ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

映画「girl」思春期怖い…もしかしてあれって中がドロドロの蛹だったのかな

男の身体で産まれ、女の心を持つ16歳の少女のお話。

なんだけど。

「少女」とするのは登場の瞬間から彼女はごく普通の思春期特有の憂鬱な表情と輝くような美しさが滲み出ていて、少女そのものにしか見えないから。そもそもタイトルもそうだった。

仕草のひとつひとつも可憐。彼女の「長い前髪を耳に掛ける癖」があんまり美しいので、ついつい真似したくなってしまう。

 

ガチガチに言えば「男から女への変容を人工的に起こしている最中の少年」が描かれてる。

 

実は予告を観た時は、この話のモデルとなった本人かまたはリアルなトランスジェンダーを起用してると思ってた。*1

観賞後にチェックするとシスジェンダー(出生時の身体的性別と性自認が一致している)だ。その起用にもどうやら論争があったらしい。

トランスジェンダーの俳優にトランスジェンダーの役が回ってこないのは差別のひとつなのじゃないか」的な。

原作の人種や性別についていちいち問題を唱えるってめんどくさいな。いや、どんなことにも問題がない?って考え方は大切なのかもしれないけど。

「差別を失くそう」と界隈の是正が促されても、多様な人が集まるほどにそういう感覚が生まれて拡大し、露呈してしまうということはなくならない気がしてる。世界中のどこにも「差別がない」という完璧な状況は見いだせない気がする。人はみんな違うんだから。目立つものとしての共感は区別意識をも生むだろう。

「区別」「差別」「選別」という似通った感覚は人の心の中にいつもあって、それが悪として暴かれた時もするりと許容されるものに変容する。自分の中でも悪気なくそういうことがいつも起こってると思う。

監督の話では、オーディションは性別を問わず募っており、選ばれたヴィクトール・ポルスターは男性のバレエダンサー。

「オーディションに現れたその姿は性別を超えた天使の様だった」

もうそれが全てじゃないか。

 

16歳の彼女はララと名乗る。まだ男性の身体をしていたけれど、(手術を見据えた)治療をして女性へと変化する途中である。そして、人間そのものが子供から大人へと変化する年齢でもある。更に彼女は大きな夢を見出し、そこへ向かって突き進もうとしている。

とんでもない険しい道だ。苦難だよ。治療だけでも心が千切れそう。

 

ただの思春期に将来へのなんの展望もなくぼやっと生きてた私。そのやっかいな心的状況に勝手に憂鬱になり鬱憤を吐き、周囲を巻き込んでいた。年齢ならではの異性への思いも考え過ぎて、一歩も動けない。何しろ全てにおいて頭の中はぐるぐると思考で埋め尽くされ、答えも出ないし行動にもならない。なんにもできない自分にただぶすぶすと燻っていた。

しかもそんな自分を正当化することだけじゃいっちょ前だった。蓋をした鍋のように沸騰しても噴き溢すだけという…酷い。

俯瞰で思い返すとそんな感じだ。本当に本当にめんどくさい存在だった、我ながら。燻る火だるまっていう感じ。ただただ酷い()

 

そう考えると、ララのとんでもなく強靭な精神・行動力にあらためて圧倒される。弱音を吐かず、涙は飲みこみ、血を流してもやる。未来を掴もうとするその執念には畏れすら感じた。

そもそもなりたい自分が見えているという、

16歳で。

うそぉ?

人生も折り返した私、未だに何も見えてないし、もうこのまま墓場に突き進もうというやけくそだけで生きてても、泣いたり嘆いたりふがふがしてるのにぃ?

 

お父さんも親戚のひとたちも、学校も、みんな理解があって素晴らしい。それが救われる。

そしてまたそういう多感な世代が集まるところだから、残酷なことも起こる。許しがたいけどどうしようもない。他者の痛みに関心をもつことが、好奇心に取って代わってしまう。

「ララが女性用ロッカールームを使うことになんか嫌って思う人いたら挙手して?」

このシーンには心臓が止まりそうになる。しかし続く挙手のシーンはない。

「あれ?今の怖いのなんだった?」みたいに観客を置き去りにして進んでいく。監督の意図として「そういう悪気のない行為は社会のどこにでもある、その今の日常を描きたかった」という。なるほど。

誰かの痛みを気遣っても、自分の痛みとしては感じない。世界はそんな風にある。

 

泣いてもいいのに泣かないララ。気が気じゃないお父さん。子犬のようにかわいく優しい弟。皆、ララを愛しているし心配している。十分にも思える周囲の優しさは、逆にララの焦燥感を煽る様に作用し、追い詰めていく。

最終的にララの強さがまさかの事態を引き起こすのは本当に劇的過ぎて、映画だからっていやそうだけど、そんなのさすがに想像もしてなくて心臓が裂けてしまうかと思った。

 

座席は6割7割の埋まり具合。私の両隣りはいくつか空いて両方女性が座ってた。まさか!まさか嘘!?ていう同様の反応で嗚咽を抑えるので必死。そのままエンディングが流れ場内がほの明るくなっても鼻をすすっていた。

 

あんな我慢強い子だからこその決断なのかな、

あんな我慢強い思春期ある?思春期って頑固そうだけど実はすぐ決壊して泣いたりするよね?

何かを決めて突き進める強さってそんなすごいん?

進もうとするほど邪魔をしてくる取り除きたい障害物。それがある限り乗り越えられない、それが憎い。全ての息苦しさの元凶。それさえなくなれば。

都合のいい解釈や適当なごまかしは通用しない、ただそこにあるものを排除しようと思うことも、全てそのせいだとすることも、お父さんも観ている私たちにも、実感として理解できなかったんだな…。

理解できてたとしても、そんな選択肢は思いつかなかった。

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*1:このトランスジェンダーとかの「ジェンダー」という言葉、ちょっと調べようとしただけでも結構ややこしい定義で、イマイチ理解しきれずに、しかしやむを得ず使用してます。しかし大事なのは、劇中には一貫して彼女をそういった言葉で表現するシーンはありません。