ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

思い出す

子猫の口臭問題。我が家に迎えて気付いて以来、四六時中そのことが頭を離れることがない。一度は決意して抜歯手術の予約もしたが、あと2週間という所でキャンセルした。

 

自分のことではないから、決め難い。

猫にとっての口腔内の問題の大きさ、その解決方法が手術一択なのかという疑問、手術によって本当に改善するのかという不安、成猫になって治まって行くのでは?という期待。

前の猫を最期に夜間対応で診ていただいた病院へセカンドオピニオンをと思いつつ、考えあぐねる。子猫は極端に臆病で、前の猫よりも更に病院嫌いだ。気が滅入る。あの時のことも思い出すかもしれないし。

 

 

考えているうちに結局前の猫を連れて行った時のことに囚われしまう。

あの日、猫はまだ苦しみながらも意識はしっかりしていて、帰宅した私にすがってきた。動転した私はスマホにかじりついて夜間診療の病院を探し、気もそぞろに猫をキャリーに詰め込んでいた。

 

もっと落ち着いて猫を安心させてあげられなかったろうか。「酷いことになる」という予感に駆られたなら、なおさら丁寧に包んであげたらよかったのだ。猫は苦しみと不安で鳴いていたのだ。すがっていたのだ。そこを汲み取る余裕がなかった。

仕方がない事と思いつつも、後悔が襲ってくる。

最悪の結果になるのなら、病院に行かずにずっと抱いてあげていたらよかった。でも病院に行けば苦痛を取り除けるのではという気持ちが先に立ってしまった。すぐにでもそこに対処したかった。それは私の都合で、猫は私という存在に頼ってすがりついていたのだ。私はその気持ちに応えてあげられなかった。

大嫌いなキャリーに詰め込まれ、大嫌いな病院へ向かう。弱弱しく訴えてくる鳴き声に、私は何を答えていたんだろうか。タクシーに乗り込んで運転手とのやり取りに苛立ちや苦痛を感じていたことばかり思い出される。早く病院に辿り着きたい。この悲鳴を止めてあげたい。苦しみを無くしてあげたい。

全部自分の都合だ。

猫はどこにも行きたくなかったんだ。

 

 

落ち着いて対処できる人なんているんだろうかと思う。プロじゃない。猫と同様、不安と恐怖に飲みこまれてしまっている状況で。

私は人や人じゃない生き物に対しては感情が先に立つ性質なので、一緒になって苦しんでしまうのだ。そんな人間が、苦悶にあえぐ動物を前にしてどうしたら心を平静に保ち対処できるんだろうか。これまでも多くの動物を見送って来たけれど、いつだって感情に呑まれていたと思う。

 

この気持ちは、今後のそういった事態に活かせるのだろうか。猫の死で初めてそう言うことを思った。

 

ふらついて私の傍らに辿り着いた猫。私は悲鳴に近い声を上げてパニックになりながらスマホを掴んでいる。苦痛と不安に襲われている猫は更に恐怖に陥っていたろう。

4ヶ月を過ぎて、あの時の光景が俯瞰で見える。腰が抜けた猫、狂う私。

 

 

今、それを泣いたからってなんだっていうんだ。

もう取り返しのつかない時間だ。猫は還って来ない。気持ちも行動もやり直しはきかない。命も時間も戻らない。自分を責めても悔いても、意味はない。

 

だから、あの時の病院に行くのが怖い。

子猫のこれからを考えねばならないのに、何をやっているのだ私は。

 

 

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2017年2月

 

 

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2017年12月