「家族だ」という人を否定したり責めたりする意図は一切ない。そう思ってもらえる動物は幸せだと思う。

 

私も私なりに、動物相手だからこそ生まれる愛情におぼれて、彼らを守って行きたいと、ずっとそばにいるためにということを優先して暮らしてきている。私は、猫自身の健康状態はもちろんだけど、ともに暮らすうえでのQOLを優先したい。

 

今回、「二次性の病気ではなかった」という結論、結果的に診断を下すには時期尚早だった。しかしそれ以外の検査を拒んだのは飼い主である自分。猫もこれ以上病院はいやだという意思表示が著しかった。

だから自分を含めて誰も責めないし、後悔をするつもりはない。

もちろん「ああ、あの時検査してたら」とは思うけれど、そこでもわからなければ今と同じどころか、検査損だしねことわたしの関係もぎくしゃくしてしまっていた。

わかったとして、ガンの摘出術を受けていたら。長きにわたる療養生活がある。家に帰れない日々、帰ってきても傷口をケアすること、もう片方の腎臓のケア…と変わらぬ予後を過ごしてこなければならなかったはずだ。

 

ねこと私はこの半年ほど、ねこの腎臓機能の低下によって優れない体調ながら、とても穏やかに過ごしてきた。お互いを求めあいながら、朝起きてから寝るまで、アイコンタクトと声かけと撫で甘えられながら暮らしてきた。

私はこの日々が間違っていたとは思わない。

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これからどんな苦しい日々になっても、この愛おしい半年を決して後悔したくない。

 

「腎臓がこれだけひどい状態なのに、嘘みたいな体型だね」と先生。それだけが自慢で。でもこれからはみるみる体重は落ちていくだろう。覚悟してねと言われなくても、分かっている。

これからまず、痛みが取れるだろうか。痛みが取れたらもうちょっとしっかり歩けるだろうか。機嫌を直して傍にいてくれるだろうか。

痛がっている時にきちんと対処できるだろうか。

 

そして猫はどこまでこの苦しみや痛みに耐え続けねばならないのだろうか。

そこを知りたい。

ひっさしぶりぶりのダイエットは、常に心がければいい食事改善。エステとか信じない。

30代の一時期に私の身体が(丸く)巨大化した一番の原因は「手作りジャム」だった。もともとのパン好きが、ふいに自作ジャムに凝ってしまった途端一気に、だ。

店先で見つけた果物を買ってはジャムにする。好きなパンを大量に買い込む。"作る塗って食べる作る~"の繰り返し。気が付いたらエライことになっていた。これが未曾有の増量記録だろう。

ちなみに、グレープフルーツだけはどーーにもジャムとして成立しなかった。くっそ苦い何かが出来ただけだった。砂糖をいくら増やしても、レモン汁を加えても、一切その苦味が緩和されることはなかった。ひどかった…。

この時、色々あって最終的に分相応(大丈夫な方)な金額を出してエステに通ったところ、まあもっともらしい話であれこれ売りつけて来るわ、すったもんだしつつ経過を見ても埒が明かないっすなぁと思って終盤になって

「野菜主食生活」を始めたら一気に縮小しました。

エステめぇ()

 

これって最近何かと噂の「糖質制限食」ぽい?

たまたま、今朝あるふぁついったらーさんのヤンデル先生がこんなツイートされてた!おお!そうそう、そんな感じなの!

 

 引用については「理論的じゃないですよ」とのお話しをいただきました。(この後もぶら下がりはありますのでご興味ある方はツイッタランドへどうぞ。)

 

「冷房や冷たい飲み物ばかりで内臓が冷えて代謝が落ちているのでは?温かい飲み物と湯舟に浸かり代謝を良くするべし」

これはやはりツイッターで親しくなった娘みたいな友達からのアドバイス。「ナルホド」と膝を打つ。否定する事項なしっす。

耳の不調でくっそ不味い水薬を大量の100%ジュースでひっきりなしに飲んでて、暑さもあって何もかもに氷を入れてた。冷たい水分と糖分の摂りすぎ。あと全体的に食生活の乱れ。ラストは大した事じゃないのだけど、色々コンボするとバズるみたいな悪の元素。

 

変えていく

①まず安物ジュースを止めて、Doleを箱買い。さすが一流!めっちゃ美味しくてお薬のくそ苦さもかき消してくれる!これだけで冷たいものの量が一気に減ったので、それ以外の飲み物は温(ぬる)めのお茶各種に。

②毎日湯舟に最低30分以上は浸かる。今までそんな時間ないと思ってたけど案外なんとでもなる。どんなけ日々無為に過ごしとるんや…←多分ネット(自分ツッコミ)

③日中冷房の中では靴下を履く、長袖を羽織る。

④そしてメインは「野菜お弁当」の開始。中華鍋いっぱいに好きな野菜を炒める。食べ応えのある素材がいい。大皿にてんこ盛りにして、それを毎日お弁当箱に詰める。おかずではなくて野菜しか入っていないお弁当。

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それだけじゃチカラ出ないよー!て思う方!…うん、んじゃやめましょう。これ私の生活に合った方法なのでオススメだけど絶対じゃないです。

それにいくら野菜好きでも最初は気乗りしないし、大体木曜日には「もうこれ食べたくない」って気分になるし。私、そこは無理しないでパンとか食べちゃう。でもクセになってた間食が自然になくなる。不思議なのだけど。少し小腹は空くけどそれほど耐えきれん!ほどでもない。不思議なのだけど(2回目)。

 

初日には、突然食べる量が減り野菜が増え身体が温められたことで一気にいわゆるデトックス(←??この言葉のうさんくささよw)されたらしく体重激減。とにかくうんこがいっぱい出るようになるんだよね、この生活になると。食べる量が減っても野菜をこれだけ摂ってるせいなのか、怖いくらい出るからね、実に爽快(笑)

 

野菜は好き!でもパンや甘いものの方がもっと好き!

少食だし気付くと糖質の物ばかりの食生活になっていたりする。いつも「野菜が食べたい」と意識して食べていても太り出すとなかなか止まらない。

ちなみに朝食は相変わらず菓子パン(1個でじゅうぶん)だし、夜は家人のおかずをちょこちょこ摘まんだり生野菜サラダとか季節なら冷奴も有り。あぁ、お米はそう言えば食べてないなぁ。食べたくなったりもするけど地団駄踏むほどでない。もちろん地団駄踏む前に食べたきゃ食べるし(おにぎり1つとかね)。

食べられる量が限られてお米やその他が押し出されてラインナップに入らないのだ。それより夜のアイスとか制限したくないし実際してない(笑) 

 

てことで、ヤンデル先生言わんとするところの「野菜を多く摂ることで自然に糖質や油モノが減ってる」という図式。

なんやかんやまとめられずにいたらサラッと1週間が過ぎてしまった。ちなみに減らしたいのは大体4kgくらい。最初の4日で1.7kgマイナス。うち1.3kgは初日での計量。あと2kgちょい。初日以外そんなにガタガタ落ちてるわけじゃないけど、まぁそんな簡単ではないだろうし体重を落とすのは緩やかな方がいいって言うし。

て思ってたけど、やはりイレギュラーなイベントがあるとなかなか難しい。7日目の昨日曜夜で1kg戻していた…。うぅむ…( ̄^ ̄;)

でもね、今日もちゃんとうんこはいっぱい出てるから!これが心の安寧をもたらすのね。うんこすごいね。

 

気長にやる

基礎代謝は加齢や生活習慣で落ちる。これは仕方ない。なら代謝を促すことをする。私はただ決めたことを実行する。いや、勿論体重が増えたら「ひぇええええっ!」て心は乱れるけどさ、この食生活を中心に考えると原因がはっきり見えてるので無駄に恐れなくて済むのだ。

実家に帰る用事が増えたり、フェスの予定があったりとなかなかイベントが多いけど粛々と続けようと思う。

  

ところで2週目の野菜炒めがこちら。

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あっ。手前に来てしまったおまけは、かぼちゃをつぶしてバターしょうゆで味付けしたもの。奥は大皿からお弁当箱に詰めた野菜炒め。(SNS映えってなんだっけな…)

今回は食べ応えあるブロッコリーなしなのでかぼちゃを急きょ入れたんだけど、ちょっと味を濃くしてしまったのね。中和の為に塩なしの枝豆いれたなだけど、んまぁ美味いんだ…すげぇ(自慢してます、ええ)。

ただね、味が濃いと口も腹もなんか「追加~」って。午後、これ結構つらいっす。飴とガムでひたすら口動かし、無糖紅茶(ぬるめ)で色々ごまかして仕事してたっす…