ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

家族 #とは

よく映画やドラマで連れ合いが殺されて、警察や病院で

「昨日は何時ごろご自宅を出られたか分かりますか?」
「昨日の帰宅時間は覚えていますか?」
「何を食べたか覚えていますか?」
「昨日の服装は分かりますか?」
「どんなお友達とどちらへ外出していたか聞いてますか?」

あと事件によっては「普段どちらの美容室を利用されてましたか?」とか「知るかいな」ていう、殺された連れ合いについて質問されるシーンありますよね?

 

一昨日観た「永い言い訳」でも、モツくんが警察からの問いに全然答えられない、テキトーにトンチンカンな答えを言って沈黙になり、恥ずかしそうにもじもじ、を繰り返してて、
何ならそれについて刑事が「そんなものですよね、いやいや、ウチもそうですよ、20年も連れ添ってたら、ねぇ?」とか慰めてるんだかなんだか分かんないこと言ってたんだけど。

 

そんなん分かるかーーいっ!!

 

 

ドラマ好きな家人、そういうシーンになるとすぐに「そんなん知るかよなぁ?」って振ってくるんだけど、それもそれで鬱陶しいわけですよ。
毎回毎回なのね。
もう何100回も同じような番組ばかり見て、この類の話を毎回自分に振ってくるわけですよ。
(尚このパターンは「どんな番組を観ても同意を求める振りがある」のでとりあえず何もかもが鬱陶しいという話になるかもしれない)


てことで戻ると、

「家族とは多様性のなにものでもない」と先々回にも書いたかもしれないけど、
実家でも義理の実家でも、なんなら両親関係、きょうだい関係、夫婦関係、みーんな違うと思ってる。夫婦関係なんて親のことだってさっぱり分からない。つくづくそれぞれだよねって思い知らされる。


親がいて、子供がいて、朝はお母さんが朝ご飯を作りお父さんは新聞を読んで(以下略)みたいなホームドラマやアニメのシーンはイマドキなんの根拠もない家族の形であって、理想でも現実でもないと思うんですよ。虚構とは言わないです、どこかにはあるのかもしれないけど。意外に身近にもあるかもしれない。

自分は知らない。

 

あ、でも不思議と親戚関係って結構よく同じような話聞くかな(笑)
じいちゃんのお葬式に行ったら、見たことも聞いたこともないおじさんが現れて何かと取り仕切ってて「?」て言う間に焼き場で率先してお骨を拾ったりしてて
「ちょっと待って、あの人誰ー?」
「シッ。いいのあの人には好きにさせとくの、機嫌損ねないようにしとけばいいの」て言われるとか(ウチだけか?)

独り行方不明のおじさんいる、とか。

 

戻ろう。(逸れるな)


てことで、ぎこ夫婦はお互いが日々どこでどんな仕事をしているかすらよく分かっていない。場所も会社も給料も。
もちろん結婚する時には知ってたけど、人生にはいろんなことが起こるわけですから(これも何も無くずーっと同じ方々もどこかにはいらっしゃるのでしょうけど)
今はもう自分のことでいっぱいいっぱいなので、家人がどこでどうしようととりあえず金を持ってきてくれたらいいって究極状態。
まさに極み。


例えば悲惨な事故でばらばらになった遺体が集まった場所で、「これは妻の膝なんです!間違いありません!」とか言って調べたら本当にそうだったという実話を本で読みましたけど、
家人は多分というか100%、ボクのパーツなんか分からないでしょう。いや断じて分かりません。

 

結婚式のレンタルタキシードを試着に行った時に、店員さんに何度も身長を尋ねられ「知らない、分からない」を繰り返し、最後には「だから分からないって。覚えてないって!」て店員さんにキレてて
自分はおろおろしつつも「この人、自分の身長すら分からないんだ」…と驚愕したことをたった今思い出しました。
自分の身長すら把握できない人間が、妻の身体の一部など分かる訳がないです。

まあ「自分の身長分からない」ていう妙な人にしつこく質問する方も融通聞かないですよね。いるでしょうよ、たまにはそういう人だって。「いいから見た感じでざっくり持って来いよ」て今また思いました。(悪い、自分)


一方、自分はぎりぎり家人の「手の親指の付け根」くらいなら「これはそうかもしれない、多分。確率としては30%くらいだけど。」です。
「何も分からない」よりはマシだと思いますよね。

何を着ているか、どこへ何時に誰と出かけているか、何時くらいに帰ってくるか、
全く違う価値観で全く違う生活パターンを送っているぎこ夫婦は、お互いのそういう事には一切関心がない。


あ、一応これも誤解の無い様にお断りをしておくが、結婚当初はそんなことなかったです、ええ。

 

でも家人がどこの床屋にいつ行くかなんて知らなかったです。

20年近く前か、大晦日の朝に「床屋に行く」と言って出かけて午後4時を過ぎても帰って来ない時はさすがに
「近所の床屋だと思うけど何があったらこんなに帰れない事態になるんだろうか?」

という疑問を抱きつつ、ひとりでする大掃除に多少腹を立てた記憶があります。

要するに近所の床屋だけど、どこかは知らないという状態です。
今もそうです。方角程度なら分かります。

因みにその時は単純に大晦日の床屋は風呂屋と同等、激混みだったという話みたいです。

 

 

こんななのでどちらかに何かがあった時、お互いの、特に自分の遺体はもう探したり特定しなくていいですって思ってます。

墓にも入れなくて結構ですし。

まあ、死んだ後のことまで考えなくてもいいかっていつも思いますけどね。