ぎこ記

映画や音楽多め。あとどーでもいいひとりごち

映画「ある天文学者の恋文」…涙に吞まれない強さ

なかなか逢えないひと、特別なことを共有するひと。自分の人生そのものとも思えるそんな愛しいひとが、自分の知らぬ間にこの世を去っていた-------------

多分めちゃめちゃよくありそうなネタだけど、上手いこと作ってあったなぁ。そもそも涙腺バカにはそのネタの気配だけで泣けてしまうので、ものすごく一生懸命になって感情移入をせぬよう覚悟を決めて観た。

 

インフルエンザに罹った時のように全身の力が一気に地面に吸い取られる様なしんどさを何度も感じた。

そしていなくなってしまったはずの人から次々とメッセージが届くという謎事態の中、現実が受け止めきれずに次第に虚無に呑まれていく主人公。その気持ちにどうしても同化しそうになる。若干画面を遠ざけたりした(無意味)。

霧の中でもがくかのような彼女の行動力はメッセージと合わさって、彼の死だけでなく自分の人生も受け入れるための時間と原動力になる。長いのか短いのかは分からない。日は暮れ朝は来ているのに、それを数える余裕がない。だから観ている方にもどれだけの日数が経っているのか実感がない。

それにしても、死を覚悟して準備した彼からのギフトには愛と知が満ちている。溢れる幸福と寂寥がない交ぜになって、その深さと力強さに物語を追うことをやめられない。

 

実は、冷めた目で見てしまうと若干の気持ち悪さがあったりもする。

周到に準備された大量のメッセージやプレゼントはあまりに頻繁かつタイムリーで、何もかも予見していたというより「どこかで見張られているのでは…?」という感覚に襲われてしまう。ミステリーのジャンルも入ってたりするのはそのせいなのかな。

どうやってそれらを準備し死後も届くようになっているのかは、彼女が必死に手繰り寄せて解明されていくんだけど。

やっぱりこれは普通に恋愛映画だ。苦笑

 

圧倒的な質と量の恋文たちは、喪失の絶望を救うには十分である。そして生前の関係がいかに崇高で濃密であったかを観ている者に思い知らしめる。

彼が生きて主人公と愛を語り育むシーンは冒頭のほんのわずかしか描かれていないのに。

 

天文学者には、本当に予知能力があるのかも?うっかりそう思ってしまうのだが、まるで彼の病状が同時進行しているかの様にタイミングがずれて行く。

そしてそのことに気付く頃には、彼女はもうほとんどのことを受け入れて、対処する方法を見つけていた。親子ほど歳の離れた優れた学者を骨抜きにするほどには、相当な聡明さなのだ。 

 

途中で何度か突っ伏す勢いで泣いたりしたけど、どうにか立て直せた。そこには多くのディテールの中には、ふたりの高い知性と力強さがあったからだと思う。

 

とても良い映画だった。

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彼女のあだ名(?)が「カミカゼ」だったりカフェで「グリーンティ(緑茶)」を頼むとか、なぜかちょっと日本を匂わせることが散見される。…特に嬉しくもないし必要とも思わないんだけど、「ん?」て気になる(笑) 

 

昭和平成既読スルー

浮き足立つのは自分だけであるこことを痛感する現象だ。LINEというツールは便利でありながら、なんと残酷なのだろうと思う。

 

話したいことがいつも止まらない。あんまり自分の感情ばかりぶつけても仕方がない。なのに自分のことを話したくなるし、とにかく私は自制をしなければいけない。

相手が何か考え文字を打ち、送信するまでの「吹き出しの間」に相手の気持ちがそのまま表されていると思う。文字がなくても伝わってくる。ただ相手の言葉を聞くためだけに私は黙していなければダメなのだ。

なのに、待たずに文字を打とうとする私の心は混沌とした喧騒に満ちている。話したい気持ちに支配され、相槌もないのに言葉が次々と湧いてきてしまう。文字が追いつかないほどに。我に返って推敲している間にもあふれ出て足もとに散乱する。そのだらしない言葉のカケラに参ってしまう。

面と向かってこんなにたくさん言葉って出てくる…?ああ、私はおしゃべりなので出てきてる、きっと。…参った、処置なしだ。心底自分にうんざりする。

 

そうやって、遠く離れて生きてきたひとをいつも思う。アカウントを交換してしまったがために、いつもそこに新しい文字を探してしまう。

 

昭和が終わる少し前に出会った。気付くと2人でいる時間を大切にして、同じ温度と同じ歩幅で並んで歩いた。それは易しい流れにはならなず、落としどころは「ともだち」だった。どちらかが踏み外しそうになる度にゆっくりとぎこちなくなるのを、どうしようもないまま言葉を交わした。そしてそれはそれで楽しくしあわせだった。

 

若い時(とは限らないけれど)は、1本道を歩くことが不安だ。新しい道は怖いのに、そっちが正しいんじゃないかと揺れてしまう。留まるか逸れるか、迷っているうちに自分の足もとしか見えなくなってしまう。

それでも私たちは言葉が届くところにいたはずだった。しかし気付くと顔を合わせる機会は減り、いつしか砂粒のような点になっていた。

砂粒から絵葉書が来るようになった。遠い空、見たことのない街並み、知っている美術館にはない絵画。宛名面の半分以上に旅や自らの近況がぎっしりと綴られていた。旅のなすパワーだろう。熱量をそのまま受け取るのは難しかった。異国の香りを放つ絵葉書をしばらく眺めて文字を反芻して、自分の心に何かが湧くの感じていた。

書きはじめるとそれは葉書の量ではなく便箋になった。どうにか1枚にまとめても、封書で返事を書くのはどうなのだろう?そう悩みつつポストへ入れた。

そしていつか紙の往復も、ゆっくりと次第に波にさらわれていくように距離を増し、そして紙自体にも重さが増すようだった。

 

銀河系の中の無数の惑星同士みたいに、どこかでそれぞれの日常は変わらず続いているはずだと感じた。送った言葉も届く言葉も、どの時点で読まれているのか分からない。心の底には熱をもった言葉が沈んでいたけれど、わざわざそこに触れようという気持ちも共に沈めた。

私は何に向かって何を思うのか。存在すらもう確かではない砂粒はどの星のどの海辺にいるのか、街の風の中なのか。

 

私の視界はあるとき茫洋となり、心を閉じた。

 

世の中はネット社会になった。誰もかれも蜘蛛の巣のように張り巡らされた通信の先に存在していることになる。蜘蛛の巣は巨大化し、細分化し、その先も明確になる。砂粒もそこにいるはず。なのに強い波に足もとをすくわれて膝をつく。倒れぬようついた手を見ても、あの人はどの砂粒なのかが分からなかった。

 

地球の月日はいつもの様に過ぎていく。過去も今もこの先も。目も心も閉じてただ息をしてるだけでも。

 

ある日、紙の報せが私を驚かせた。そのショックが距離も重さも忘れさせメールを送らせた。生命体として不具合を生じたと知らせてきたのだ。あの人は砂粒なんかじゃなかった。異空間を旅する紙ではなく、メールはあっという間に距離という感覚を飛び越える。

 

どのくらい離れていたんだろう。どのくらい思っていただろう。

昭和の終わりに並んでそぞろ歩いたあの頃の感覚が蘇る。驚くほどに生々しく。心や、触れることのない指先や肩の皮膚の神経がぴりぴりとする。隣に立って歩いていることに言葉では表せない気持ちが湧きあがった。

風や波や桜の花びらの中をただ歩く。美味しいサンドイッチを食べて、笑う。「キレイだね」「美味しいね」という簡単な形容詞しか出てこない。それはお互いの耳に届いて、その後は何も残らない、声。

「変わらないね」と言った気がした。

あの人が?私が?

 

あの頃よりももっともっと慎重に歩く。もう2度と曲がりも逸れもしないだろう、そして決して交わらない道を歩く。時空は歪んではいなかったけれど、互いにあれこれ身体に不具合が起こるほどに地球時間は経っていた。

 

別れ際にLINE交換をした。「吹き出しの余白」はふたりの新しい交流だ。文字を打てばすぐにあの人に届く。

でも実際には手紙やメールと同じだ。「送信ボタン」と「ポスト」は同じ。いつどこで読むかも分からない。読まれても相手の心に何が生まれ言葉になるかも分からない。

それなのに「既読」が表示されると、あの人が息をしていることを感じる。名前が表示されているだけで、私はあの人を感じることが出来る。あの人ではない人が読んでもそれは表示されるのに。

 

バカな錯覚だ、つくづく自分が間抜けだと思う。

距離感が分からない。言葉が届いている事だけしか分からない。

けれどそこは遠い世界かもしれない。

やはりあの人は本当は異次元のどこかの星で暮らしているのかもしれない。ツールが作動しているだけで、本当は受け取る人は同じ空の下にはいないのかもしれない。

 

既読スルー。

それでもそこに私は多くの思いを馳せる。この「間」は、ふたりだけのものだと信じてしまう。

バカな錯覚と知っていても。

 

私は異次元の砂粒に向けて文字を送る。

 

 

 

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映画「ヘレディタリー/継承」

これを観た洋画ホラー好きの方ならほぼ同じ気持ちになると思う。至上最恐ってこたない…。ただ地獄や悪魔が恐ろしい強い信仰心のある人たちには眠れないくらい怖いだろうっていう種類。

脅かし演出が過剰でなくてしかも物語があって良作だった。いつもなら座席で50cmジャンプとか薄眼とか視界からスクリーンを半分外すとかするけど、せいぜい5cm程度のジャンプ1回(2回?)だった。

 

13歳の妹の異形感、これも自分が東洋人だからこその感覚なのかなぁ?

こんなかあいらしい女優さんやったんやな。アングルとか、ちょっと目の下に特殊メイクしてるのかな。それとも完全な演技なのか…謎。(「コリッ」ていう舌を鳴らす音。あれって子供の時に大人がイライラするほどやってたと思うけど、こんな怖いっけ?てなるよ、この妹の場合。)

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兄ちゃん役は、最初「冴えんなぁ」と思ってたのにだんだん魅力的になってくる不思議。ラストシーンの美しさなんて「えっ」てなる。演技か。いやもうこれ二人とも演技か!!

 

 

なんとなく中盤を過ぎても「ハッピーエンドにならないかなぁ…なるといいなぁ…」と…。ホラーを観る者として間違えてた、私。

親子や家族のちょっとしたすれ違い、諍い、負の感情、そして病的な要素はありふれた話だ。それが増幅していくのを観ていたら辛くなるものだし、難しいからこそ「大団円を迎えてくれ」と願うのって結構普通な気持ちな気もする。まあホラーだからそれはないんですけども。

喧嘩とか反抗期とかヒステリーとか更年期とか。それでも家族はなんとなく円を描く様になってて、だけどなかなか上手くいかなくて心が折れたりはする。私だって大人になっても親子関係で頭を抱えてる。そういうのがテーマのほのぼの家族映画とか邦画にもごっそりある。そんな気分でうっかり「せめてハッピーエンドに」て思ってしまったのだな。まぁホラーだからそれは…なんですけども。

 

人生のささいな闇やほころび。その元凶がさまざまな伏線を繋いで明らかになって行く過程は絶望感満載。「そんなことするなよー」「そんなこと言うなよー」「なんでそんな態度なんだよー」の連続。お母さんもだいーぶおかしいし。なに考えたらそんなん作る気になるねん…て眉間に皺が寄るか、または背筋を震えさす。

私が5cmジャンプした最初の衝撃で、絶対に大団円なんかあり得ないって簡単に想像出来る、実際。あとはぐわんぐわんしつつただひたすら緊迫して身体を固くするのみ。

 

グダグダ書いてしまったけどアメリカ的というか実に宗教的であって、それが「信仰ある人には怖いだろな」と思うところ。私自身は神も仏も特に強く信心がないので、ショッキングシーンには興奮しつつ、徐々に「あれこれもしや?」って宗教的恐怖に気付いて「あ、そうか」と納得感を得た。恐怖の種類って様々だなぁとあらためて思わせてもらった。

 

大橋トリオライブ「ohashiTrio & THE PRETAPORTERS YEAR END PARTY LIVE 2018」…私に向かって歌ってたぁ

12月14日。

11月から2週ごとにスキマ(横浜アリーナ)、林檎(さいたまアリーナ)、そして大橋トリオで今年の締めとなった。

 

三軒茶屋にある昭和女子大人見記念講堂で行われたライブ。

この会場はライブ情報でよく見かけたのに縁がなかった。多くのアーチストが使用するのだからきっと音響が良いのだろうなと思ってた。期待いっぱいで(浮かれて電車反対に乗って危ないところだった)向かった。

こじんまりとしたホールで歴史を感じさせる佇まい。校門からキャンパス内を歩く道もいかにもな穏やかさで心が和む。ただ入ってみるとやっぱり古い作りなのは否めない。座席の並びは縦の勾配が緩く、横は互い違いになっていないため前の席の人の頭が被ってしまう*1

それにしてもステージの近さは文句なし。ホールの良さはやはりこれだ。

 

アリーナのパワーボーカル2人の後の、大橋トリオinホールはもうなんていうか天国だった。いや前の2つも十分天国だったんだけど、なんだろまた別なのかな?涅槃かな?

スキマは突き上げてくるような

林檎はたたきつけてくるような

しかしてトリオは

鳥や風の声と共に森の中の空気に溶けて光差す空に向かって蒸発するような…

これは、精神の解放…?


とにかく良かった…良い、本当にとにかく良い。もうなんかほんと素晴らしい。気持ちいい。たまらない、悲しくないのに涙が出てしまう。

まあたいてい泣いてるけど。(隣のお嬢さんも泣いてましたし。)

彼の歌声は楽器の音と一緒になって注いできて、広がる光の中に放出されてしまう。哀しさとか愛しさとか苦しさをみんな綯い交ぜにして絡め取ってふわふわとした優しい音楽にしてモルヒネにしてまた染み込んできて涙に蒸留して揮発して…

えっと、誰か化学式書いて?

これ多分、いわゆる語彙力が試されているが自分にそんなものがないことを実感する。

 

いつもの様に(あ、ライブ2回目なんだけど)、マイク1本にみんなが集まってトリオさんの勝手なリードに合わせて歌うのも楽しいし、気のおけない音楽好きと一緒に好き勝手に楽しむ雰囲気が、見ているこちらもたまらなく楽しい。その輪に入ってしまってるような、仲間外れにされて指をくわえて見てるような楽しい気分がじわじわ。ほんとに楽しい。

今回1階の前方エリア中央の席で、こじんまりとしたホールのその位置なので、素顔が分かったイケメン確定。

中央席。ほぼ中央。多分完全に中央(感覚)。つまり舞台中央に立つトリオさんの一直線上に私はいるわけ。視線が私に向いてる様にしか見えない、つまり私に向かって歌ってるわけ。

 

たまらん。ああたまらん。

 

あとピアノの鍵盤をなぞるトリオさんの手も見える。

たまらん

たまらんたまらんたまらん


以上、ほぼ実感できない我が語彙力を目一杯使って書いた。
はははは

 

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余韻に浸ってたら、オルゴール付きのクリスマスカードが届きました。

おしゃれだよね~

*1:しかも残念なことに真ん前は首を振る人、その横は「お前はMsisiaか」って突っ込みたくなる被り物で頭でっかくしてるどうかした人だった。映画もライブも狭い空間に押し込まれるんだからなんかしら考えてきて欲しいよね…歌に合わせて首振っちゃうのは仕方ないとしても…ブツブツ

映画「SPLIT」などアマゾンプライム視聴映画で~備忘録的⑤

「SPLIT」

これめちゃめちゃに面白かったです。アマプラ、ちょっと離れてたんだけどこれ一気に観れちゃったもんでまたあれこれ探ってます。

精神疾患的な話って好きなんですけど、もちろんこれは本当にビリー・ミリガンが元ネタなんでしょ?ていう多重人格者が主人公。男女子供合わせて23人。そのままやないかーい!て思いつつ、相当な犯罪臭ぷんぷんのサスペンスとジェームズ・マカヴォイの演じ分け、人格が変わる瞬間の細かい部分も含めてあんまりすごいんものでビリー・ミリガンすッ飛びました。

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こうやって並べると全部マカヴォイ(うん)

主人公が、攫われる少女なのかマカヴォイ演じる多重人格者なのかっていう感じです。どっちでもいいし、とにかく本当に面白かった…。ラストにブルース・ウィルスが…

ん?てことは前編があるの?または続編?て思ったらどっちもあって続編がそろそろ公開になるそうじゃないですか!マジで全然スルーしとった!!!

しかしその続編の邦題がひどい(爆笑)。「ミスター・ガラス」。昭和の歌謡曲か。客をバカにしてるんか。原題まま「GLASS」じゃだめなのか。あ?

まあ置いておくけどさ…ブツブツ…*1

とにかく「アンブレイカブル」観たいんだけどー?アマプラまだかなーまだかなーーーーぁぁぁあ??

 

 

そこのみにて光輝く」 

全然興味なかったのだけど、名作って聞いてたしちょっと観とく?てことで。

思いの外良かった。序盤は思っていたより更に入り込めなかったけど、中盤からもうむっちゃ息苦しくなるほどのめり込んでた…絶望なのか光なのか分からない夕暮れの光の中でエンディング。底辺までは行かないけどドロップアウトとの狭間で生きるって、怖い世界なのだ、私。

暗い顔して何考えてるか分からなくて、急に暴力的になるタイプの人たちの話って苦手で。綾野剛菅田将暉火野正平高橋克也…この面々よ。もちろん内面をどう描くかが大切なんだけど、やっぱりしんどい。

 

 

「スノーデン」

もうね、ジョセフ・ゴードン・レヴィットが好きすぎてですね。シアターで観ようか散々迷って観てなかったんです。うん。正解。

あの事件は本当にセンセーショナルだったし、空港の人(「ターミナル」っていうトムハンクスの映画あったやん?観てないけど。空港から出られんようなった人の話)みたいなってたスノーデンさんて一体あの後どうなったっけな…?て思い返したら全然記憶になかった…。

物語として描いたり、事件をドキュメントしていたり、話が過去現在を行き来する撮り方が苦手なのでどっちにも入り込みにくかった。(ラストに本人映像あって急に「お?」てなった。)

オリバー・ストーン監督の"問題提起的映画"って実はほとんど観てないな。戦争映画避けてるしな。調べたけど「JFK」くらいしか記憶がない。(ちょっとマイケル・ムーアとごっちゃなってたwあっちも2本くらいしか観てないけど)

今、突如中国の大手携帯会社上層部を拘束したアメリカの話がちょっと騒がれてるけど、アメリカも中国も、日本の沖縄基地問題とか見てても、もうお国のやることなんざなにひとつ信用できないっすよね。(私の頭が悪い問題)

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こっちが本物スノーデンさん

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まだ公式ツイッターあった

 

 

「隣人は静かに笑う」

20年も前だし知ってる人誰もいないのに観たら結構面白くてこれも一気に。

まだるっこしいくだりがほぼなくって話がどんどん進む。まだるっこしいって言えば、亡くなった奥さんのFBI同僚(相棒?)がそんな?そんなピンと来ない?FBIてそんな?みたいなるボケっぷりで半笑いとイライラが混然一体ってくらいかな。

バッドエンドで「えー!」ってなる。アメリカ映画なのに!!えええ!

でも暇つぶしで観て損なし。(特に暇ではないけども)

 

 

「ハウンター」

まぁまぁ上手いこと出来てたけどなかなかピンと来なかった。タイムリープと死者の世界との往来・交信がごっちゃ。もう1回くらい観るともうちょっと理解できるかもしんない。(私の頭の悪い問題)

 

 

「ウィッチ」

魔女裁判雰囲気映画?…雰囲気映画…?史実や当時の信仰の雰囲気などを忠実に再現した作品だそうだけど、特に何も分からない結末。しかもサントラでやたら脅かしてくるんだけどうるさい…。

これも予告編で惹かれてシアター行こうか迷ってやめたの正解。多分シアターなら寝てた。

何に惹かれたかって、主人公の少女の不思議な魅力。さっき「SPLIT」振り返ってて気付いたらこの子であった!!!おおおお!独特のお顔。んーー美女!ていうんではないけど、かわええんすよ。どなたかが「ビヨーク系」て仰ってて納得。別にビヨークが好きなこともないけど←

 

youtu.be

金髪と白い肌が成熟前の儚げに輝く幼さと妖艶さ両方を引きたてて不思議な魅力…。

で、「SPLIT」に戻って探した。こっちはブラウンの髪でもうすっかり大人の女性の魅力。(だけどまだ高校生なのが西洋人!!)

youtu.be

 

 

 

なんか?なんか忘れてる?

って

ああああ11月に「ジェーン・ドゥの解剖」を観てすっっっごい楽しかった(語弊)のに、下書き途中のまんまだったあああ!!!あとで必ずUPしとこ。

 

*1:考えてたら発狂しそう。 「アンブレイカブル」「SPLIT」「ミスター・ガラス」。 この3作の邦題のバラバラさに映画広告業界?プロモーターの頭の中がどうなってるのか謎