覚えておきたい夢と観ていない映画「ナラタージュ」
先日、謎のドタバタ旅行中に以前とても好きになった男性と遭遇する、という夢を見た。
見覚えのあるようなないような路地で、向こうから歩いてくる。お互いに気付いて息を呑むのだけど、そこに現れたのはその方の前の奥様。どうやら待ち合わせだったらしいと悟った私は動揺しつつも、目を逸らして2人の横をすり抜ける。視界の隅で、私の存在を意識しているのが分かる。そして元奥様に優しく微笑んでハグをする。
涙は出ない。
この感情に、いつも名前が付けられない。
ただただあの優しい微笑み、いつもあたしに見せていたはにかむような笑顔ではなくて、満面の微笑みが、遠く離れて川沿いの道に出ても脳内を何周も何周も駆け巡る。
…
確かつい2日前は10代後半から長く付き合ってたロクでもない男の夢を見たっけ。
観てもいない映画にここまで影響されて、かなり具体的な物語として夢を見ることができる私。実に無駄な能力だとつくづく地面に伏したくなる。
「ナラタージュ」めぇ。
罪深い作品だぜ。(何度でも言いますが、読んでもいないし観てもいないです。)
朝起きたら子猫が姿を見せてくれてた(写真撮る余裕がない)
迎えてちょうど1週間の今日。
とにかくベッドの下とソファの下で潜んでいた子猫が、ようやく「人間はすげぇやべぇやつら」ではないということを分かってくれた様子になった。
前に迎えた子は初日からのんびりとして家中をのっしのっしと歩きまわり、人間が何をしようと泰然としていたので、新しく迎えた子にこれほど警戒されるとはさすがに驚いた。勿論性格の違いはあるだろうと覚悟はしていたものの、とんでもなく怯え続けられて心がもうバキバキに折れるのを超えて粉砕されかけていたところだ。
前の子を知っている友人知人からは異口同音に
「猫は!本当の猫はねっ!こんなのんびりしていい子じゃないからねっ!これは猫じゃないと思っていた方がいいよ!」
とか、むちゃくちゃ言われていた。
確かに里親募集サイトの画像から「疲れたサラリーマンみたいだなー」って感じたし、実際迎えて育っても疲れたサラリーマンみたいな感じだった。とはいえ猫の形をしているし「にゃあ」と鳴いていたし、そもそも猫だった。
なので知人たちの忠告は「何を大袈裟な…はっはっは」とか聞き流していた。
そうそう!猫飼いデフォルトのトイレットペーパーボロボロだって経験はあるし、それに、えっと、あとは…あ、あれ?特に困ったいたづらはそれくらいしか思い出せないな。
でも本当にちゃんと覚悟はしてたつもりだった。前の子が特別にのんびりした個体だと認識はしていた。ふみふみをしないとかシャーって言わないとか「猫らしくないなぁ」と思うことはあったし、だからねこねこしい子猫が来たら大変だろう、戸惑うだろうなぁと…
ほんと、甘い覚悟だった。
とはいえ、今のところはトイレットペーパーは無事。歯ブラシが床に落ちてた、しまったはずの猫じゃらしがベッドの下にある、誰かが乗った形跡のある洋服掛け…軽い軽い。全然想定内。
(部屋の隅の埃の在り処を教えてくれるっていう特典が付いてる!!年代物の埃の塊いっぱい見れた!!インスタ映えしそうだった!)
問題は怯え行動。めちゃめちゃ怖いんだって。
目が合うだけで腰が抜けたような格好で物陰に逃げ込んでしまう。人間が手足をちょっと動かしただけでびくぅっ!!!として縮こまってしまう。毎日毎日毎日。
保護されて少なくとも保護主様のお宅では自由に走り回って甘えていたらしい話を聞いてたのに、あれ、ウソをつかれたのじゃないかと疑ってしまうこともあった。結構あった。
その日、こっちは
"ラブラブ❤︎大歓迎めんそーれ!!"
てな横断幕掲げて待ってたのに、目が合うなり「ひいあぁあああああああ!!!」って隠れてしまったのだ。以来この1週間、家人も私も心は上の空(家人の方は想像だけど)、今日は姿を見せてくれるか、今日はどこに隠れるのか、朝朝暮暮考えていた。
距離を縮めるべく、オモチャも動員した。強引にキスも奪った。シャーも言わずなんならゴロゴロ言って喜ぶ仕草をする癖に、一瞬手が放れただけでその気持ち良さを忘れてしまうんだろうか…。脳に問題が?!…いやいやいやいや。
もうこれでは人間の心が死んでしまうというところで、
今朝
なんと
向こうの部屋から視線を感じた。何より、毎朝無音だったのに首輪に付けた鈴の音がする。隠れてない!こっち見てる!!
恐る恐る振り返ると目が合う。昨日は目があっただけで固まっていたのに、今朝は首を伸ばしてこちらを伺ってるよ!!!
しかも「昨日みたいに遊んで!」て寄ってきたよ!まじかおい、信じられねぇ。
蕩けそう…もう蕩けちゃいそう…私…
Hello My Friend.....?
相変わらず亡くなった猫のことが忘れられずにいるのだけど、それにも増して「居たはずの存在の空白」の淋しさに耐えきれず、足取りは重かったもののなんとか動いて新しい出会いにこじつけた。
偶然の賜物と思っている動物との出会い、結局その糸は自力で手繰り寄せるしかないと思い知った。保護猫活動を個人でしている方から保護された子猫を譲り受けた。縁を無理やり引っぱったせいなのか、引き取り3日にして、未だ目が合った途端に腰が抜けたような姿勢になって逃げてしまう超ビビりである。
しかし無抵抗非暴力なのはありがたい。切ないけどまだ救われる…
可愛さと心配で構い過ぎなのではと思いつつ、ご飯も排尿も自らしてくれない。ご飯は潜伏先を突き止めたところで2度手から食べてもらった。とはいえ必要量としては半分程度だ。排尿に至っては我が家に来て36hを超えた今も明確な痕跡がない。(保護猫パイセンの同僚の話だと「どっかにしてるんじゃ?」ていうホラー)
当初は飲まず食わずだったので仕方ないとして、ちゅ~る(おやつ系流動食)やウェット餌を口にしてからは12hを超えている。
今日帰ったら多少なりとも出していて欲しい…。怖い。尿毒症がめっちゃ怖すぎるのでお世話になっている病院の先生に確認したけど、「我慢できないから出したい時出すよ~」と呑気なお答えが…。あぁ。あの先生の院内にも保護猫がいたんだよな、確か数匹いるって言ってた。
人間が構わないことが分かると探索に出る様になったことが鈴の音から分かる。家人がうたた寝、私が自室にいる間、リビングでチリリンチリリンと鈴の音が踊っていた。時折「にゃあああん!にゃあああああああんっ!!」(ものすごく猫っぽい)と鳴いている。あれ、なんだろうか。これは何かこちらに知らせたいことがあるのでは?と思って、そーっと見に行って気取られるとあっという間に姿を隠す。
…どーしたらええねん。(多分、保護されたお宅では他の数匹の猫に囲まれていたので探しておるのだろう…可哀想に…すまんのう)
シマリスと暮らした時のことが思い出される。まるで初めて飼う動物みたいだ。あまりに警戒が強くどう接したらいいのか分からない。
何をしたら嫌で、何をして欲しくないのか(同じ)…多分積極的に何かを欲してくれてないけど、それを知りたい。教えて欲しい。それはどんな動物だって同じ。
そしてそれが分かったら要求を呑むので、交換条件を呑んでもらいたい。
1.ちゃんと飲食してほしい(食ったら自分のトイレにしっことうんこして)
2.身体を洗わせてほしい(保護宅からずっとしっこの臭いする)
3.目が合ったからってビビらないでほしい
4.これから夜は冷えてくるし、出来れば潜伏先は毎回同じにしてほしい
(補)同じじゃなくてもいいから分かりやすい所か、さもなくば呼んだら返事をし…
…え?欲張り過ぎなの??
なかなか気が気でなく心身共に疲弊が激しいよ、仲良くなれるのかな…。
前の子が「もうぼくのこと忘れちゃうの!?」て怒ってるのでは?とかガラにもなくセンチメンタルなことまで考え始めちゃうよ、おばさんは…
とりあえずサロペットの中に入れて、部屋を2周ほど見学させた(無抵抗・非暴力状態)後、手を放した瞬間に行方不明になる。
愛するものを失うときに思ってたこと。心残りや後悔のこと。(閲覧注意)
閲覧注意としたけど、ショッキングな画像はありません。まるで生きているかのような美しく愛らしい亡骸は撮影しましたがネットに掲げる気にはなりませんでしたので。
猫が死に至るまでの詳細を記載しています。苦手な方、経験のある方でまだ傷が癒えていない方には酷かと思います。覚悟のできない方は読まない方が良いと思います。
命が失われゆくその場にいて、その衝撃と悲しみとでいっぱいになって号泣しながら声を上げていた。
その時何を思ってたか、何をしてたか、何が出来たか、何をしなかったか…。そういうことで自分を責めたり悔いたりしそうなので、文字にしてみることにした。
私は、人も含めて動物の身体、特に生死や病変や傷に興味がある人間だ。(同僚さんが常々「いつかぎこちゃんは事件を起こす」と真面目に心配してくれるけど、この歳まで分別ついてるわけで、その辺は「変わり者」で済ませてほしいよね。)
猫の身体がどんな変化を起こしているのか、何が呼吸を浅くさせているのか、総合的客観的に見ても状況はどんどん悪化しているように見えるけれど、具体的にそうさせているのは一体何なのか、それが分かれば回復させる手立てがあるのか、私に出来ることはあるのか、それよりやっぱり、今この瞬間に猫の体内で何が起こってこの様なことになっているのか…頭の三分の一くらいはこんな感じだった。
「ごめんね」「ありがとうね」「お願いだから逝かないで」「ねぇ嘘でしょう」「ねぇこれって本当に起こってることなの?」「どうしたらいいの?どうしよう…」
※「ねぇどこが苦しいの?」
涙腺バカだから未だにこんなこと書いてて泣くんだけど、この時この最後の「この身体のどこがどうなって猫を苦しめているのか?」という疑問に必ず行き着いてしまっていた。おんおんと声を上げて泣いてはふと冷静にその身体を見つめた。
例えば巨大化していた腎臓の癌が悪液質を起こしていたとして、各内臓にダメージがあったとして、いやそれなら救急外来の検査で分かったはず。医師はそんな指摘はしなかった。
「多分痛みによるショック状態なので補液で痛み止めも注入するからしばらくすれば落ち着くはず」
という見立てだったのだ。私もそれを疑わなかった(もとより疑う理由はないし)。
帰ってからの猫は、ふらつきながらもどうにか歩いてクローゼットへ身を潜めようとした。しかし気付くとチカラが抜けた様にへたり込んだ。
いつからだろうか、涎を垂らして浅く速い呼吸をしていた。
私が「もう今夜は超せない」と直感したのは、それを確認したからだ。
明らかに「痛みによるショック状態」を悪い方へ超えた症状だろうと思った。じゃあこの一連の流れは何が発端になった何なのか?
浅く速いとはいえ等間隔の呼吸があり、たまに咳き込む様に深い呼吸が入る。体勢を変えようとするのも、呼吸を楽にするがため、生きるための不随意運動の様な気がした。そう、あの時意識はもうなかったと思う。声を掛けても撫でても目を合わせようとしても一切反応しなかった。あればもっと甘えてくれていた筈だ。
意識はもうなかった。
目を見開き、ひたすら酸素を取り入れるべく口を開けていた。心音を聞きたくて何度が身体に耳を当てたがそれも聞き取れなかった。
意識があれば、声を掛ければ返事をするし、目を合わせるし、ごろごろと喉を鳴らす猫だったんだから。
それでも看取らなければ、この苦しみの果てを見届けなければと思っていた。
とても長い時間だった。
失禁をした時に、何かで見た動物の最後の話を思い出してもう間もなくだと覚悟した。拭いてあげていると何度か手脚をバタつかせる痙攣をした。
ハッとした。
目は驚いた様に見開いている。
泣きじゃくる私を見ていない瞳だった。
呼吸は止まっていた。
あっけなかった。2時間以上の闘いの最期、あまりにあっけなかった。
嘘でしょう?と思いつつ話しかけつつ、長く苦しんだなぁと思った。そうして少しもその苦しみを和らげてあげられなかった無力な自分で申し訳ないと思ってまた泣きながら謝っていた。
例えばそれが心不全や呼吸不全だったとして、自分に何が出来たろう。
心臓マッサージ?人工呼吸?その状態から意識を持ち直したとして、それでどうする?
「何も出来ることはなかった」と思える。
ああ書いてきて良かった。
ずっと、あの時私には何かできたのじゃないかと心が残っていた。でももう病院へ行く状態ではなかった。猫も私も。 呼吸があった時に抱こうとしたことも強く拒否していた。もう、猫自身の闘いであって、私が介入することは不可能だった。選択肢はなかった。
涎を拭きとりながらただ声を掛け、頭を抱き、身体を撫でる。それ以外に出来ることもやるべきことももうなかったのだ。
そして、自分がしたことは、どうにかなってしまいそうな自分を紛らわしていただけのことだ。
今思えば、猫が意識を失う前に抱き上げたかった。しかし猫自身の思いで行動している以上、例えば自ら身を隠したいのであればそうさせてあげようと思った。…クローゼットのそばで手を伸ばして撫でてあげていたら「ごろごろ」が聞けたのだろうか。
そんなことももう遅い。
心残りはなくなったりしない。実際あの時何も出来ることはなかったと分かっても、それは心残りだ。
私の帰りを待ち、鳴き声を上げてきた猫よ。あの時すぐに病院へ連れて行く準備に取り掛かってしまった。まず抱きしめて上げたらよかった。それも心残りだ。
いやそうだ、あのとき。
猫は私の帰りを待っていた。死ぬなんて思わず、ただいつもの様に私の帰りを玄関で待っていた。きっとそうだ。
やっとわかった。そうだ。
それなのに本当にもう間に合わないんだ。
後悔や心残りのない別れなどないと知っている。何をしてもしなくても選択を間違えたのではと考える。現に間違えたとも思う。でも正解が何だったのかは永遠に分からない。(以前にも書いたけど、容態が急変する前の生活についてはそれなりに考えて過ごしていたので「後悔」というのはない。)
それでも、あの時はそれしか出来なかったと思えたことは、私には救いだ。
そして微かに、小さな希望みたいに思い出した。
聞いたことのない鳴き声を出した猫を、
私は撫でた。
猫の身体を、頭を撫でた。
そして体温の低さを感じて慌てて抱き寄せようとしたけど拒否された。
だから何度も撫でた。
「これから何をすべきか」を頭をフル回転させながら。
そうだ、私はちゃんと触れてた。
そうだったらいいのにという願望じゃなくて、私はちゃんと触れていた…
抱き寄せていたんだ。
永遠に終わらない、心残りを思い続けるだろう。それともいつか時間に埋もれて行くのだろうか…。
少しずつ癒されていくのにそれが寂しい................「オーガスタキャンプ2017 in 富士急ハイランド」
これも、何か月も前から決まってたライブ。毎年同じメンバーで楽しみにしてた。
猫が亡くなってから10日。
自分があちこち出掛けることをなんの苦も無くやってたのかと(いや、実のところたまに「んはあぁぁぁ…よっっっこいしょぉぉっっ」みたいな腰の重さはあったけど)思い知る。
家に一日中いることは好きだ。これまでの人生で家の中に動物がいなかったことがないし、みな四六時中べったりとくっつかない適度な距離を保てる動物だったので生活に制限はなかった。ただ同じ空間に自分を慕ってくれる動物がいるという気持ちは何にも替え難い。それが今、実感できないのがつらい。
もちろんライブや映画に行くのも、友達と会ってご飯食べたりバカ話したりするのも好きだけど。この14年ほど、帰ってきた時に玄関先で猫が鎮座して待っていてくれる幸せは格別だった。
まぁまだ「思い出しては泣く」の繰り返し。そうじゃなくても1日中外にいるのは心身共に本当に疲れる歳になった。感情の起伏が激しいし、ここの所は謎の歯痛・顔面痛に見舞われていて(虫歯などの異常はなくて今のところ原因不明)食べるのも億劫、痛みを誤魔化すための精神安定剤を飲んだりしてぼんやりもしている。
オーガスタ・キャンプ2017行ってきた!
他のメンバーは同年代で全員が常にDrunkard、割と重度のダメ人間だと思う。いやどこにもご迷惑をかけないタイプだけどじゃあ何がダメって、んーなんだろう…「趣味は酒」の何がダメなのか、あらためて思うとよく分からないな(笑)
ライブに行くのはもちろんひいきにしているミュージシャンがいるからで、でも「飲み」が第一目的となっていることは断言できる。そして私も今回はこんな状態なのでちょっとお酒の力を借りて楽しもうという気はあった。
準備段階から「酒の相談しかしない」
誰がどんなつまみを、どんな酒を、割るための湯を、氷を水を調達するか。楽しい目的の達成は全てこれにかかっている。LINEグループでなされる会話はすべてがこれだ。ごひいきがテレビ出演するよ、新しい曲が出たよ、そんなのは二の次三の次で「酒についての会話」に紛れてしまう。どうかしてる。
正直、自分のテンションは低いし酒についてもそんなに興味もこだわりもない、むしろ皆が飲みたい種類のアルコールは「そんな飲めない」という事実。「ぎこちゃんには梅酒を持って行ってあげるよ!」でおしまい。私は今年もちょっとした手作りのつまみと、何故かみな大好きな崎陽軒のシウマイを準備…の予定だった。猫が亡くなり、理由は伏せて「行くしかできないかも。何も持って行けないかも。」と伝えたもののどうにか準備OK。メンバーは「酒さえあればいい」状態だったけど。
富士急ハイランドは連続2回目
肝心の。
毎年誰かのアニバーサリー的なテーマがあるんだけど、今年は特になくって。どうも全員がいろいろコラボして楽しもう!的な、あれこれなんのノリだっけ?覚えがあるわ…ていう感じのステージ。
我らが飲兵衛の中にちゃんとした姉さんが一人いて、募集されてたリクエストも出したて言ってました(笑)
秦×竹原コンビ「はったんPちゃん」サイコーに楽しかった。ほんとにいろんな人が混ざってあれこれやってたけど、全部素晴らしかった。問題はセットの転換が間に合わないっていう…スタッフさんらが大わらわ。その間を繋ぐってこともアーチストさんほぼ無頓着…素人か(笑)!このわちゃわちゃ感はなんか懐かしいな、なんだろうか。
長澤知之に以前から注目してたんだけど、福耳が5年ぶりに新曲を出してそのメインシングルの作詞作曲が彼。いい声でかわいくて、でも本人のほんのり暗めの雰囲気を打ち砕くようなポップな楽曲に仕上がってる。
最初のパートを歌ってるのが長澤君。かすかに震えるような、それなのにピンと張った高音域。そこにハモリつつ次のパートにPちゃん(竹原ピストル)が下から支えるように歌いあげてくる。
この楽曲はそれぞれのボーカリストの魅力がギシっと詰まってる。必聴。
長澤くんのん、ライブでもやったこちら貼っときます。ライブの方がいいなぁと思ってたけど、何度も何度も聴いてたら中毒になりそうなほど心に染みた。
それと気になってた浜端ヨウヘイ。声は山崎まさよし寄りかな、高音域が美しくて好き。今のところまだまだなんだけど。とりあえずでっかい。このジャケ写、顔写してもろてへんw
一番号泣したのはこちら。さかいゆうは陰で活躍してるアーチストだけど、もっとメジャーになってもいいのになって思ってる。素晴らしいピアニスト、ボーカリスト、ミュージシャン。あとかわいい(笑)
とりあえず後半は「セロリ」「鱗」「One more time, One more chance」「全力少年」でがっつり盛り上げ、「星のかけらを探しに行こう」で花火どかんとしてクライマックス。(どれをとってもいくらでも涙が出てしまって自分でも呆れる。)
ステージ転換のてんやわんやは最後の最後、「星の~」まで続く(笑)。マイクミキシングがめっちゃくちゃになってて、そこがまたわちゃわちゃ手作り感満載の…ああ分かった!これは学祭の後夜祭っぽい感じだったわけだ(笑)。途中にはコーラスしか聴こえなくなる事態まで発生。酷いもんでした。が、全然許せるし笑える。そこも含めてアットホームでまさに会場全体で音楽を楽しむ感じでした。
多分5回目の今回、一番良かったと思ったオーキャンでした。
時間と音楽というアイテム
何度でも、どのラブソングでも、歌詞が逝ってしまった猫とのことと重なって大泣き。負の感情を強く感じる訳でなくて発散する涙で心が軽くなった気がします。高原の清々しい空気の中で涙が溢れ続け、ドランクな友人は、なんで泣いてるか知らなくても黙って放っておいてくれるし、お味噌汁や薄いスープ飲んだり、唯一持参した「樽酒紙カップ」を飲んでも寒かったけど、本当に溢れるままに乾くまで涙を流しました。
ちなみに、私が「樽酒開けるよー」と言うと、酔っ払いたちが「ぎこちゃんがお酒飲むよ!見て!樽酒!!」とやけに嬉しそうなのが謎でした。
別に飲んでも飲まなくても十分楽しめてるんだけどね、飲まない人ってのは。
こうして「音楽」というアイテムで、私は何かを乗り越えてる。もちろん「忘れていく時間」という残酷なアイテムも存在してるけど、こういうアイテムを使って私は濃密な猫とのぐしょぐしょの雑巾みたいな心を絞っている。
癒しとか言う「優しいもの」ではないけど、たまに楽しい。たまに嬉しい。ちょいちょい苦しく哀しい、辛い、寂しい。きっとこれは永遠に続く。