映画「マンハントEX 人狩りツアー」別な意味でじわじわする
昨夜、くだんの無料動動画アプリで。何も情報なく「グロそう」と言うだけで、これも時間潰しみたいな感じでチョイス。
終わってからググった。
アプリ検索した時は「マンハント 」としかなかったの、実際はこんな長かったタイトル。「EX」てなに?まあいいいか。
南アフリカが製作国でアフリカの話っていう設定だった。非科学的な呪術だのカニバリズムだのって恐怖感を煽るのはちょっといいイメージじゃないなぁ。作り話であることは分かってても。
最近は実在の国や街を使わない製作が増えてる。最初は「わぁ嘘くさい、不自然んん」って思ってた。でも紛争が起こっているとかマフィアとか麻薬とか、そういう話はリアリティを追求しつつも「かの国はこんな有様」という決めつけをしないという点でいいのかも。あくまでもフィクションとしての映画を楽しむのにそれほどマイナスにはならない気がして来た。
あと同タイトルなもんで、福山雅治の、ジョン・ウーの、ついこないだやってたの、ガルちゃんにボロクソ書かれててカワイソすぎた。本当に酷い言われ様だった。割りと同意したけど。
「目で、耳で…全身が叫ぶ!!
その恐怖、ショック死レベル!!
抜群の満足度を絶対保証!!」
という謳い文句がなんだかパンチ力すごくて何度も読んでしまった。つい音読までしたくなった。多用してるビックリマークもすごい。さすがカテゴリがアクション・スリラー。
多分こういった絶叫系を求める人が目を付ける映画なのだろう。でもそういう人たちは脳が慣れてしまっているからびっくりさせられたりはしても叫ばない、余程でないと。
私はびっくりしぃなので、映画館で観ていたら多分もうちょっと反応するかも。でも観賞後はガッカリ感を引きずりそう。どっちが良かったんだろう。
画面が暗くて肝心のところがイマイチよく見えない、生き残りそうなヤツすぐ分かる、ミステリー仕立てだけどもはや誰が誰とかどうでもいい、という物凄くこだわりを持たずにすむ、それであって分かりやすい映画だった。
「ショック死レベル」で怖がらせることを目的としてるなら「絶対保証」は失敗だ。申し訳ない。
人が残虐に殺されるシーンとかおどろおどろしい呪術とか、毛皮や動物の骨を使った衣装とか、登場人物の背景とか、ツアーに出かける人たちの背景とか、衣装とか、細工とか、殺され方とか…。それなりのお金をかけて試行錯誤を経て(知らんけど)、見所はここだなと、とにかく大真面目にこの映画を製作したひとたちがいるんだな。
「これは!ショック死させてしまうんじゃないか!?」
て考えたひとたちがいて出来上がった映画なんだ。
そう考えるとちょっとじわじわ来る。
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新しいことに馴染むまで時間が掛かる年齢となっています、どうも。
3年前に耳が不自由な母との連絡手段としてiPadminiを提供した。身体の小さな母には使い勝手が悪かったらしい。2年後の見直しの時に「小さいのがいい!」と強い希望を提示してスマホへの変更に至った。我が家にはその何年か前にガラケー持ちの家人が仕事で必要とのことでiPadminiを導入していた。でも家人には使いこなせず(私は教えるのが面倒だった)、私自身はiPhoneで満足していて結局埃をかぶっていた。
だいたい身体の大きさに関係なく、とても持ち歩く気にもならない。なんで母に渡したのだろう。
しかし完全に私のものとして手もとに来たせいなのか、Wi-Fi設定をしてるうちになんだか楽しくなってきた。主にYOUTUBEばかりを利用するようになった。スタンドを購入してお風呂でミュージックビデオを観たり、カラオケ音源でボイストレーニングをしたり。
ゆっくりとお風呂に入る時間が増えた。良き。
だけど映画は映画館で観る方が好きだ。画面も音響も大きくて集中してその世界観に入りこめる。それ以外に心を煩わされることもなくて、リラックスできるし。
なんとなく小さな画面では迫力もないし音も心許ない気がしていたし、まあとりあえず「観たい映画の見つけ方」もよく分かっていなかった。
強情なつもりはないのだけど「私はこうなの!」という固定観念がいつの間にか住みついてたことをいつも思い知らされる。「歳をとっても柔軟な心であり続ける」ことがどれほど難しいか…
て話だったっけ?違うな。
そう、確かちょっと時間が空いてソファに身体を預けて「なんか映画観たいけどレンタル屋に行くのもね」と思った時だ。都合良くテレビでいい映画をやっているはずもなく、iPadの電源を入れた。そしてくだんのアプリを開いてみた。
好きなホラーやオカルト、SFとかないかな…お、あるある、聞いたこともないB級映画がラインナップされている。あらすじも載ってる。ざっくりしすぎてさっぱり分からないけどとりあえず1本、時間もあまりないし15秒早送り早戻し機能(便利だね)を使って観てみた。70分くらいの映画を多分60分以内に観終えたと思う…。
もんっすごいしょーもない映画であった。妙な笑いを浮かべたままiPadから目を離す。そんな悪くない、というかまあまあ満足したなというのが率直な気持ちだった。無料だし気軽だし早送りできるし、気になったら戻せるし、こんなしょーもない映画を観ても不愉快にならなかったし、もちろん広告は挟まれるのだけどそんなに気にならなかった。こりゃいいぞと。
それからちょっと思い出すとアプリを開いて邦画洋画問わず「見逃してた」とか「どんなかな?」と引っかかったものを観るようになった。
ちょうど大杉漣さんが亡くなって、氏の過去作品に触れることが出来たり(あ、氏ではなく主役さんが好きだったんだけどね)、「スワロウ・テイル」はすごーく良かったし(あの頃の私は何をしてたんだ)、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」には図らずも感動した。ドラマチックだったし、何より嫌いだと思い込んでいたディカプリオがとても良かった。そう思った自分にもびっくりしてしまった…
というわけで小さな画面ながら多くの期待をせずに空き時間を使って地味に楽しんでいる。映画館で観る楽しみとはまた別だ。世の中はなんて便利になったんだ。ありがたいありがたい…
なんでも思い込んで頑なになってると損しちゃうな。
ブックオフオンライン「買取サービス《宅本便》」再トライ!で、また考えるわけ
先回は中身が分かんないじゃん!って言ってたやつ。↓
今回は一番下の矢印のとこ!
ここクリックするとタイトルごとの価格が分かるようになってた!それはそれでちょっと泣きそうになる内容だったりするけども、まあブラックボックスよりましだな。
古本とCD含めて69点の内訳を発送前にリストにしてなかったけど、結果を見るとほぼ古本には値段がついてないんだなー。リストなんて作り出したら余計な思い入れとか取らぬ狸のなんとかしそうだし、とにかくめんどくさいからいいんだけど。
今回は家人の所有物にも手を付けた。
「このCDもう要らない?」
「要らない」
というやりとりを繰り返して、めんどくさくなった家人が「明日出しておく」と言って、なんと翌日朝にはもう床に積んであった。うっそー?!珍しく仕事早かったぞ(ていうか集荷の前日にガタガタし出したのが私)。
家人が出したものの中には、カバーのない単行本や本人にも記憶にないCDとかなにそれ?みたいなのがあったり。
全体的に、私がにわかに乗って買った某ジャニーズモノとかここ1〜2年のものを除いてほとんどがそれなりの年数も経っていて、箱に入れる前に埃による汚れを拭き取った。手が結構にまあまあに相当に汚れた。日々掃除をしない性分の人しかいない家ってそんなもんだよなぁと気にしない。
本もCDも趣味のものなので減価償却という言葉はそぐわないけれど、もう2度と読まないだろう本や聴かないだろう(電子媒体に入れられる)CDたちは、家人にも私自身にも不要と思えるものだった。
結果が分かると「お、おぅ、これが10円か…」とじわじわざわざわしつつも、結果的に空いた棚を見ればいい気分だ。
私の収集はそんなに度を越してはいないと思う。子供の頃から趣味は変わっていないから蓄積を考えるとすごいんだけど、20歳で実家を出る時にうっかりそのほとんどを処分してしまったのだ。まさに「後悔先に立たず」で、後になって慌ててネットを漁って入手し直せたものの、これほどオタク文化が表沙汰になっても見つけられないものもある。
そうしてる内に新しいものも相まって確実に着実に増えてきていた。仕舞うべき場所がないのに増えてくるのは気持ちがよくないもの。収集への執着よりその気持ち悪さが上回るようになっている。
といっても今回あらためてあれこれ探ってみた結果、古いものや思い入れのあるものはやっぱり売る気にならなかった。戴いた本や若い頃に好きだった(今でもすごい好きな)漫画家さんの作品、中でも既に筆を折った方の作品は手放したら最後もう読めないだろう。20歳の時の失敗を繰り返したくない。多分生涯読み返す。多分生涯聴き続ける。その時その時に違う感じ方で胸を熱くするはずだ。 *1
まぁそうではあるけれども、生涯の残り時間が見えてきているし、もう数年もしたらどうにかすることになるのかもしれないなぁ…
ZOZOTOWNで買い替え割(不発)からの~
なんで…?
おさらいを何度もしてみた。その経緯をスクショでご説明しよう!(iOSアプリを利用)
・商品をカートに入れて「レジへ進む」
・ 届け日時と支払方法を選択して「次へ進む(最終確認)」
・「注文を確定する」の下に「買い替え割のご利用で今すぐ値引き!『あなたの下取りアイテムを見る』」がある。確定ボタンがでっかいので見逃さないよう注意。
買い替え割についてかなり逡巡して繰り返した画面遷移なので、決意して臨んだ注文ではしっかり確認しつつ進んだよ!
ZOZOTOWNでの購入履歴から買い取り対象になるらしい商品が列挙される。左にレ点が付いてるので売りたいものをポチしてく。
「特別価格」ていうのは「買い替え割にのみ適用される価格」ということで、これらを普通にZOZOUSEDで買い取り希望をするより値が高く付いてるらしい。にしても安い。まあフリマアプリ利用するより断然楽だしいいやと。
最後に買い取り価格の総計が出てきて「決定」
「その商品大丈夫でしょうね?」ていう確認メッセージ。ダイジョーブダイジョーブ!「申し込む」だよ~!
ようやく差額の合計が出てきて、ほい「確定」。注文できた!
…はずだった。
だから買い取ってもらう服をせっせと洗濯してせっせとブラシをかけて綺麗に畳んで正座して待ってた。
しかして届いたのは商品だけだった。箱をどうひっくり返しても(買ったのは2点)バッグも今後の手続き方法の紙なんかも入ってなかった。
なんで…?
注文履歴を調べたら、買取の記載がなかった。
なんで…?
『あとは商品と一緒に専用バッグが届くのでチェックした服を入れて送付の手続きをしてね。なんならリストには載ってないけど売れそうな服を入れてもいいよ、でも買取対象のブランドは調べてね』的なメッセージが出たことも覚えてる。
だから準備して待ってたんだ。
でもシステム上はどうやらそうなってなかった。
なんで?ねぇなんで??
アプリからヘルプを調べるも該当の項目が見つからない。PC開いてサイトからチャット形式のヘルプで質問したけど項目選べってことで同じなので、問い合わせ欄からメールした。
すぐに問い合わせ受付自動メールが来て、返信は翌日に来た。
「お客様のご注文履歴を調べましたが、買い取り割の手続きはされていませんでした。ハイ残念でしたー!次の機会によろー!」
(最後のところはちょっと受け取った時の私の印象操作しました)
いやいや、注文履歴は私にも見れたし全然納得行かないわー。納得行かないけどもうめんどくさいわー…(このめんどくさがりがつよいクレーマーになれないみある。あと私自身にこの企業をより良くなるべく頑張ってもらおうという気持ちもないことが分かった)
…あっ?メール保管してあった!(さっきのスクショはおさらいのために別の商品で手続きをしていったので別の金額です。尚、確定せずにアプリを閉じました、蛇足まで)
そうだそうだ思い出した。「なんで買い替え割の記載がないのかな?」て思ったんだった。でも「商品があちらに到着して査定しなきゃ金額は確定しないのかも、そうかも、そうだろう」と勝手に思い込んでしまった。
メールの最後にちっさい字だけど「ご不明な点がある方は~問い合わせください。」て書いてあるよー。
あるよーー……
初めてだったもんで思いめぐらす余裕がなかったんだ。しつこく問い合わせしたり文句言ったりしなくてよかったよ。ていうかそれでも腑に落ちてはいないんだけどさ。だってしつこいけど、本当に何度も決済画面から買い替え割の画面に飛びつつ悩みつつ、決意の果てに注意深く注文手続きをしたから。間違いのない様にと。
でも間違えたんか。そうかもしんない。なんか間違えたんか。人間だしな。自分の事をそんなに信用してないしな。性格もそうだけど、加えて年齢もあってボケてるのかもしんない。
問い合わせメールする時に勢いZOZOUSEDの買い取り依頼をしてて、昨日バッグが届いたところ。買い替え割ではないので更にお安い値段が付くことだろう。この際訳の分からない服もごっそり入れたろう。いやその前に、フリマアプリにほっといてる売れ残りの服をZOZOUSEDよりマシな金額でがっつり安くしてみよう。
とにかくもうあれだよ、そこそこ減ってるとは言えまだまだ減らそ、服。(何遍目やねんこの決意)
スズメの件
「弱ってる動物を『保護するな』なんてひどい」
「法律ですから」
人間社会に生きる為には法律は守らないとならないので、感情論では楯突けない。なんていってもこの法には罰則もある。結構厳しいやつ。かわいそうだなんだと駄々こねても、それは変わらない。
「鳥獣保護法」は文字通り動物を護るために制定されてる。「保護したい」のに法律では「保護するな」とある。矛盾してるようだけど、自然界に人が手をかけちゃいかんのですよ、それは自然を守りひいては動物たちを守ることになるんですよ、ていう話だから矛盾はしてない。
それでも、弱って今にも死にそうだとか今にも捕食されてしまいそうだとか言う小さな命を目の当たりにしたら、助けたくなるのが人情。可哀想だから助けたいと思う。自分には自然な気持ちだし、今騒いでる人もそうなんだと思う。多分興味のない人にはそんなことないだろうけど。
ちゃんと言えば、「飼育目的に捕獲すること」は処罰の対象になる。ただ「動物や卵を病気や他の理由で緊急に保護を必要とする場合は捕獲や採取が可能」っていうのもある。読む気が失せるから法文を掲載しない。合法的に保護することも可能なのだという。まぁそれもちゃんとどこやらへ許可を取らなきゃならないとかめんどくさいし、そもそも法律ってのはなかなかに「実用的じゃない話」が多いんでしょうけども。
要するに、野生動物とて命は尊いものだし、救いたい気持ちを誰にも非難されるべきじゃない、でも法律としては「自然界に人間は介入しないように」、「飼育は絶対ダメ。それを売ったりする人が出てきたら売買目的の捕獲が制御できなくなっちゃうからな!」てのが言いたいんだと思う。
どっちもすっごく大事。命を守るためにすっごく大事。
法の抜け道をっていうわけじゃないけど、保護してある程度まで育て(飼育し)て野生に返すとか、野生に返せないなら「飼育」ではなくあくまでも「保護し続ける」という解釈で、そしてなるべくおおっぴらにしないようにするのが得策じゃないかな。
もう一回言うけど「法律法律って、ちょっとくらい見逃しなさいよ!」て感情論は無意味。どうしても許せない人は勉強して(あとどうすればいいのか知らんけど)、法律を変えられる人になった方がいい。
通報が来たら機関の人たちはスルー出来ない。それが仕事なんだから。「可哀想じゃないか!」じゃ法律もそれに則って仕事してる人たちも変えられない。
「んじゃ今回だけね」って言ってそれをSNSで発表されてみなよ、「あれはいいって言ったじゃない!」って言い出す人おるんやで。
法律に定められたことを守らないなら、日陰を行きましょうよってこと。そしてリスクもちゃんと調べて考えようね。例えば保護の仕方とか感染性の疾病とか、例えば命の責任のこととか。
ちなみに私は基本的に手を出すことはしないようにする。辛くてもそうする。救えるかどうか自信がないから。あと法律を綿密に調べるのも億劫だし、病気のこととか責任も負えないから。
野生に生きる動物を手もとに置くことの寂しみみたいなものを知っているから。
こんなことありましたけどね。
人間が一喜一憂してるだけで知らんところでたくさんの命が生まれては消えているのですよね。乱暴な言い方だけどスズメの子が衰弱死してもカラスに食べられても、絶滅したりしてない。 己の「可哀想なスズメ、すごい可哀想、哀しい」ていう感情は己の中で解決しようって思ってます。