ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

気に入った映画を2回観る初体験。「マンチェスター・バイ・ザ・シー」《ネタバレ多し》

とてつもなく切なくて心が沈むのに、どこか救いの光を見出すような気がして何度も思い返す、いつまでも忘れられない、そんな物語だった。

bionic-giko.hatenablog.jp

 

 

初体験…(////

気に入ったら盤を買うけど余程でないと買わない。ほんで買ってもそんな観ないし、更にはのんびりと家で観ても新しい発見があったことは無かったと思う。

今回「どうしてももう1回劇場で観たい」と思った自分に結構戸惑い、思案してる間に公開終了になって諦めるかなと思っていたのに、結局観た!意外に長い上映期間で助かったのかな。

だって行ってすごく良かったから。

初見では悲しみに呑まれ過ぎてしまっていたことが良く分かる。超感情型の人間なのは自覚してたけど、ここまで冷静に鑑賞できてないと気付いて結構ショック…。結局2回目でも泣くんだけど、泣きつつもちゃんとディテールを追えるっていい…←今更感すごい

 

主人公リーは緑色が好き

1回目から気になってたけど、まず再確認したおが物語になんの影響もないどーでもいいこと。予告編をあらためて見たらほぼ同じジャケットだったけどまず深緑ね(笑)(今度は日本公開バージョン)

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事故の日のパーカー、家の中のちょっとした寝具類などこれもあれも!とやたら目について仕方ない。ほんとどーーーーでもいいんだけど、なんかやっぱりスルー出来なかった。重要度はともかく絶対プロットに入れてるんだと思う。いや多分ね。

どーーーーでもいいところから入りました…

 

几帳面さと粗暴さ

故郷マンチェスター・バイ・ザ・シー(以降マンチェスター)での悲しい事故によって孤独になったリーはボストンへ居を移し、世捨て人の様に生きていた。真面目な仕事ぶりの反面、何かと態度は悪い。口も酒癖も悪く、定期的に暴力トラブルを起こす。家の前の雪かきを欠かさない、きちんと決まった行動、些細とはいえ几帳面さは目立つ。

ああ、この几帳面さはそうか。

ああ、意味もなく暴れるのはそうか。

…と、思い当たるのは2回目だから。

 

亡き兄のジョーがいたからそこから目を背けられた

心臓病を患っていた兄ジョーの訃報が入る。傷心のリーを支え続けてくれた兄を失ったショックを受け止める間も無く、故郷に戻り死後の処理やジョーの息子パトリックの面倒な世話に追われる。

甥のパトリックとは幼少期からずっと楽しくやってきてた。でも彼は今やスクールライフを謳歌する16歳。複数のガールフレンドや部活、バンドなど気ままで器用に立ち回る、もう子どもじゃない。

戸惑い悩みつつ襲ってくる感情を押し殺すことに必死になり、合理的な決断を早々に下していこうとするリー。

それぞれ心の支えだった人を失った気持ちは分かるのに、多感なティーンと面倒事を早く片付けたいトラウマに呑まれた陰鬱な中年はなんていうか、吠え合ってはすぐに舐めあう犬みたいな様子…ハラハラしたり苦笑いしたりしてしまう。そう、壊れたエンジンみたいな感じでもあった。2人はなぜこんなに衝突するのか、なぜこんなにお互いに思いやれないのか、もどかしいシーンの連続。

お互いのことを丁寧に汲みとることができないほど、自分を保つことに精一杯だったと、ふたりともそうだったとやっと分かる…。切ない。

リーの孤独は、パトリックの思春期特有の憂いや反発に振り回されているからじゃなくて、ジョーの愛によって霞んでいた、惨(むご)い過去との対峙を迫られるゆえだったんだなぁということも気付く。切ない。

 

二次元を行き来する気持ち

マンチェスターに戻ると否が応でも昔のことを思い出す。なのでリーの思い出と現在がするっと入れ替わるシーンが連続する。

私はこういうのが割と苦手だ。時間や状況を把握してその世界観に浸る前にすぐにまた時空が変わるという手法。小説でも多くあるし、過去と現在を関わらせるお話には勿論あって然るべきやりかたなのだけど、なにしろ分からなくなってしまう。

でも過去に思いを馳せている間のリーは放心状態で現在の時間は止まってしまう。過去の悲劇にどっぷりとハマってしまう。いつだって襲う過去の感情と現在の状況に溺れないように堪えるリーは、その苦痛に身も心も堅くなって行くみたいだ。

悲しい音楽がずーっと流れてるんだよって当初のブログでは「アダージオのト短調」を紹介したんだけれど、のっけから間違えてたことに気付いた。マンチェスターはいつも穏やかで優しい。さざなみの海も吹雪く空も、全ての景色にに流れてくる音楽も。故郷が自分を包み込むような気持ちになる。

なのにリーにはそれ以上に胸の張り裂ける思い出が重くのしかかっている。

「アダージオのト短調」は過去のシーンに戻り、悲劇の始まりから流れ出す……ぐうううぬぅぅチクショウも一回貼ってやる!今度はネタバレだからハイライトシーンのカット、時系列はめちゃくちゃだし英語だけど台詞も入ってるぜ!!

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ジョーがすべてを包んで支えてくれていた

劫火を前に声を失うリー。取り乱す妻の絶叫。朝靄と消火後の煙が立ち込める不思議な静けさの中にアダージオが流れ続ける。誰の声もはっきりと聞こえない。燃え尽きた家を捜索する消防隊員…。絶望の光景を前に崩れ落ちそうなリーをジョーが抱きかかえる。警察署でのリーは、か細い声で告白する叱られた子供の様に見える。ずっと、愛する家族の中では父親や夫というより子供の様に無邪気に生きてきたのに、待合室にいるのはその家族ではなく自分の父や兄、そして兄の同僚…。リーは「大人であるの自分」がしでかした事故に崩壊寸前だった。子供のしたことじゃない、償うこともできない、取り返しがつかない。なのに誰も罰してくれない。自ら終わらせることも許してもらえない…

放心状態のまま故郷を離れる。傍らにいつもいつもジョーとパトリックがいて「生きている実感」を与えてくれた。

そのジョーが逝ってしまった。

 

リーの心の解放と赦し

ジョーの死後とパトリックとのこれからが同時にリーを別の生き方へ舵を切らなければならなくなる。生前のジョーが仕組んでいたことだ。だけど避けるにも受けるにも、何かを決めようとするとあの時の激しい苦痛がぶつかってくる。逃げおおせない痛みとジョーが残したパトリックの生活についての苦悩に、リーは立ち尽くす。

「女は変わろうとするのに、傷ついても前を向くのに、男は全然だめだ!逃げてばっかりやんか!」という感想だったんだよね、私。だってリーは頑なに顔を背けて自分を守ろうとする。過去を直視しないし乗り越えようともしない、最初っから。…でもなんかそんなことじゃなかったな。

故郷を愛してるし痛みも捨てるつもりはないんだ。忘れたくないんだ。大好きな家族と一緒にいたかったし、もし乗り越えてしまったらその家族と過ごした幸せな時間も自分から無くなってしまう、それは嫌だったんだろうと思う。苦しくても辛くても、思うほどにあの時の幸福を実感する。彼にはそれが生きている意味だから全部持っていようと、赦せば失ってしまうのだと縛り付けておくことに必死だったんだ。

痛みに耐えきれなくなると誰かに鬱憤を晴らす形でケンカをふっかけては殴り返され、時に衝動的にガラス窓を割って自分を傷つけた。泣くことすら赦さなかった。涙も全部自分の中に仕舞っておきたかった。きっとそういうことだったんだと。やっと。

 

「癒えない傷も忘れられない痛みも。その心ごと生きていく。」

私はこんなこと可能なのかなって思ったし、最初、別の生き方を一生懸命に進む女性たちの姿の方が「立派だな、強いな、偉いな」って思ってた。

立派であることも強くあることも偉くあることも必要ない。ばかだな、自分だっていつもそう思ってるのに。辛い時は凹んでべしょべしょで這いつくばって無様でいいのに。偉くなくていいし頑張りたくもないし立派にだってならなくていいって、そうやって生きてるのに。なんでリーの生き方を否定しようと思ったのかな。あまりに辛すぎたからかな。だって涙を流して欲しかった。一粒でも涙を落としたら楽になるんだよって。

笑っても泣いてもいいんだよって。自分はもうスポンジ絞ったみたいに泣いてるもんだから…

バカだね。そうじゃなかった。

それでもやっぱりね。

 

"人はそうやって生きていくんだよ"

ジョーはそうやってリーを導いてくれた気がするよ。

パトリックの存在が、元妻が授かる新しい命が、"どん底でべしょべしょで生きなくてもいいんだよ"って思わせてくれたらそれはそれでいいじゃないか。子どもたちは成長していくし新しいことをたくさん経験していくし笑う、泣く、怒る。冴えない仕事で息苦しく生きていても、高校を卒業したパトリックが会いに来て彩りがある1日があっていいじゃないか。

ていうラストをまとめた動画を見つけたよ。本当に切ないけど、リーの胸に溜まってた海水が結構抜けていくような、ほんの少しの広がりが胸を打つ。(字幕ONにしてみるといいです、英語だけどよかったら)

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この映画には温度がある

ボストンの凍えるような寒さ。

時雨、雪、雨、霙、そして氷。

冷凍された亡骸。

故郷の、柔らかいのに冷たくて湿めりけのある風。

吹きつけて体温を奪っていく海風にじっとしていられない。

大火の熱。

焼け落ちた家の熱。

胸に溢れて嗚咽になるような涙の熱。

ジョーの厚みのある手がリーの肩を頭を引き寄せ、胸に抱きしめる温かさ。

 

そしてどうしてもここ。

店で騒ぎを起こして傷だらけになったリー。居合わせたジョーの同僚は家に担ぎ込む。すべてを知っていて何もできない人たちの気持ちは、観ている私たちだ。ここで一瞬リーは涙を流す…。

このシーンで私「泣け!泣いて!ここで吐き出して!」って本当に胸が張り裂けそうだった。ジョーにハグされて以来きっと初めて人の温もりに触れた時じゃないかと思った。彼らに預けていい、全部知っていてこの涙を受け入れてくれる、ほんの一部でも痛みと一緒に吸い取ってくれるんだからもっと泣いて欲しいと…

「パトリックはどこだ…」。苦しみに押しつぶされてもまだ目を背けるリーに、もどかしくてもどかしくて…(号泣(私が))

動画あるんだなぁ… 

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この温かくて優しくて軽快な音楽がいつどこで流れてたのか覚えてないんだけど(多分予告しか覚えてないんだけど)、これが最後に胸に残ってる。リーのこれからを思って、気持ちを軽くそっと持ち上げてくれるそんな音楽だ。

2回目は「アダージオのト短調」じゃなくて、「Land of Living」。

力強く、"I am coming home"と叫んでる。

youtu.be

 

とてもいい気持で書き終えた。

長かったわ…。ほんとにいい映画だった…。

 

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