"ストレイシープ"って確か村上春樹がなんかの本に書いてたっけ?私はもっと前に使ってたんだけど??
あの時、貴方のことすべてを貴方自身が語ってくれた時に、私は本当は貴方を抱きしめるべきだったと何度も思い返しているけれど。
そうやって「まるで私たちは運命に取り残されたそれもまた運命の様な迷える羊だった」なんて思いあがってはいけないのだと、それに本当にそれをあなたが望んでいるのかどうかも不明なのだと、私は貴方の呟いた真実についてショックを受けるよりポケットから手を出すことへの逡巡で身動きが取れなかったのです。
何年もして「あの時は抱きしめて欲しかった」と聞かされて、過去というのはもうどうしようもいじることができない誤字の混ざったツイートのように取り返しの効かないものだと、喉元に熱くて重いものが詰まる気持ちになりました。
その頃はツイッターなんてなかったけど。
お互いに甘え下手で、それでも小さな愚痴を聞いてもらって生きていて、あの時の後悔は今もこれからも生きている限り続くのだろうなと、たまにあの熱くて重いものが胸からせり上がって私の呼吸を細くします。
貴方のあの独白は今も私の中にあって「だから貴方はこんな風なのだ」という人質のように貴方を自分に縛り付けているにすぎないのかもしれません。実際のところ貴方にはもう遥か遠い過去のことで、自身に起きた真実も、それを明かしても何一つ反応しなかった私のこともとうに忘れていて、忘れていてもどうということもなく、日々を過ごしているのかもしれません。
いつもいつも、貴方は何もかもなかったことにして忙しない今の日常を生きることにいっぱいなのでしょうか。
それよりなにより、貴方と私はこんな風に何も変わらずに息をして言葉を交わしているということに私は幸せを感じたり、そこにある今にも流れ落ちそうな水滴を見つめて、それがいつか重力に負けてしまうことが怖くてならない、そん風に相変わらず揺れるブランコに乗って、加齢によってバランス感覚を喪失して酔って吐いてしまうような人生なのです。
だからこの死んでしまいたくなるほど不味いめまいのお薬を飲んでいるのでしょう。
許してください。どうか。
そもそも羊は森の中に入り込んだりしないのです。
ねぇ。
そしてあそこは水辺でしたよね。