ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

人生はもどかしさの連続

ずっとずっと、消えない人がいる。毎日会えていた時も会えなくなっても心の中にずっと存在してる。

そういう人が幾人かいる。

あ、「運命の~」とかむちゃくちゃ陳腐で鼻くそ吹きそうなるからいわないけど。

自分を含めてそれぞれ老い先を考える歳になってきて「今生で、あと何回会えるのだろうか」と少し寂しくなっていた。

 

もう二度と会わない方が良いだろうと覚悟を決めたりする。尽きないと思っていた言葉は共有できる術もなく意味も分からなくなっても、ポタリポタリと心に蓄積されていく。

そうやって私の中でその人は消えることがないんだ、だから会うことはそんな重要でないと思った。

 

その人もあの人も、私の中ではきっとそうなのだ。


それでも時間というのは不思議なもので、ひょんなことから再会出来ることもあって驚いてしまう。

インターネットの恩恵かもしれない。

生きてるとそういうこともあるんだな。おお、そう考えると加齢も悪くない。寿命は35年くらいのつもりだったのだけど、日本人の平均寿命ももう折り返してしまっているな。

うんざりだ。

 


きっとどんな人生も偶然が繋いでいるんだろう。その確率とか難しいことは分からないけど、生きてる限り可能性はゼロじゃない(どっかで聞いた)。

 


インターネットが無数の糸を繋いでSNSが発達しても相手の心の中がよく分からないのはアナログ時代と変わらない気がする。

だから私の中に長年蓄積されたものを、ついつい果てしない世界に接続されたツールに垂れ流してしまう、そんな節操のなさに自己嫌悪することになる。

 


手繰っても手繰っても全然繋がってることがわからなくて、手に取ってくれないのならいっそのこと糸は切ってくれないか。切れてしまったその糸の端を見ればさすがに覚悟が出来るというものだ。

いや、私が刃物を振ればいいのか。

それでも思う言葉は浮かんで沈殿していくだろうけれど。

 

 


なんつって、そういうもどかしいのが人生なんだけどな。死ぬまで悶えるのだよな。

分かってるって。

 

死んでしまった人にはもう会えないなぁ。「今生」という言葉を使っておいて「来世」は信じてないというのはまずいのかな。

だからやっぱり、大切な人には生きているうちに会わなければなぁと思い直したりする。糸を切られない限り、死ぬまで糸を手繰り続けるんだ。

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