ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

源くんを楽しみに紅白を観てやたらあちこちに毒づく自分はいったい何者か

2年ほど前から星野源くんのファンの友達から布教されて、沼にはまっていた。

音楽も著書も掻き集めて熱中していた矢先になんだろうか、このタイミングで移籍やら大ヒットの連続、ライブの盛況…ちょ、ちょっと待って、はまって直ぐに申し込んだ武道館ライブはスッと行けたのに突如手の届かないよくあるアレになってしまった。…なんで?

 

「もともとお前が育てたんじゃねえし、お前のもんでもねえよ」というサブカルファン女子的なアレ。

 

観て!ほらこんなに冴えない普通の男子だよ!

これが好きですねぇ。もうちょっと遡るとね…ってキリがないんですけどね!

 

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………

 

いや、そういうんでなくてだな、とりあえずチケット買うのにややこしいルールが販売代行業者によって細かく違うとか、ささっと申し込めない、全然当たらない(←ここ仕方ない←)、問題をなんとかして欲しいテーマのブログも書きかけやっ!!(置いておこう)

 

去年の「SUN.」に続いて「恋」がドラマタイアップで大流行、更にチョンマゲで大河にまで出演したもんで軽く紅白出場ハードルを超えてくる。(夫婦になれないかなしみ)

和田アキ子よ、見よこれが紅白だ。

(すみません、そのままの意味ですが謝罪します、どこかの方面に)

 

 

昨年春から通い始めたボーカルスクールでのボイストレーニングで、様々な迷走を続けつつも段々と道が見えてきたここ数ヶ月、こちらのブログでも「歌うこと」について続けて書いてみたけど、今はまた少し違う捉え方になっている。もしや続ける限り無常なのでは?という気がしてた。

 

12/23にずっと教えてくださっている先生のライブへ足を運んだ。

直前のレッスンで声をかけていただいた。その日は予定を入れずのんびり過ごすつもりだったけど、地下鉄1本で行けるところだったし、夕方からということで気軽な気持ちでネットで申し込み。

住宅展示場の施設内カフェで、和やかかつアットホームなライブだった。クオリティはもちろん申し分ないものの有名アーチストライブの雰囲気ではない。 

カフェの椅子を集めた客席、なるべく先生とお顔が合わないように(なんとなく気恥ずかしい←なぜ私が?とか言わない)こそこそと空席を探し、壁際ソファの隅に荷物が置かれているのを無理やり「座らせてください」とお願いしてふかふかに沈んで更に顔はうつむき加減。とにかく「見つかりませんように」な気分。(もうほんとなんだお前?とか言わない)

ワンドリンクはカシスソーダ。あまり飲まないアルコールだけどちょっとほろ酔いでリラックスに拍車がかかる。

とにかく、のんびりと居心地のいいライブだった。

耳なじみのあるセットリスト、明るくて安定した歌声。誰も知らない人の中に紛れて孤独に浸ってボイトレのことだけじゃなく様々思い起こし、自由にスマホで写真や動画を撮る方も多かったので私も普通にスマホを手にツイートしたり様々タスクをいじりつつ、涙腺も気持ちも解放されていた。更にはねむみも…

 

気付くと休憩時間となり、ささっと先生が目の前にやってきた。

「ぎこさぁあん!」

「!?ひぇ…」

「見えてましたよー!ちゃんと見つけてましたよー!」

「ひぇええ…」(涙拭う暇なし)

隣の人「さっきから自分の部屋みたいに寛いでるのよ」

「ひぃぃすみませんすみませんっすごい気持ちよくて」

「あははは大丈夫ですよー楽しんでねー」

 

後半も絵本の読み聞かせがあったり、またもやふわふわとしつつ完全に癒され状態。終了後は挨拶をして回る先生からまたもや隠れて会場を後にした。

次のレッスンは新年明けてからだしその時にお話ししようと思っていたのだが、翌日お礼のメールが届いた。個人のメアドまで教えていただけたので、すぐにライブの感想と合わせてこれまでの感謝の気持ちをお伝えするお返事をした。

するとまもなく長いお返事をいただけた。

 

歌うことを仕事にされているプロフェッショナルの先生からの、あくまで趣味でどこまで何を目指せば良いのか迷いの消えない自分に光栄なお言葉があった。

 

意識的なものなので技術がどうのという事ではないけれど、「継続することに意味がある」と見出しつつも、「では、学び続けるとは?」という疑問も知人との会話の中で自信がなくなったりしていたので何だか嬉しかった。

 

歌うことについて、もちろんトレーニングの成果や継続してきた事で上達を感じていたし、そして学ぶほど他人の歌について技術的な部分にばかり注目する様になってきていた。

図々しくも見下したり、たまに並んでみたり、そして激しく感心したり。あまりにも上手い方を前にするととりあえず「あれもう才能だもん」みたいな、なんでか知らんけど何かを諦めて納得しようとする自分に

 

「お前はどこに立ってるのか」と自問する。

「お前あほか」

 

私は誰かを評価したい訳ではない。ほんと。そして評価して欲しくて歌う訳でもない。ほんと。もちろんお金のためでもなく、それでは何が良くて歌うのかと考えてみたらそもそもそんなのでもないし。 じゃ、なに?

 

ハッキリ言えば、先生の歌にもどこか安心感を得ていた。ものすごく遠い存在ではないと感じたから。(失礼極まりないクズですはい)

様々な仕事、やりたくないであろう仕事や、もしかしたらスクールの教師も望んでないかもしれない、本来なら自分の世界観だけを生業にしたいというところがスタートだったはずではなかろうか?アーチストとはそういうものだと思ってる。(勝手ながら)

ほんの一握りの人材しかその成功を手にしないと思うと、こういう位置にいるプロってどんだけどんな歌をどんな気持ちで歌ってきてるのだろうかと胸が痛くなったりした。

 

本当にお前何様なん?と恥じ入るばかりだ。そんなの超越したところにいる方たちがごまんといらっしゃるんだよ。

 

 

ステージの先生は非常に楽しそうで嬉しそうで、そしてそれはスタジオで私に教える時のテンションや笑顔と全く違わない。裏も表も、否も応もない。そのままだった。

簡単に言ってしまえば「音楽に関わっているだけで楽しい」ということなのかなとか。そんな簡単な訳なかろうとも思うけれど、究極の着地点だと思う。その程度のドレスなら裾の返しの縫い目程度のことしか想像がつかないんだけども。

 

「一握りへの成功は成せなかった」という意味合いのお話も笑ってされていた。ピアニストには裏方とは言え有名な番組に関わるアレンジャー。そんな方と共に長きに渡って仕事をしてきて、そして単独ライブのバックで共演していても、2人はそう言って笑い合っていた。

「売れて、印税ガッポリ生活になったらこんな夢があった」と語っていらした。

全然今からでも実現出来そうなのに、今はそこには全力を投じられない状況なのは察するし、そう笑いながらあんな風に楽しげに歌えるのだからもう「夢」とかそう言う事ではないのだとも察する。

 

やばいぞ、これで一度下書きにして閉じたらまた書きかけのものが下書きにたまるだけだ。(3日目に突入した)

 

 

先生からのメールには

「歌い手さんていうのは声という自分の楽器といつも向き合って試行錯誤している」

ザックリとだけどそういう事が書いてあった。

「だからぎこさんが試行錯誤し悩み迷い、それでも続けたい、楽しみたい、楽しいと思う人なら『歌い手さんに向いている』んですよ」

 

…ぇ?

 

ぇぇぇえええ?

 

自分が必死に悩んでやってきてもそんなのほんの1年半ほど、まさかこんなお言葉をいただけるとは!!(ただのクソめんどくさい生徒だと思われてると、あ、それも否定する嬉しいお言葉もあったんや♪)

これは技術的な話ではないことは百も承知。それでもこれまでの迷いが霧散するほどのもったいないお言葉だった。

 

 

大晦日、あらためて紅白を見ると今まで気付かなかった発見があってどうしようもなくめまぐるしい。

 

ああ、なんでこんな下手なの曲がもったいない←結局見下してる

 

とか

 

案外この人上手いんだ、分かってなかったな←結構見下していた

 

てな具合で相変わらず立ち位置おかしいんだけど←反省してない

 

知らない歌手も好きな源くんにしても「上手い下手」ではなくて、そのバックボーンに思いを馳せたりする紅白歌合戦鑑賞になっていた。

この晴れ舞台に立つまでの意識、世界観、迷い、その強さ…上手く表現できないのだけど…楽曲の難易度、クオリティ、そこに合わせていく技術…etc.

 

前日(?)「SONGS」再放送をたまたま再見した。松田聖子YOSHIKIとコラボするに当たって「ひたすらに歌うことだけ」と言っていた意味や、気付くと聞いたことのない発声をしている紅白のステージの彼女を見て、「ああ、この人はまだ何かを模索し習得する作業をしてる」と実感する。

(ちなみに承前としてここまで源くん以外に思い入れのあるアーチストの名前はないですょ)

 

 

私は自分の不得手を客観視して修正する、自分なりの進歩を見出すという「真面目な習い」をしないできた人間だから、ボイトレをしてここまで真剣に取り組む自分が不思議だった。無いものを悲しんだり出来ないことを悔しく思う気持ちを上達に昇華させることも初めてだった。

 

「出来たあああん!」のよろこび。

 苦痛を伴うけれど、気付かずに必死に取り組んでいた。落ち込んでもトレーニングに行っていた。

 

理屈っぽい私はこの作業が実は苦手ではないのかも?むしろ向いているのかも?と思い始めても自信がなかったり、を繰り返していた。

そこに先生から

「ぎこさんは『歌い手』として向いている」

という言葉をいただけたのだ。

 

もちろんプロとかの話ではない。さっきも書いたけど「上手い下手」ではなく、自分を知り不得手を客観的に捉え徹底的に分析すること、理屈と感覚の違いを知ること、それを声という楽器に反映させて上達への道を模索すること…そういった検証とトライができるという部分の話。

これは自慢ではなくて、どちらかというとめんどくさい性格だよって思ってるんだけども。この際それはいいや(笑)

 

あーなんか「上手くなろう」とか「どうなろう」とか要らないや。目の前の歌、歌いたい歌を納得して楽しんで歌えたらいいや。

 

どんどんシンプルな楽しみになって行く。

なんてしあわせ。

 

 

えー剛(KinKi Kids)、なんやかんや歌上手かったんやなー、←まだなんか立場分かってない