ぎこの観たもの聴いたもの

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

家事代行サービスを利用してみた。②

 

bionic-giko.hatenablog.jp

 

前回、よしオッケーあとはその日を迎えるのみ!で終わらせたんだけど、もうちょいタスカジさんが来る前にした作業について書いておく。

 

まず要る要らん作業

まずとにかく要らないモノを捨てておく。モノを減らさないと整理しきれないかもしれない。タスカジさんが来てからやってもいいけれど、捨てていいのかの判断はタスカジさんには出来ない。

(想像)

「これはどうします?」

「えーっとどうしよう、」

「これは?」

「あっそれはえーっと、」

 

ええいまどろっこしい!時間のロスや!!いや迷うくらいなら捨てればいいってむしろ捗ったりするのか…?

あ、でも全てを仕舞うこと前提で「この山積みの衣料をとにかく片付けてください」という話ならどんどん畳んでどんどん仕舞ってもらえばいいんだろう。

 

限られた時間で作業をする上で効率はとても大事だ。限られた時間を有効に使いたい。残業はないし、あるとしたら私がする羽目になるのだ。嫌だ嫌だ!絶対イヤ!!

 

てことで私はまず来てもらう前にやることを選択した。

衣類や靴の他、フィルム含めた写真関連、手紙の束、ショッパー…とにかく出来る限り心を冷酷にして捨てることに努めた。1人作業は迷うことが多い。

しんどくなったらやめる、思い出に浸ったらやめる。そうやって数日。物置の3分の1のほどが空き、クローゼットの謎の段ボール(大)もひとつ消えた。

 

なんかその時点で結果が出た気が…。嬉しい。ゴミを捨て、空いたところに収納を、とポチる余裕もあった。

すごいじゃん私。万全じゃない私?あとはもうどんどん畳んで仕舞ってもらえばいい感じじゃない?

これもう余った時間はあそことかここの整理整頓について相談出来そう!

 

ところが。

見逃していたでかい山

クローゼット入って真正面にカオスな山があった…。

賃貸に住んでいた時に揃えた押入れサイズの収納ケース(経年で歪んでる)、更にその上に部屋着や寝間着、ベッドリネンとかの日々使うものが無造作に積まれた山。

見逃してたというか、そこはほぼ毎日手を付けているため片付け対象から除外してた。何故だろうか、大概なカオスだ。ここを整理するだけでも見栄えが全然違うだろう…

 

タスカジさんが来訪して「こんな感じなんです////」とクローゼットを紹介し、説明をしようとするその時まで全く認識してなかった。

「うあ?!」という声が出てしまった…⤵︎

 

作業開始

眼前のカオス山に心を乱されたものの、すぐに気を取り直して一番気になっていた上部棚の作業をお願いする。

「畳んで行けばいいんですかね?どんな風に?」

「どう仕舞えばいいか、それが分からなくて…」

「とりあえず季節別にしましょうか、ロールすると場所の節約になりますよね」

「衣類の入ってるこのケース、もう捨てたいんです、こっちの新しいのに移したくて、」

「捨てちゃうんですか?」

「古いし、ここに置くのに不都合があって…」

「(古い収納ケース眺めながら)うーん、まだ綺麗だし使えますよね…」

「んー…あ、じゃあこれを上の棚に?」

「ああ、それがいいかもですね」

という感じで相談しつつ、作業が始まった。

ただなんかサクッと行かない。具体的な作業手順が上手く指示できない。

 

予約をして支払い手続きをした時点から、タスカジサイト内のメッセージ機能でコミュニケーションが可能になる。そこでお願いする内容の話はしていたし、準備もしていた筈なのに…

 

主導は当然依頼者にある

作り置き料理や単純な水回りの清掃などと違って、整理整頓・片付けと言うのは全部任せっぱなしにできないのだ。

いや、そうしてしまっても良かったかもしれないんだけど。もしかしてその方が良かったのかな…話堂々巡りしてる←

いやータスカジさんもそれは戸惑うし困るよな…

 

実は終わった今も正解は分からない。

私はとても一生懸命頑張ったし、タスカジさんも本当にとても良く働いてくださったのは間違いない。それだけは事実だ。

 

続く

カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作 映画「万引き家族」~さすがカンヌ。地味!

映画祭最優秀賞とかなんか華々しい感じするけど、ハリウッド映画じゃないし、なんつってもカンヌってこういうのん好きよね…とても地味な映画。

強い感情が出てこない。鈍く鈍く訴えかけてくる何か。その何かを考えなきゃという気持ちになる作品だった。

 

 

国際都市東京のどこかの住宅街のぼろぼろの平屋一軒家に、一般社会からほぼ隔絶された人が暮らす姿を世界がどう観て理解するだろうか。まずちょっとそういうことが気になった。

この貧しく薄汚く見える暮らしぶりに、多分同じ日本人でもピンと来ない層もいるんじゃないかなとか思う。

不安定な収入で何か裏のありそうな人間が寄せ集まったそれは、まるで家族に見える。誰が親で誰が子供で更には孫なのか…なかなか実態が分からないのだけれど、なんとなく家族に見えている。

2月の冷え込む夜、男は虐待されていると思われる少女を見かけて連れ帰る。ここに住まう人間たちに瞬間的に膜が張られる。それに冷たさを感じて胸が一瞬縮む気がする。

「誰なのか、どこから来たのか、犯罪じゃないか、延いてはこの暮らしが明るみに出る危険因子では…」

膜の向こう側でそんな思案が揺れる。しかし気付くと膜は溶けてなくなり、少女はその集団に収まってしまう。

温く湿った家の中。優しいのか苦しいのか、感覚が麻痺してしまう。

 

物語はいつから始まってたのだろう。もともと形を成しているのかも分からない集まりが、少しずつ崩壊へと進む。

最初から形無いものだとしたら崩壊というのもおかしいが。

 

「この不安定さは日本の姿そのものだ」と誰かが解説しているのを読んだ。

 

確かにそんな気がする。

仕事、未来、夢、老後、それよりなにより今の生活そのものにすら安心感が持てない。明日をも知れない暮らし。家を持ち、食事をして、掃除をし、着る物を整えて、毎日仕事へ行っていても「安心な幸せ」が実感できない。

何かをきっかけに転落するかもしれない不安と背中合わせの私たちは、人の不幸を見るというより身につまされている。

 

そりゃもちろんせっかくある仕事を続けられないだらしなさはダメだ。でもそのだらしなさが全ての原因かと言ったらどうだろう。…まあ、このリリーさんの人の場合はそうかな(苦笑)

頑張っても報われない世界に疲れる。頑張る気力もうまく出せない。今まさに自分もそうだ。

雑なものばかりに支えられた暮らし。

汚れたものを見て見ぬふりしてるのに、放り出せずに抱えて生きる息苦しさ。

正義とか悪とか、そういう線引きが欲しいのじゃない。否が応でも抱えてるしかないのだから。どうしたらこの汚れた不安から逃れられるのか。

 

これを「万引きを賞賛する映画」と捉えるひとって、もしかして完全なしあわせを手にしているのかな…。

 

やっぱり国際映画祭受賞ってちょっと不思議だ。どんな風に見えるんだろう、この日本という国が。その舞台が首都東京であることを。

それともどんな進歩発展した国にも、こういう不安はあるんだろうか。

ただ生きていくことがいかに不安定かを、思い知らされる映画だ。

 

 

リリー・フランキーさんの底知れないキャラクターの宝庫をまた見せつけられてしまった。

以前YMOのインタビュアとしてむちゃくちゃ緊張してるの見た時は、「リリーさんにもこんな普通な感覚あるのん?!」と思ったりする程度には変態だと思ってた。

テレビの時って"バリっとした小洒落たスーツとハットを着こなすステキおじさん"がデフォで、ついカッコイイなぁとか思っちゃう。でもあの人ラブドール集め公言してたり、言うことがクズっぽいし、とりあえずやっぱり変態枠。

これまで観てきた映画の中の役柄はほぼ「狂気」に括られる気がする。めっちゃ怖い、もう理解不能なくらい怖いひととか、背中に闇しか見えない謎の医者とか、妙に優しいダメおじさんとか…ん?今回の役はそれに近いか。

バリッとしたスーツ来たら化けるとは思えないくらいだらしなく貧相でしょぼくれた裸…もう絶対ジムとか無縁の。

それがもうなんていうか、この映画の象徴みたいで。

真正面で観るのが辛い。

リリーさんの不安定さ、奇妙さが完全に映像化されてたな、これは。

 

なお、後半になって急に豪華な脇役がどんどん出て来る。余りの豪華さについ浮かれてもしかしてこれってすごいハッピー大団円とかにならない?とか勘違いしちゃうくらい。

でも寒くて悲しくて寂しくて、痛くて痛くて、鞭打たれるような結末に進んでいくのだ…

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家事代行サービスを利用してみた。①

ここ数ヶ月の間にテレビでちょこちょこ目にしていた「家政婦・作り置きの名人」は、家事代行の派遣業だと知った。

www.youtube.com

 

家事代行かぁ…「ウチもちゃんとしたごはん作ってもらいたいなぁ」というふわっとした感じ。絶対美味しいもの…

いや、ちょっと待て!!それよりもずーっと気になって気になって眠りにつく時すら気が滅入っていた「部屋が汚い問題」、これお願いしたらすごい気が晴れるんじゃない!?と思いついた。

 

よしググろう。

taskaji.jp

テレビで観た「家政婦・しまさん」を検索したらすぐに「タスカジ house keeping」がトップに。ささっとサイト内を見て回る。

やっていただけること、登録してるひとのこと、費用など。一コマ3時間、時給制、交通費は依頼者負担。システムは簡単。交通費の負担が少なくて、依頼したい仕事を得意とする人は…て意外にスケジュールは先まで埋まってる。こんなに先の話だとちょっと心が折れる

思ったらすぐ実行したい性格なのと引っかかる気持ちもあって、サイトを開いたり閉じたり繰り返してた。

 

「家事を他人にお願いするの?」

引っかかる気持ち。自分と世間両方になんとなく存在してる「そんなことにお金を使うの?」という感覚。もうひとつは「全くの他人に恥部を見せる」という抵抗感。

まず、世間の感覚なんかどうにもならないから置いとくけども。

出来ないことが恥ずかしく辛いという思いはいかんともしがたい。「家のことなんて出来て当たり前だ」という思い込みがあるからこその自責。「臭いや虫が出るとかでなきゃ、性分だし本人がいいならいいじゃないのぉ?」と人には言いつつ、心の中では「いやいや家の中は綺麗にしとかないとぉ」とか思ってるんだな、私。嫌なヤツ~!

片付け魔の母からの呪いもあり「片付けられない=人としてダメ」という意識が張り付いてる。あるべき所に戻すという事が出来ないのはやるべき事をやらない怠惰な人間だという自己否定感を持っている。

"性格だから仕方ない"と言うのは"頑張りが足りない"言い訳だ…だから「仕事してるから手が回らない」も言い訳。どっちだって結果は同じだし直す気もないじゃないか…とまた責めてしまう。堂々巡り。結構重症の呪縛だった、考えると。

 

「家事=仕事」対価を払うのだから理由はいらない。

結局タスカジさん依頼をすることになっても、部屋の現状を説明するのに「働いているので…」と言い訳をしていた私。依頼するのに言い訳などいらない。「汚い部屋を片付けて欲しい」それでいい。

「ここにある仕事をこのお金でやってもらう」それだけのことだ。

拭い去るのだ、呪縛を!!

 

 

二つ目の「他人に恥部を〜」

じゃあ例えば綺麗好き片付け魔の母に頼んだとして。

母「あたしが、子供の頃からあれほど言ったのに!!キーッ!!!」

私「あんなに怒られてたのに私!出来なくてすみませんね!!!!」

どう考えても作業開始5分で無言、その後独り言から言い合いになり…いやもう無理。想像しただけで殺意ががが。

てことでここはやっぱり他人。綺麗にしてもらうのに金を払うんだから、(程度や質にもよるだろうけど)片付いてないことが前提なのだ。全然恥ずかしくない!

拭い去れ!!呪縛!!(ここでも言い聞かせる)

 

 

とはいえ

それでも私はやっぱり恥ずかしさを拭いきれず。呆れられぬよう、そしてすぐに仕事が始められるようにある程度の準備はしなければ、と片付けに手を付け始めた。

これが結構きつかった。予約日が近づくにつれて焦りやプレッシャーが増した。私の小心っぷりすごい、苦笑

結局そこそこ片付いてしまった。そして必要な引出し型収納ケースを無印良品で数個調達したり。

なんかこの調子なら自分でやれるんじゃね?

いやまあやれないっていうか。ひとりでやってるとすぐに「もういいか」とか、ある程度のところから進めなくなってしまうのだ。タスカジさんにそこを手伝ってもらいたいし、アドバイスが欲しいんだな。

うーん。不安と期待でいっぱい。

 

 

とにかくこうして「苦痛」「自責」の元になっていたことをお金で解決作戦は始動していた。

依頼は、私の部屋のクローゼット内(布団や衣類などがごちゃこちゃ)と私の部屋(モノの置場が定まらずなんとなく乱雑に…ごちゃこちゃ)、そして時間があれば洗濯機周りの掃除と片付けで3時間ではとうてい足りないと算段している。

 

ていうのがもう1週間以上前の話(笑)

 

続く

映画「レディ・バード」〜ティーンエイジめっちゃ痛い、泣笑い

自分のその時代を感じないで観ることが出来るだろうか…

 

「スウィート17モンスター」もそうだ。

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高校生の頃の自分を思い返して地中深くに埋まりたくなる気分に(笑)

 

自分はさすがにこんなに激しく恥ずかしい状況ではなかったと思いたい。(前も書いたけど「セックス」については奥手だった私には表現があからさますぎるし考え方も全く違うので完全に除外。まあ理解はするけど)

自分で考えたセカンドネームがアイデンティティだったりするとか、もう自分からはかけ離れてる。ゼッタイそうであって欲しい!!!

…ハッ!

…やばい、セカンドネームについては中二からやってたわ…記憶から排除しかけてたのに思い出しちゃったわ。

 

くそー腹立つな。

 

自分に振りかかる問題を親や環境のせいにしたり、この後に続く長い人生において全くどうでもいいことにやたらと突っ掛って行くスタイル。見ていると半笑い(涙混じり)しかない。

線路向こうの瀟洒なたたずまいの家に憧れ、ちょっと影があって楽器が出来て小難しいことを言う男の子に惹かれ…いやもう「ブルーな気分になるホイホイ」って誰が作ってるのかな。多すぎる。映画だからか。そうでもないか。

家庭環境にもお金にも恵まれない!とか、それが「自分が正しく評価されない理由じゃない」ってことは薄っすら分かってる。でも自己認知が歪んでるので、自分を取り巻くものの認知も歪んでるのだ。

しつこく言うけど、そんなクソホイホイに引っ掛かって本来やるべきことを後回しにするという業に焼かれそうな生き方をするのがティーンエイジャー。分かってるよ痛い痛い!と痛がる観客の頬に更にぐいぐい押し付けてくる映画、最近多いな…。

 

もし、常に我が人生を俯瞰で見て冷静な判断でホイホイを全て避けて、正しくやるべきことを遂行する高校時代を過ごしたという奇特な人がいたら、この映画をどう観るんだろうか。

いやどっちにしろホイホイに引っ掛かって嘆く主人公を「クソ…w」って思うのか。

くそー腹立つな。

 

そして、私たちには彼女の成長は想像できてしまう。人生とはそういうものだと気付く。もう自分は気付いた側にいるから。

紆余曲折を経て彼女は志望大学に入学する。独り暮らしを始めたら彼女は「レディ・バード」でなくなるだろう…。

 

 

そうやって心身共に痛い思いばかりしながら、しょっぱい涙ばかり流しながら、様々な出会いと分かれを繰り返しながら生きてるのがティーンエイジャー。

「そんなもんさ」としたり顔で観つつも、実はいい歳になっても似たような生き方してるのが「中二病」の私…

 

ああああああああああ

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見そびれたままの「君の名前で僕を呼んで」のティモシー・シャラメ、めっちゃいいですタイプです。すごいタイプです。

マンチェスター・バイ・ザ・シー」「スリー・ビルボード」に続いてルーカス・ヘッジス、相変わらず影のある高校生役。もうずっとこれで行くのかこの子は!!

人生上手く行かなくて鬱ってるのに優しいパパン、大好きです。

シアーシャ・ローナン、ティーンエイジャーにも中年おばさんにも見える不思議な女の子です(褒めてる)。

映画「羊と鋼の森」~ピアノ調律のイメージPVみたいな渋さ

どんな形にせよ、ピアノが身近にあった人には響く話なのではないだろうか。
重くて力強くて複雑で繊細なピアノという楽器、それは人の人生に寄り添いまたは人生そのものに例えられる、そんな感じの物語だ。

 

学校へやってきた調律師 板鳥(三浦友和)の叩くピアノの音に魅せられた主人公、外村(山崎賢人)…

 

この冒頭の印象的なシーンでぐっと入り込めない人は、諦めて睡魔に任せる方がいいかも(笑)

とてもシンプルなのに複雑で、つかみどころもとりとめもない世界が続く。調律師たちの他愛無く奥深い会話。家のピアノの調律を依頼する人たちの人生とか。

彼らは全心全霊でピアノの調律に挑みながら、実は自身の人生をも整えているのではないだろうか。
使っても使わなくてもピアノは時と共に傷み、歪み、不調になる。人も同じで、抱え切れないほどの大きさと重さの心身を持っているものだ。

 

…とはいえ、「ピアノ調律」という作業がマニアック過ぎて物語の軸が非常に見えづらい。

だから誰にでもおススメしたいかというとちょっと難しい。ピアノに縁もゆかりもない人には劇的なドラマが見当たらずあまり胸に刺さらないだろう。景色が良かった、俳優が良かった、音楽が良かったという…普通に考えて眠気を催す2時間だろうなと。

 

 

私は幼い頃からおおよそ10年間ピアノを習わされて辛く苦しい思いをした。親の過度な期待にも苦しめられた。当時ピアノにまつわる「楽しかった」記憶はない。それでも自分の中からピアノの存在を「無かったこと」には出来ない。

縛られた辛い気持ち、その後解放されて笑顔で弾けるようになった時代。生い立ちはピアノと共にある。すっかり弾けなくなってしまった今でも。

老いた親が実家から放棄したピアノは今も私の家にある。何十年も調律をされていない、本当に不憫な状態で。それはきっと自分の人生の様にも思えてしまうほどに役立たずでひどい音を出すことだろう。

映画を観ているとそんな風に全てのシーンに、自分の中にあるピアノへのこんがらがった感情がオーバーラップして胸を刺してくる。何度も胸が苦しくなったり頭を抱えたり頬に手で口を抑えてしまった。ピアノという楽器が自分にとって、近くて遠くて苦しくて忌々しくて美しくて憧れで、どうしても無視できない存在という人にとっての、それぞれの向き合い方が描かれている気がする。

 

延いては、「人生は切っても切れないあらゆる存在との対峙だ」とも思えるけれど。そのつかみどころのなさを、調律師 板鳥(三浦友和)の目指す音を現す詩が代弁する。

 

明るく静かに澄んで 懐かしい文体

少し甘えているようでありながら きびしく深いものを湛えている文体

夢のように美しいが 現実のようにたしかな文体

 

日本の詩人、小説家でもある原民喜(はらたみき)さんの言葉だという。対極の言葉で形容される文(音)を目指す。全てを抱くものを目指す。もうどこをどう掴めばいいのかっていう究極な話だ。

 

森が風に揺れる。雪を踏みしめる。ピアノに器具が当たる。これらの音は都会の喧騒の中に生きる私の耳には日常届いてこない。だからいちいち胸を打たれ癒される。静寂すらほとんど得られない環境にいることを実感する。

 

ああこれな。もしかして一般的にはヒーリング映像っぽいのかも。調律の世界があまりに間口が狭すぎてよく分かんないものだから、一周まわって「気持ち良くなれる音楽映像」って感じになっちゃうのかも。

 

(ていうか…三浦友和ってシルエットだけでもう三浦友和って分かる。マイケル・ジャクソンか。)

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