映画「光」
なかなかどうして。
中途失聴によって情報が視界だけになり精神のバランスまでも失ってしまっている私の母と、映画の中でカメラマンが視力を失っていく過程に色々と重ねずにはおれず、映画の半ばで盲と聾がごっちゃになってしまいました。
端的に言ってこれは作り話で、視力を取り戻す話ではないけれど、人間の強さとか生きるチカラとか、そう言う、なんと言うか「後ろ向きではない」感じの作品でした。
その辺り、劇中でも揉めてましたけど。
多分多くの鑑賞者が流す涙には同情や感動からと思うけれど、私は明日会社を休んで件の母に向き合わねばならない。
2度と作り直すことも、簡単な修理すら出来ない歯車の破損をただ見に行くだけの…そんな現実がそこにあるのです、私には。
いや、考えると主人公もそうでした。でも私が重ねたのは主人公ではないんですね、なんでかな…
てことで、バイアスがかかりまくってなかなか消化出来ないまま頻脈と戦う2時間弱でした。
複雑ではないけれど、実感のない方にはどんな風に心に残るのでしょうか。
非常に「音」を大きく捉えて発してくる、耳が忙しい作りの前半。
対して、後半は「全盲」(正確には違いそうだけど)になった後の「光」が強く画面に押し出されて来る作りでした。
モノの輪郭すら失うその瞬間に主人公は居合わせます。衝撃に絶望に震えるカメラマンをただ見ているしかない。
美しい夕陽の光を浴びて、全身でそれを感じるふたり。
夕陽の中で彼はそれまで自分の心臓だとしてきたカメラを投げ捨てます。そしてこれまでの作品やフィルムを光の中に溶かします。
とても明確な舞台転換みたいな感じでした。
(演劇は疎いんですけど)
音声ガイド制作の主人公は荒々しく不躾で、感情的なのは若さなのか、あからさまに描かれる全てが痛くて辛いです。
まあ物語が進むにつれて変化がありますし、ていうかそれが物語でした!!
視覚障害者に対して人間として、どんな向き合い方があるのか実際よく分からないし、双方の人生経験や様々なことに影響をされるものでしょう。
それはどんな人間関係にも当てはまるのですけど。
言葉にするのは容易いか難儀か。
今の私には後者です。
たまにチラチラ見かけた女優の神野三鈴さんがやはり好き。顔も声もどストライクです。
印象深いのにあまり露出の記憶がないのは、多分舞台でご活躍されてたせいかと推察。
近年はそういう方がテレビに出て「遅咲き」と称されるのを苦々しく思う界隈の方々のお話をチラッとツイッターで見ていたので。
ググれば解決。簡単ですね!
今季テレビドラマ「小さな巨人」に出演されていて、ああこの方やはり好きだなぁと再確認。
柔らかくてころころと喉が鳴るような声、顔立ち、飾らぬ佇まい。
同性同年代に「憧れ」を見出せる、この歳になるとなかなか嬉しいものです(笑)
藤竜也さんの若い頃は硬派でロックな尖った印象で、私はむしろ怖いと感じてました。
どんどん味わい深く振り幅も広く、作品ごとにハッとさせられる様になりました。
これも自分が老いたから、いえいえ同時進行でみな平等に老いているからです。
赤子も「成長」と称しますが齢を重ねてる訳ですし(屁理屈)。
ラストに希林さんの声を聴いて「めちゃくちゃ落ち着いたわああああああ」って、友達と笑い合いました。
「なんでも希林さん持ってくるのはズルくないか?」という話で。
いやー…
なんかこう、全部解決!みたいな気分になるくらい落ち着いた!
ややや!そんな簡単と違いますよ(笑)
どんな人間にも老いがあり、障害もその中に内包されます。
「生きたいのか死にたいのか、生きるのか死ぬのか、曖昧になっていく」
そうです。
まあまあそんな感じ。(ざっくり)
はーしんど。寝よう。