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ぎこの観たもの聴いたもの

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

映画「スポットライト」

映画

連休中日にレディースデイお一人様で行ってきた。

全国的に強風の中、桜木町は相変わらず強烈だったww

子供と年寄りは強風の日に桜木町に行ってはいけない。 

(飛んでっちゃうか、転がってっちゃうから)

 


長いので一番言いたいことを書いておこう。

レイチェル・マクアダムスが本当にかわいくて美しい。

シャーロック・ホームズ」の不二子ちゃんみたいな色っぽくてチャーミングな役とは別人だった。 

 

そしてマイケル・キートン

「バット・マン」「バードマン」、どっちもなんてことないなーって思ったけど

この作品では本当にいい老い方したなって思った(何様)



とにかく何度も涙が出そうになるのに、記者たちは決して泣かないので(泣きそうにすらほとんどならない)、

自分も泣いてはいけないと一生懸命堪えてしまった。

肩凝った…


宗教が空気の様な環境でないからピンと来ないなんてことはない。

「空気には毒が混ざっている」「自分は今毒に刺されてしまった!」と叫べない時は…?

そう考えたら容易にその恐ろしさは想像出来る。

同じ空気を吸いながらそれを立証し罪を突き詰めていく、

その一方で仕事としての成功やプライドや正義感がない混ぜになる…

んー

被害者が涙する気持ちは十分に分かる。理解する。

忘れたい気持ちも、吐き出したい気持ちも、苦しい気持ちも当然だ。つらい。

だから取材時の彼らの嗚咽についこちらも涙腺がぶわっと緩む。

でも記者たちは決して感情的にならない。

ならぬよう努めているのか、

それとも感情に鍵がかかって「真実を掴むこと」しか頭にないのか。 


仕事をするって「感情」は本当はいらないのかな。


 


ちょうど前日に、猫飼いの友達と獣医師の話をしてた。

「苦手な先生っているよねー」って。

事務的で高圧的だったり、こちらがおろおろしているのに鼻で笑ったり。ハッキリと

「こうした方がいい」と言ってくれないとか。


「どうして自分たち飼い主の気持ちに寄り添ってくれないんだろうねー」って言い合ってた。

「だからあの先生は嫌い」と。

どんな関係でも人の心の完全な理解なんか不可能だけど、

それでも飼い主としての自信を失って、病状への対処に動揺する気持ちに寄り添って欲しいよねってことなんだけど… 


 

考えてみたら、

例えば獣医がね、

重篤な病状を涙ながらに説明されたら飼い主としたら泣けないというか、

いや普通に人間の家族の医者でも、そんなのあり得ないわけで。

「お前泣いてどうすんだよ!」って思うよね。きっと。

そうでしょ、絶対。

動物の怪我や病気を治すって言っても、

人間の医学ほどになんでも治療法があるわけじゃないし、

原因すら特定できない症状が多い、

そして何より、病気と治療について動物本人はどう思うかなんてわからないから、

全部の責任は飼い主にかかってる。

医師はもちろん医学的な説明を十分に飼い主にしなければならない。

投薬、手術、治療、生活管理、医師の説明を聞いたうえでそれらについて選択し実行するのは飼い主。 



話がすっごいズレたんだけど。まだズレてくけど。


例えばフクイチの現場で日々働く人たちは被災者の生活や心に寄り添いながら、

それでもやるべき事をやってる。

自分も辛いはずだけど、泣いても全然何も解決していかないから。

誰が悪いとかそういう話も関係ない。

”ほぼ日”のフクイチの今についての取材記録を読んで、あの時からと現状を知って、やはり泣けてしまった。


でもあそこに住んで、通って、被災者と向き合って、廃炉作業に勤しむ人たちは泣かない。


人が経済活動をしなくなった原発一帯は、自然が美しく、取材時は一面にすすきが風になびいて夕陽に光っていたそうだ。


その画像を見ながらやっぱりボクは泣いてしまうけど、だれもきっと泣きながら作業なんてしないんだよね。 




ここで戻ってくる。

「スポットライト」の記者たちは、家族も自分も宗教と切り離せない生活をしてきた中で、 その「毒」を知って愕然とする。

 

調べるほどにその毒の強さと多さに戸惑いながらも怒りが湧く。

 

でもそれはすべて、

「毒を放置する誰か」を、いや「毒をなかったように見せ掛けるシステム」を

事細かに調査をして探し出すというエネルギーに変換している。 

 

いかなるやり方を持って告発していくのか話し合いぶつかり合い、

私生活を犠牲にしながら奔走する。

 

誰も泣かない。

膨大な隠れた、または意図的に隠されたデータとひたすらに向き合う。

怒りも悲しみもあって、時として爆発しそうになり、気持ちを共有し合い、自分の生まれ育った街の中の毒の存在と向き合っていく。 



たまに、スクープだとか他社に持って行かれてしまうだとか、

そんなビジネスゲームの様な部分も覗くけれど、仕事である以上それは無しでは語れないんだろう。 


売れなければ記事は発表できない、新聞が発行できない。商売だからね。

 

 


重いけれど観て良かった。

少なくとも「モヤモヤとした気持ち」にはならずにエンディングを迎えてくれた。

このニュース、自分には本当に関わりのないものだったので

バチカンだかローマ法王が世界に向けて謝罪した」ってくらいしか覚えてなかったんだけど、 

こんなすごい、全世界の人々を巻き込んでたんだと知った。


泣いてもいいけど

泣いていても何も解決しないんだって、ずっと思って来たけど

自分は「行動力」に乏しくっていつも泣いていただけだし、

多分これからもそうなのかなぁと、ちょっとげんなりもしちゃった(笑) 

 



つーかほんとになげぇな、おい(笑)