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カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作 映画「万引き家族」~さすがカンヌ。地味!

映画祭最優秀賞とかなんか華々しい感じするけど、ハリウッド映画じゃないし、なんつってもカンヌってこういうのん好きよね…とても地味な映画。

強い感情が出てこない。鈍く鈍く訴えかけてくる何か。その何かを考えなきゃという気持ちになる作品だった。

 

 

国際都市東京のどこかの住宅街のぼろぼろの平屋一軒家に、一般社会からほぼ隔絶された人が暮らす姿を世界がどう観て理解するだろうか。まずちょっとそういうことが気になった。

この貧しく薄汚く見える暮らしぶりに、多分同じ日本人でもピンと来ない層もいるんじゃないかなとか思う。

不安定な収入で何か裏のありそうな人間が寄せ集まったそれは、まるで家族に見える。誰が親で誰が子供で更には孫なのか…なかなか実態が分からないのだけれど、なんとなく家族に見えている。

2月の冷え込む夜、男は虐待されていると思われる少女を見かけて連れ帰る。ここに住まう人間たちに瞬間的に膜が張られる。それに冷たさを感じて胸が一瞬縮む気がする。

「誰なのか、どこから来たのか、犯罪じゃないか、延いてはこの暮らしが明るみに出る危険因子では…」

膜の向こう側でそんな思案が揺れる。しかし気付くと膜は溶けてなくなり、少女はその集団に収まってしまう。

温く湿った家の中。優しいのか苦しいのか、感覚が麻痺してしまう。

 

物語はいつから始まってたのだろう。もともと形を成しているのかも分からない集まりが、少しずつ崩壊へと進む。

最初から形無いものだとしたら崩壊というのもおかしいが。

 

「この不安定さは日本の姿そのものだ」と誰かが解説しているのを読んだ。

 

確かにそんな気がする。

仕事、未来、夢、老後、それよりなにより今の生活そのものにすら安心感が持てない。明日をも知れない暮らし。家を持ち、食事をして、掃除をし、着る物を整えて、毎日仕事へ行っていても「安心な幸せ」が実感できない。

何かをきっかけに転落するかもしれない不安と背中合わせの私たちは、人の不幸を見るというより身につまされている。

 

そりゃもちろんせっかくある仕事を続けられないだらしなさはダメだ。でもそのだらしなさが全ての原因かと言ったらどうだろう。…まあ、このリリーさんの人の場合はそうかな(苦笑)

頑張っても報われない世界に疲れる。頑張る気力もうまく出せない。今まさに自分もそうだ。

雑なものばかりに支えられた暮らし。

汚れたものを見て見ぬふりしてるのに、放り出せずに抱えて生きる息苦しさ。

正義とか悪とか、そういう線引きが欲しいのじゃない。否が応でも抱えてるしかないのだから。どうしたらこの汚れた不安から逃れられるのか。

 

これを「万引きを賞賛する映画」と捉えるひとって、もしかして完全なしあわせを手にしているのかな…。

 

やっぱり国際映画祭受賞ってちょっと不思議だ。どんな風に見えるんだろう、この日本という国が。その舞台が首都東京であることを。

それともどんな進歩発展した国にも、こういう不安はあるんだろうか。

ただ生きていくことがいかに不安定かを、思い知らされる映画だ。

 

 

リリー・フランキーさんの底知れないキャラクターの宝庫をまた見せつけられてしまった。

以前YMOのインタビュアとしてむちゃくちゃ緊張してるの見た時は、「リリーさんにもこんな普通な感覚あるのん?!」と思ったりする程度には変態だと思ってた。

テレビの時って"バリっとした小洒落たスーツとハットを着こなすステキおじさん"がデフォで、ついカッコイイなぁとか思っちゃう。でもあの人ラブドール集め公言してたり、言うことがクズっぽいし、とりあえずやっぱり変態枠。

これまで観てきた映画の中の役柄はほぼ「狂気」に括られる気がする。めっちゃ怖い、もう理解不能なくらい怖いひととか、背中に闇しか見えない謎の医者とか、妙に優しいダメおじさんとか…ん?今回の役はそれに近いか。

バリッとしたスーツ来たら化けるとは思えないくらいだらしなく貧相でしょぼくれた裸…もう絶対ジムとか無縁の。

それがもうなんていうか、この映画の象徴みたいで。

真正面で観るのが辛い。

リリーさんの不安定さ、奇妙さが完全に映像化されてたな、これは。

 

なお、後半になって急に豪華な脇役がどんどん出て来る。余りの豪華さについ浮かれてもしかしてこれってすごいハッピー大団円とかにならない?とか勘違いしちゃうくらい。

でも寒くて悲しくて寂しくて、痛くて痛くて、鞭打たれるような結末に進んでいくのだ…

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