寛容かつ合理的であることの難しさよ…
自分に当たり前に出来ることは普通のことだと思っていた。障がいの話とかじゃなくって…いやそういうのもあるかもしれないけど。
反対のことはたまに見かけるんだけど。
ツイッターを見てるとたまに「こう言うことが出来ない人はこう言う風にするとそれが克服できますよ」みたいな、ライフハックよりもうちょっとビジネスライクなことを学べたりする。
例えば、自分は仕事にとりかかるのに難儀する。集中力はあるものの、とにかくスタートに時間がかかってどうしようもない。最後には「今日出来ることは明日も出来る」発想に甘えたりとかする。性格とはいえ仕事をする上ではなんていうか、自己嫌悪になる部分だ。忘れている訳じゃないから「To Do List」なんか意味ないと思ってた。
自分の弱点や難点に気付けるのは良いことだと思う。大人になると身近な人でも指摘してもらう機会はない。そして「自分はこんな性格だし」と甘えている。いい歳になると性格も習慣も簡単には変えられるものでもなく、結果的に一生そうやって甘えて自己嫌悪して行くのかもしれない。
誰かに迷惑を掛けているわけではないじゃんっていうのが私の中の線引きなのだけど、やっぱり線の手前でも自己嫌悪は免れない。ちゃんとしなきゃって落ち込んだりもする。
先日RTで回ってきたツイートで、反対に「自分には簡単に出来る、誰でも簡単にできるし、むしろ出来なければならない」と思っていた行動が、そうではないことを知った。読みながら「はぁ?こんなんだらしないだけじゃん」くらいに思って、「出来る人はそれは才能だ」とあって固まった。
才能?は?出来ないってことはつまり、「やらない」のではなく「出来ない」ってこと?
お前は何を言っているんだ、みたいになってきたな…
自分にもあるよ、片付けられないとか整理が苦手とか、そういうことだよ。いつも部屋やデスクを綺麗にしていられる人はそういう性格なんだよ…て思ってたけど、才能とも言える。いやそう言っていただけると、私には才能がないだけでだらしがないわけじゃないという言い訳に…
ほんとに何言ってるのか分からなくなってきたぞ。
とりあえず、これは「こんなことも出来ないなんて、人としてどうなの?」とうっかり上から目線になっていたのでは?と冷や汗が出てしまった。
出来ない人もいるのだ。大袈裟に病気だとか症候群とか名付けられていなかったけれど(度を越すとなんらか行き着きそうだけど)、「わたしもです」と言う方が多かったので驚いた。
わーーー怖い怖い、結構思ってるかもしれない、言っちゃってるかもしれない!
ごめんなさい!!いつかの誰か、ほんとにごめんなさい!!
人によって、些細な事でも出来ないことはある。それが「ただの怠け心」じゃなくて(見極めは分からんけど)「才能がない」だったら、軽蔑したり叱っても意味がないということを、こんな歳になって知った。
まあ、簡単に「苦手」とも言える。本人が努力しても焦っても上手くやれないことはある。そんな時は出来る人が手伝うとか、問題ないなら得意な人がやってしまえばいいんだよね、会社や家庭なら。バカにしたり無理矢理叱ってやらせるより合理的だし、何より平和ではないか。
勿論そこに、「学ぶ」とか「身に付ける努力」があってもいい。
とかいいつつ「明日でいいか」と視界にある書類を見ない様にしている私だったりする。