乗り過ごすことは多いけど、一駅手前で降りてしまった。損か得か
どうしようもない睡魔とか、なんでか知らないけど目は覚めてるし意識もはっきりしてるのに「乗り過ごす」ということは日常茶飯事やってしまう。今朝は大きな乗換駅で座れたためガクッと眠りに引きこまれた。通勤はトータルで6駅だいたい20分ちょっと。座れた駅からはあと4駅。ぐっすり眠りたいけどそうもいかない微妙な時間。
ものすごい強い睡魔。でもそれに負けて乗り過ごしてはならぬという意識も働いて、ひと駅ふた駅で目が覚める。その度また睡魔に任せ、そして到着した駅でよたよたと立ち上がり人を掻き分けてよたよたと歩きドア前に来て気付く。ひと駅手前やん……
むーん。
人波に逆らわずに一旦ホームに降りて再度乗り込む。
あー、せっかく座れていたのにもったいない。そりゃもったいない。あとひと駅でも座ってたかった…。がっかり。でもどうせあとひと駅。
いつだって朝の眠たさは尋常じゃない。どうやって会社に辿り着いたのか記憶がないというのが多い。でも今日はうっかり「ひと駅手前で降りる」なんてことだったのでさすがに記憶には留まった。
席も悔しいけどちょっと面白いもんね。ほら、気付いた瞬間の恥ずかしさっていうか、その後なんでもない顔して電車に戻るとか、なんかもじもじする落ち着かない気分だし。
この話はちょっと盛ればネタだ!と同僚さんに話したところ、苦笑いをして「それさぁ、すっごい悔しくない?」と言って私に代わって落ち込んでいくじゃないか……え、えー待って待ってなんで!?
彼女は悔しがり過ぎる。
彼女にはそういうところあるのだ。
年末の忘年会のビンゴに当たらない時、拾ったお金をすぐに落としてしまった時、スーパーで買い物をして最後にパパッと買ったものをどこかに置き忘れてしまうとか、選びに選んで買ったイチゴは下の方が傷んでたとか…などなど…
ちょっと待て。
年末のビンゴはともかく結構あるじゃん、しかも何回か同じようなことやっちゃってるじゃん。それはいろいろと失敗しすぎなのでは、という気が。かく言う私も大概に様々やらかすけども。類似する残念なことは子どもの頃からしょっちゅうやってきた。定期や財布、免許証、家の鍵も消え失せて行った。あれらはなんでなくなってしまうん…?どこに行ってしまうん…?
いっとき「これはたいそう損な性質である」と落ち込んだりもしたが、反省してもましてや落ち込んでも悔しがっても直らないのだ。(世ではこれを「開き直り」と言うらしいが)
しゃーないやん。
しかし齢うんうん(ぼかし)となった今もまだ、彼女は落ち込み続ける。さらに妬みや僻み、羨望などが入り混じりものすごく複雑になった闇の権化みたいな負の感情を表現するのだ。全身で。
聞いてる私にはもううんうん(ぼかし)年も付き合った性質だし、軽い笑いにしかならない出来事である。せっかく話すなら多少盛ってもうちょい楽しめるネタにしたいと思うくらいだ。それをまさか自分に代わって落ち込んでくれるなど、自分がうつ病で薬を飲むのが申し訳なくなるくらいの悪い病気なのでは…という不安がよぎる。
「人間諦めが肝心」などと簡単に言うけども、なかなかどうして「小さなガッカリ」を拗らせていくと何もかもが全部自分の人生を狂わせる「憎きセレンディピティ」となってしまうんだな。
あ、いや…
「セレンディピティ」てなんやねんw
これの反意語はないらしい。ちょっとググっただけだけど、そもそも造語だしね。なんかキラキラ女子が好きそうな言葉で締めたかったのに全然思いつかなくって←
実はこの言葉、もっそいインチキくさくておまじない的ななんにもなんとも心に響かないんですけどね、私には(笑)
何かと偶然出会ってキラキラするのも、うっかり落としてガッカリするのも結局確率としたら同じじゃないのって思うことにすればいいんですわ。全然違う話になったけどむりやりそういうことにしとこうよね(適当)
みんなネタにしようよ。いつか金の斧を拾うかもしれないじゃん。
こんなん観てないですよw