我らが「忘るまじおじさん」とは
えっと。
以前こんな記事書きました。
ワタシ、もちろん林檎さんは聴いてきた世代です。あ、この際”時代”とか”世代”っていらないアーチストさんですね、彼女は。
誰かと比較することも出来ないような世界です。憧れとかなれなれしい感情も生まれて来ません。
はぁぁぁぁぁぁあああああああああ…ステキ…
(それくらい言わせろ!!)
最近、ボイトレの成果であれこれ歌えるようにって話もしたかもしれないですが、おこがましくも林檎さん楽曲もトライしてます。(課題曲にはまだ程遠いよ。)
昔は本当に全然歌えませんでした。メロディの複雑さや音域が全く手探りでした。カラオケボックスで流してうろたえること数回…。でも今は聴きなれたものならワントライで歌いきれるようになっています。(勿論、誰にも聞かせていないのでご安心下さいませ。)
てことであれこれ動画も見回ってまして。
そこのお方!!ねぇちょいと見おぼえないかい?!
ほら、サングラスにちょび髭に麦藁帽。
…チャゲ?
…違う違う。違うよ!!!!!
でもすんごいどこでもいそうなこのおじさん!!
いや見えますよね?見えますよ、
マイフェバリットおじさん「長岡亮介」さん!
イマイチピンと来ないけどぉ?!
何故なら、私のおじさんは源くんの横で優しい笑顔でノリノリギターを弾く横分けバッサーなイケおじなんで。
こんなちょいワルじゃない。
東京事変に参加してたことはちゃんと調べがついていますしね。見覚えがありすぎますわよ。
ええええやっぱり長岡亮介さんかよ……
なんで「忘るまじ」ばっかりなんだよ……
…
旗振ってるパジャマのおじさん。私のタイプじゃない。しかも顔がなんか四角くない…?
この人とはちょっとスタジオでいちゃつくとかないなぁ…。
(全部妄想なので)
あ!こっちを探してたんですけどね。↓
(悪意ないけど、トータス松本さんがちょっと可哀想なんですよ。個人的にね。すみません。なんでかって言えないですけどなんか可哀想なんですわ。ミュージックステーション拝見しまして。うわぁ可哀想…て。いいんですいいんです、共感とか要らないです。申し訳ないです。)
すごいですよね。たったの1分30秒の動画です。
なんでしょうこの咲き誇る
銀座感。昭和感。林檎感。
人が引いた頃に行くね、ギンザ・シックスには。
ああ、でもこっちもちょっとまだちチャラくて悪そうだ(画面暗い)からいちゃいちゃできないなぁ。やっぱり源くんの横でにこにこしてる今の…(戻って続く妄想)
神回「大泉洋」
もしや…?
もしやお前、まだ星野源「いのちの車窓から」読み終わってない?
2〜3日で読了だねとかほざいてたよね?いや、2〜3日に1本読む?にしてもまだ??
そして2回目の「神回」てなんなの?何遍「神回」なの?
うるさいよ!!
楽しむんだよ!!
ずぅぅっとバッグに入れて「いつだって読めるのさ!ここには温かい源ちゃんがいるのさ!」ていう気持ちで生きてるんだからほっといてよ!
…
今日は「大泉洋」を3駅10分程かけて読んだよ。
まだにやにやとじんわりじんわり。1本読み終えたばっかりホヤホヤ。
つい1〜2週間前に"星野源のオールナイトニッポン"で怒りまくっていた大泉さん。
源ちゃんはただただ大笑いしていた。
大泉洋は変な人だと思う。
とにかく目の前に立ちはだかる邪魔なものに片っ端から文句を垂れまくっている。
でもあの北海道訛り、眠たい目、天パのくるくるした髪とか、とにかくどうも笑いがこみ上げてくる。
可笑しい。
キャラが可笑しくてたまらない。
キレまくって怒っているのに誰も不愉快にならない。
毒舌極まりないし、本人に対して「全力で君を阻止するからね」と宣戦布告してしまうのに。
自分の子供以外「子供なんて全然可愛くない」と平然と言う。この少子化問題大旋風の時代にあって。
その放送を観て私は爆笑したもんね。
考えると源ちゃんとは対極な部分で愛され要素がダダ漏れな人なのかなと。
才能ある「not イケメン」は同じなんだけど(笑)
決して悪口を言わずいつも笑顔でほわほわな湯気に包まれてる源ちゃん。
この人は陽の当たらない氷の大地をツルハシ持ってのしのし歩いてる感じなの。
え?…いや違うな、例えがおかしいな。
ま、いいや。
つかみどころのない2人の根底には愛があって、どうやら相思相愛みたいでおばさんは微笑ましく見守っているよ…
やっとGWも本番。てところで喉の調子も鼻も変。咳もまた出てきた。これって喘息じゃなくて風邪でない…?(震)
いずれにしても予定通りアレルギー科受診の為に午前休。午後はあれこれ休み前にやっておかねばならんことでバタバタだな…
映画「ムーンライト」(2017年アカデミー賞作品賞受賞作品)
ブログタイトルを「涙腺バカがゆく」とかにしようかと思い始めています…
何度か書いてるかもしれないけど、私は様々なことに差別意識はあまり持っていないつもりでいます。それでも好きではないもの、苦手なものはどうしようもなくあることを認めています。この映画で言えば主要な情報はほとんど当てはまりました。
だからアカデミー賞授賞式のハプニングを楽しみつつも全く観る予定はありませんでした。
しかし観ました。
黒人、暴力や犯罪、クスリ、親との愛憎、レゲエやヒップホップ…
全て苦もなく私の中に流れ込んで染み込んでいきました。
私のこの苦手意識は、小さな主人公を優しく慈愛に満ちた笑顔と言葉とチカラで支えてくれるフアンという登場人物の存在で一気に吹き飛びました。
「最初の人類は黒人だ。世界中には黒人がいっぱいいるんだ。」
このセリフに軽いショックを受けました。
小さな島国で同じ民族に囲まれてるというだけの安心感から来る苦手意識など、ただ自分を何かに縛り付けてるだけなんだなぁと。つまらない小さなことだけど、「苦手だ」とわざわざ言うのって恥ずかしいかも…
んー、いやちょっと整理はつかないけど。
不思議だったのは、黒人同士であって親しい人に「ニガー」や「ブラック」という呼称を使うということです。
私にはそう言った言葉は白人が黒人を侮蔑するものだという認識がありました。日本人で言えば「ジャップ」とか「イエローモンキー」とか?これ、古い情報なんかしらん?
主人公の大切な友人との会話の中に
「ヘイ、ニガー!」
「なんでそう呼ぶの?」
「あだ名だよ。なんだよ、いやなの?」
「ううんそうじゃないけど。あだ名で呼ぶヤツなんて他にいないし、変じゃん。」
ていうのがありまして。
そこ?!て首が傾く…。しかもそれ以上続かない会話。傾き続ける私の首と頭。
その間の中には、あだ名で呼んでくれる親しみの余韻がじわわわわわんと流れていて…。
子供の頃に親からの十分な愛情を得られない、学校では度を過ぎたイジメ、自分が一般的ではない種の性愛を持っているかもしれない、孤独の中でやっと出会えた信頼できると思った大人が実は自分の環境を壊す仕事をしていた、信じていた友達に裏切られる…
これらはドラマの要素としてはよくあるし、私は自分の経験を重ねて感情移入をしてしまうタイプなのだけど、苦手意識を除いてもそんなに感情移入できるかなぁと思っていたのが嘘のように、にっこりしたり涙したりを繰り返してました。
フアンが海で泳ぎを教えるシーンは本当に素晴らしくて感動しました。
個人的に水が好き、水面の目線がとても好きなのです。水中と空を見るあのカメラワーク。
主人公を取り巻く環境がそのまま水中の浮遊感と、天空の確たる存在、不安と安心が波の動きに左右される感覚として伝わります。
フアンの力強い腕の支えと教えによって泳ぎ方を学び楽しみ、波と遊ぶようになる主人公。
こっちまで嬉しくなって笑顔になるのに、同時に涙が溢れます。ハイ、涙腺バカ始動。
IN THE ARTICLE SIDEBAR
期待、信頼、疑い、裏切り、失望その繰り返しの中で主人公は成長していきます。
酷い目に遭わされてきた母親と、大人になって向き合った時に
「愛してくれなくていい。あなたに愛が必要な時に愛せなかったから。それでも愛している。」
という涙にももう涙腺崩壊。
謝罪でもあり、言葉と裏腹な「愛の乞い」でもある気がしました。屈強な身体と人を脅かす様な容姿になった主人公から水滴となってあふれる涙は、少年の時の傷つきやすく、不器用な心が変わらずそこにあることを教えてくれます。
どんな目に遭っても人はそんなに変わらないのかもしれない、いや、本当に大事な自分を守るための筋肉や金歯なのかもしれない。
「人生って怒りも悲しみも苦しみもときめきも許しも懺悔も呑み込む波」なのだなぁと噛みしめました。
感動シーンをうっかりネタバレしてる気がしますが(笑)
実のところ本当に良かったのは、とにかく恋心がくすぐられて、下手な少女漫画の実写版なんかよりずっっと胸に迫り、
苦しくて切なくて、どうかこの時間を、この想いの未来を、2度と若さゆえのアクシデントでぶち壊さないでと必死に祈るラスト20分ほど。
若過ぎて上手く行かなかった、忘れられなかった気持ちの行方を救って欲しいとハラハラが止まらない。
街のざわめきも
雨音も風も
ドアの隙間も
音楽も
辿り着く波の音が聞こえる部屋の穏やかさに心が震えて
怖くて言い出せなくて
愛しくて心が揺れて
目の前にいる、そこにいる、
手を伸ばせば触れられるその愛しい存在が
また消えるのが怖くて震えてる
このラストシーンの風景や音や気持ちを、私の中にある微かな乙女の恋心を引っ張り出して重ねてみたら、誰かと共有したいと思ってしまったよ。
好きな人を思い続けてる自分。おばさんにもあったよ!
そしてこの歌詞が思い出された。大好きなこの片想いの歌詞。
「後ろ姿」柴田淳 より
ステキなものに出会った時、
「伝えたい、早く伝えたい、あの人に一番に」
そう思うことありませんか?
そういう恋の様な気持ちを最後に何度も何度も胸に注入された気がしました。
きゅーんきゅーーーぅぅぅん
最近、「これは観ないでいいや」と思っていても結局観ているという映画が増えてきました。今回もその理由はこちらのコラムです。
ツイッターでたまたま見かけて、ふざけたツイートや大喜利の仕切りやフォロワーさんとの絡みが面白くてフォローしました。そしてたまに大喜利に参加したり大笑いでRTしたり、楽しませていただいていました。
このコラムを不定期に掲載されていることを知り、壮大な文字数に詰め込まれた情報はツイッターとは別の魅力に満ちていて読みふけるようになりました。
とっくに公開を終えた映画を観たくなったり、噂の映画について自分の感想と重ねたり、深さを知ったり。
今回も「なしやな」と思っていた作品でしたが、黒人の映画がアカデミー賞、そしてブラッド・ピットがプロデューサーとして参加しているというのもあり、拝読…
お!改ページが導入されてました!!(とにかく長いんですよ、私のなんてカスみたいなもんですよ)
そして2ページ目で中止。まず観よう!となりました。
これを読み返してまたうるうるしてしまいます。
完全ネタバレコラムですが、私のようにただ感情に任せてうわ言を綴るブログよりもうーんと分かり易く、そして深く作品を味わえます。
観てない方も観た気になれます。
全員から連絡きて軽いマウント返信したらみんな黙った
先日、「おじさんたちに言いたい」をアップしたら突然、返信のなかった”世捨て人風なおじさん”からメールが届きました。
うわぁ、ごめん(笑)
謎の高熱を出して寝込んでたそう。
「調子が悪いのはなんでも加齢のせいということに」っていう、でもみんなだいたい40過ぎるとそんな話になる訳で。
さてその反応も、”定年おじさん”は相変わらず「企画をー!会いたいー!」で、どうやら最初のメール以降音沙汰なしの私に痺れを切らして、私の次に若い”テニスおじさん”にロックオン。でもそのテニスおじさんは私より不精。そして忙しがりアピールすごい人なので実現はなさそう。
定年して想い出作りしながら生きてる人と、まだ現役でいろいろ抱えてる人とは当然時間や気持ちの余裕に差があり過ぎると思うよ。
私はメールを書きながらつらつら考える。私はもしかしてもうこの人たちと会いたくないのかな?とか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー☆☆
みなさん昔より格段に反応速度が上がりましたね、びっくりしました(笑)
全員の生存確認完了しました。
私も日々ヘトヘト、朝は生まれたての子鹿の様に震えて起き上がります。
喘息は数年前、ああフグの時も既に出てましたよね。煙草死ねって思ってます(何か見た)。
年末から不調だった喉は、喘息の吸入薬のステロイドに免疫を奪われて内在菌がカビを生やしてくれてました。
昨年春はインフルエンザから中耳炎で鼓膜切開、更に胃炎で2回救急搬送。
今年はもうまっぴらと思っていましたが、既にあちこちの病院の領収書わっさわさ。今年は医療費控除申告したろと思います。
先週末からまた喉が変になってきました。カビはもうまっぴらです。
ところで「まっぴら」って語源なんですか?
春は体力が消耗します。喘息も悪化してきました。
先日の喘息診察の際に、更年期障害や肩凝り、自律神経に効果のあるプラセンタ注射を受けてきました。効果は不明。
今朝は電車に乗って星野源のエッセイを1話読んだところから会社に着いたところまで記憶がありません。
~
母は「100歳まで生きるから貴女は70まで働きなさい」と言います。父はすり足で歩きますがそろそろオムツが必要です。月に1度は行かないと母がおかしな事を言いますので、私もおかしくなります。
星野源のライブは去年から全然チケットが取れなくなりました。責任者出てこい。
GWに近所のハマスタで秦くんがライブなので久しぶりに行きます。
~
映画はレイトショーかレディースデイで月に3本は観てます。
猫がおじいちゃんになって色々良くない病気が発覚したりして色々なことを考えました。QOL優先で愛情過多にて暮らしています。治療はしていません。
猫の調子が少し安定したらもう少しレイトショーを増やしたいです。
ボイトレに通って3年になります。やっと思い通りに(?)歌える様になってきました。知り合いには不思議がられますが、歌は誰にも聴かせたくないし聴かせてはいません。
恥ずかしいからです。
~
おじさん達と同じ様におばさんも同じ速度で老いてます。(猫は4倍以上の速さです)
まもなく50歳、こんなガタガタになってるとは、いやまあこんなもんでしょう。36歳寿命のつもりでしたから、今は燃えカスです。
世界は混乱していますが、今月からはまた社会保険料が上がって安月給は安定上等です。バンカーバスターが登場したら夜空に祈りましょう。
そろそろ腰も足もしびれて来たし、お風呂も入らなきゃだしってとこで膝から猫が降りてくれました。
みなさまもどうぞご自愛ください。
会える機会を楽しみにしています。
ぎこ(夜更かし癖か直らない)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー☆☆
仕方ないねぇ、5月か6月あたりに企画するかねぇ…
(重い腰…よっこいしょ)
ところで「よっこいしょ」の語源て…(ry
おじさんたちに言いたい
年賀状を出さなくなってからもう15年ほど経つ。
それまでは干支の絵を含めて自分で描いてプリントゴッコ(ってまだ生きてる?)*1で印刷し、宛名は手書きをしていた。家人の分も合わせて毎年約100枚を超える程度。
結婚して干支を一周したところで、様々な要因が重なって私の何もかもが疲弊してしまった時期に、年賀状を出すことについてもサラッとやめた。
毎年届く年賀状がみるみる減っていくけど当然だから気にしない。
両面印刷でも、きちんと一言を添えて途絶えることなく送ってくださる知人は数名いて、頭が下がる。ありがたいことだと思う。それがまた、皆忙しくしてるだろうなという方々ばかりで恐縮してしまう。
ふと嫌なことに気付いたので書きかけてやめた。書き始めると余計な気付きがあるものだ。そこは深追いせず忘れよう。
毎年年賀状を送り続けてくださるそんなおじさんたちに、実はちょっと思うところがある。
私が20歳で新社会人になった職場で、5〜12年上の職種の違う先輩方となんとなく気が合って交流が始まった。足もとがふわふわした若輩者を仲間に入れてくれたのだから本当にありがたい。
一番上で32歳、思えばみな若さで何につけても無意味に勢いが湧いて溢れてる年頃だ。男女未婚既婚半々で合わせて5~7人。毎日終業後に仕事の話でわいわい騒いでいたけど、それが徐々に男女の関係に話題が移り、「付き合いとは?」「結婚とは!」みたいな方に深まっていく。いやぁ無意味w!
クッソどうでもいい議論に小難しく屁理屈並べてたわ(笑)(尚、低学歴の私は途中からひたすら聞いて理解することに専念していたけど)
若いなりに季節によってはアウトドアっぽい行事もしてた。まぁ歳とって次第に消えた。
転職や異動であっという間にばらばらになっても、飲んだり鰻食べたりと交流は続いていた。これも間隔が伸びていくように。そして年々減って現在ミニマム4人。
私以外のおじさん3人は職業は同じなのでたまに資料で名前を見つけたり、研修会などですれ違うことがあってもプライベートでは会うことがないらしい。
SNSは一切していない。(携帯メールの導入すらここ何年)
ネット用語もLINEも知らぬまま。
(老い先短いのに役に立たない新しい情報とか不要だと断言。頭良いのか悪いのか謎。)
でな、おじさんたち。
情報制限されたおじさんたちとの「ただの飲み会企画の困難さ」を想像して欲しい。
ありがたい年賀状に必ず「次も企画してください!」「そろそろ美味しいものが食べたいな!」「またお願いします!」と毎年書いてくるありがたいおじさんたちよ。
”ありがたい”気持ち以前の話になるよ。
もういい加減な
自分で企画しろ。
(そんな飲みたいなら)
昨年末に携帯のキャリア変更でメアドが変わったことを連絡していなかった(私も大概不精)。先々週3人宛に無沙汰を詫び、変更のメールをしたところ2人から速攻で「そろそろ会いたい、企画を…」という全く同じ文言が返ってくる。
定年退職して何してるか知らんけど多分適当に仕事しながらぷらぷらしてるおじさんは
「オレはみんなより比較的時間があるので予定合わせます」
とか。
違う、そうじゃない。
そこは「オレが仕切ろうか?」だろう?!
常々土埃にまみれてる熱血テニスおじさんは「60までの目標は姿勢とがに股を直しすことです!」とか。どーでもええええええ。
残るおじさん、最後に会った時は世捨て人か仙人かまたはマッドサイエンティストかよ!という様相*2だったけど今回生存未確認(メール不達通知はないから多分生息してるはず)。
男だからなのか。職業柄なのか。ただの性格なのか。
飲み会幹事は最年少がする世界ルールでもあるのか。
私もおじさんが老化するのと同様の速度で老いてるよ。
おばさんはおじさんたちの世話係じゃないよ。
おじさんたちより安い月給(これについては「知らんがな」受付可)で、でも同様にフルタイム労働で家のローン払ってヒィヒィ言ってるんだよ!!気付けよ!!!
本人たちには決して目に触れない世界の果てで叫ぶ。
おじさんたちはしばらく放置することにしているよ。