映画「ゼロ・グラビティ」
これ原題は「Gravity」。
ツイッターでフォローさせていただいているアメリカ在住の作家さんで渡辺由佳里さんという方が、あちらで公開時に鑑賞し「なぜ邦題にはゼロがついているのか」と憤慨されていて、観終えてからそれを思い出した。
もっと言うなら「グラヴィティ」だろ(下唇を噛みながら)←それはいい
たしかに無重力の世界での事故の話である。
しかし、物語の本質やエンディングは明らかに「Gravity」を語るものを感じる。
なので渡辺氏のツイートを繰り返す形で、邦題を敢えてつける必要があるのかというツイートをしたところ、以下の様なリプをいただき少し会話になった。
あの映画はGravityであることに意味があるのだから、それをゼログラビティに変えるのは許せないと思います。観客に「頭使わなくていいですよ。表面だけ理解すればいいのだから」と言ってるみたいだし。最近も大好きな本がひどい邦題で出されて憤慨してるところです。
そうなんですよね。でもそのことに気付く人は少ないのも事実なんですよね。帰りのエレベーターの中の若い集団は「最初の方、専門用語とかばっかで意味わかんなかったから寝ちゃった」とか笑ってて、こういう人らはこの物語を殆ど理解できんのやろなぁと。
あれで寝る人がいるとは(*0*)
友達と二人で顔を見合わせ、彼女たちが降りた後に「そんな難しい会話あった?!」てなりましたけど。
いろんな事、理解できない人って多いんですよ。例えばジブリアニメでも、子供と同じような楽しみ方しか出来ない大人が。割りと残念ながら。
子どもも大人もそうですが、バカ扱いしていると、本当にバカになっちゃうんですよね。だから、「読者が理解できません」とか「観客が理解できません」と言ってどんどん内容を幼稚にしてゆくのって、クリエイトする側が自分で自分の首を絞めているような気がしますよね。
このやりとりは、渡辺氏のフォロワーさんからも多くのリツイートがなされた。(邦題問題は映画好きの間ではなかなか盛り上がる)
作り手側としては、受け手の理解力なんか知ったこっちゃねーよと言いたいところだろうけど、観てもらわなきゃお金にならないわけだし、なんか不毛な戦いだなぁと。なんでも興味や好奇心があれば、すぐに情報が手に入るし、楽しみはどんどん深く広くなるのが今の時代。
メイキング映像ももちろん楽しいけど、その物語について色んなことを感じる気持ち、そして興味や好奇心をいつも持っていたいものだとつくづく思う。
冒頭の宇宙の静寂のシーンは、耳がおかしくなったのかと思うほどだった。
宇宙は無音なのだ。
地球は音で溢れかえっているというのに。
無重力で振り回されたら、頭に血が昇ったりするのか?運動エネルギーは重力と関係するのか?なんて自分の無知無学にも打ちのめされることたびたび。だけど、夢中で観るのであっと言う間だった。
えー、まぁ今回ロシア悪者です。そこは最後まであたしの頭から離れんかった。「うー、ロシアめぇぇ!」と(笑)でも宇宙には国境がないし、打ち上げるもんはとにかく互換性があるみたいけど、一番は「とりあえず、言語も共通にしとこうよ!!」かな。
宇宙宇宙て言っても、地球からたったの600kmしか離れてない場所。 東京から京都くらいやで?!とか、これもあとからじわじわくる。
IMAX、3Dがオススメ。
高いけどお金出す価値あるにゃん。
風邪っぴきで寝ちゃうかもとか心配無用やった。
でも友達と語り合いはやめてちゃちゃっと帰り、カブとおネギと生姜いっぱいの汁もんで貧しくも風邪対策ごふぁんを食べたものの、今日はベッドに沈む。