「九月の四分の一」大崎善生 著
作者、大崎善生は将棋の雑誌の編集長から小説家になった人である。
数年前に知人が貸してくれたこの人の本は将棋の世界のドキュメンタリーだった。
モデルとなった棋士の生涯も心を激しく揺すぶるものだったが、あたしはこの書き手の魅力に惹きつけられた。
その後、彼の短編小説を何かの雑誌で読むことになった。
それは将棋とはまったく離れた作品であったけれど、「チェス」に夢中になる青年の物語だった。
今回偶然本屋で手に取ったこの短編集の文庫本にそれが入っていた。
「報われざるエリシオのために」
である。久しぶりに再度熟読した。当時は切なさだけが胸を打った。
あれから何年か経っているのに、やっぱり切なかった。もしかしたら希望があるのかもしれない。
でも、自分はやはり何も変わってない。
変わりたくないし、変わったら自分じゃなくなるんだと思う。
「切ない切ない」といつも思いながら生きる。「何故?」といつも問いながら生きてしまう。答えは何処にも見つからない。誰も見つけてはくれない。
「ケンジントンに捧げる花束」
「悲しくて翼もなくて」
「九月の四分の一」
4篇の短編はどれも切なく悔しく、そして限りなく美しい。
解説を石田衣良が書いている。「オオサキブルー」と表現するその文章に、同感である。
しかし、「キリンが通貨」というエピソードの種がうける。w
ほんとなのかっっ??
自分は0.5キリンくらいかな。
機能はあっても繁殖もせず、誰も楽しませないものね。