ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

映画「羊と鋼の森」~ピアノ調律のイメージPVみたいな渋さ

どんな形にせよ、ピアノが身近にあった人には響く話なのではないだろうか。
重くて力強くて複雑で繊細なピアノという楽器、それは人の人生に寄り添いまたは人生そのものに例えられる、そんな感じの物語だ。

 

学校へやってきた調律師 板鳥(三浦友和)の叩くピアノの音に魅せられた主人公、外村(山崎賢人)…

 

この冒頭の印象的なシーンでぐっと入り込めない人は、諦めて睡魔に任せる方がいいかも(笑)

とてもシンプルなのに複雑で、つかみどころもとりとめもない世界が続く。調律師たちの他愛無く奥深い会話。家のピアノの調律を依頼する人たちの人生とか。

彼らは全心全霊でピアノの調律に挑みながら、実は自身の人生をも整えているのではないだろうか。
使っても使わなくてもピアノは時と共に傷み、歪み、不調になる。人も同じで、抱え切れないほどの大きさと重さの心身を持っているものだ。

 

…とはいえ、「ピアノ調律」という作業がマニアック過ぎて物語の軸が非常に見えづらい。

だから誰にでもおススメしたいかというとちょっと難しい。ピアノに縁もゆかりもない人には劇的なドラマが見当たらずあまり胸に刺さらないだろう。景色が良かった、俳優が良かった、音楽が良かったという…普通に考えて眠気を催す2時間だろうなと。

 

 

私は幼い頃からおおよそ10年間ピアノを習わされて辛く苦しい思いをした。親の過度な期待にも苦しめられた。当時ピアノにまつわる「楽しかった」記憶はない。それでも自分の中からピアノの存在を「無かったこと」には出来ない。

縛られた辛い気持ち、その後解放されて笑顔で弾けるようになった時代。生い立ちはピアノと共にある。すっかり弾けなくなってしまった今でも。

老いた親が実家から放棄したピアノは今も私の家にある。何十年も調律をされていない、本当に不憫な状態で。それはきっと自分の人生の様にも思えてしまうほどに役立たずでひどい音を出すことだろう。

映画を観ているとそんな風に全てのシーンに、自分の中にあるピアノへのこんがらがった感情がオーバーラップして胸を刺してくる。何度も胸が苦しくなったり頭を抱えたり頬に手で口を抑えてしまった。ピアノという楽器が自分にとって、近くて遠くて苦しくて忌々しくて美しくて憧れで、どうしても無視できない存在という人にとっての、それぞれの向き合い方が描かれている気がする。

 

延いては、「人生は切っても切れないあらゆる存在との対峙だ」とも思えるけれど。そのつかみどころのなさを、調律師 板鳥(三浦友和)の目指す音を現す詩が代弁する。

 

明るく静かに澄んで 懐かしい文体

少し甘えているようでありながら きびしく深いものを湛えている文体

夢のように美しいが 現実のようにたしかな文体

 

日本の詩人、小説家でもある原民喜(はらたみき)さんの言葉だという。対極の言葉で形容される文(音)を目指す。全てを抱くものを目指す。もうどこをどう掴めばいいのかっていう究極な話だ。

 

森が風に揺れる。雪を踏みしめる。ピアノに器具が当たる。これらの音は都会の喧騒の中に生きる私の耳には日常届いてこない。だからいちいち胸を打たれ癒される。静寂すらほとんど得られない環境にいることを実感する。

 

ああこれな。もしかして一般的にはヒーリング映像っぽいのかも。調律の世界があまりに間口が狭すぎてよく分かんないものだから、一周まわって「気持ち良くなれる音楽映像」って感じになっちゃうのかも。

 

(ていうか…三浦友和ってシルエットだけでもう三浦友和って分かる。マイケル・ジャクソンか。)

f:id:bionic_giko:20180613142339j:image