ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

「歌う」 4 習うこと

ある時

「自分ヘタクソ!!」

という現実を思い知ります。よく覚えていません。褒めそやされた記憶はあるのに、何に打撃を受けたのか…。(「六本木心中」ではない)

 

気がつくと歌えない自分になっていました。楽しくもなく、ただただ猛烈な「恥ずかしさ」を感じました。

「恥ずかしい」以外に思いつきません。当然下手な歌声を自覚してからは委縮してしまい、余計に声も出せなくなりました。歌う事が「ツライ」と思うようになっていました。

シンギング・ハイどころではありません。

大好きな音楽は、聴くかライブを楽しむ受け手側一方になりました。

書いていて思いますが、アウトプットの時とインプットの時のバランスが良くなかったかもしれないです。

そして今やはり思います。

 

非常に漫然と歌っていました。

消費するように歌っていました。


わいわいみんなで騒ぐ楽しみのひとつでした。間違ってはいないと思います。

色んな人と楽しめる共通言語というのは確かにそうだと思っています。


なんでもそうですが、継続していないと技術力は落ちていきます。平坦な継続でもやらないよりは維持が出来ると思います。上を目指せばもちろん向上していくでしょう。

更にはもともと確たるものがないので、歌わなくなれば一目(聴)瞭然。

 

沢山の素晴らしい、そして大好きなアーチスト達の音楽に触れるうちに、やはり歌いたい気持ちが芽生えたのは、歌わなくなってから10年以上後です。
その間はカラオケどころかお風呂でも歌いませんでした。

歌いたい気持ちと歌えない現実にストレスが溜まります。

 

それが何故そういう気持ちになったのかはよく思い出せないけど、昨年の春、迷いながらスクールに飛び込みました。

ずーっと鬱々していたので、なんとなくかもしれません。

合唱で覚えた「シンギング・ハイ」をまた感じたいとか、とにかく「歌う」と楽しい「歌えたら」もっと楽しいに違いない、そう思ってた気がします。

 

必死に悩んだり考えたことって結構覚えてなくて、いろんなきっかけを忘れているものですね。