呑みたい人たちが「蕎麦屋呑みしたい」というので
新年会を私の都合でひと月もずらす事になってしまいようやく開催した。
日程変更は私の用事が原因だったのでお店を探したりしますよって話だったんだけど、このメンバーほかの3人は「ただただ酒を飲む」ということだけが目的の人たちなので、どうも要望通りのところが見つからず。
私は基本的にお酒は好きではないので(体質的にはつよい。色々つよい)。
LINEグループでやり取りしていてもなかなかまとまらず「もうわたし無理!!」宣言。
日々飲むことに努力を惜しまぬ専業主婦にお任せしたw
このメンバーに入れてもらって以来、とりあえず会えば近況も話すし、共通の話題としては「スキマスイッチ」とか「星野源」とか。夏には必ずこのメンバーでオーガスタキャンプという音楽フェスに参加するけど、これも目的はほぼ「野外で気持ち良く飲む」。
私が参加する前にこの3人は
ライブ開始前から飲みまくっていて1曲目に間に合わなかった
という愚行を犯している。そしてそれについて特に反省していない(ネタにしている)。
最初の頃は「なぜぎこちゃんはこんな酔っ払いに付き合ってくれるのか?飲まないのに楽しいのか?」と何度も聞かれてたけど、私は基本的に気が合えば飲まなくても楽しめるので大丈夫。
ていうか、飲む飲まないに関わらず楽しくなかったら無理だもんね(笑)
テンションがややおかしくても全然平気。むしろ突っ込んでたら忙しいし。
ここんとこもっぱらの話題は「更年期問題」
しかも酔っ払いなので続けて同じ話を何度もしている。
いずれフェスに参加するに当たっては「アテント」とかそういうものが必要になるだろうねという話も現実味が出てきてる。
さて、今回のハイライトがこちら。
A「あたしホットフラッシュがいっとき治まってたんだけど、最近第2期みたいなもっと強いのが来るんだよね」
B「えー?あの汗かくやつ?第2期とかあるの?フラッシュバック」
私「…?え、待ってそれトラウマとかの…w」
B「ヤダもう!ごめんウケる!ごめん!」
C「それ踊るやつ!…フラッシュダンス!」
全員「ふるっ!!」
私「あたしバックドラフト思い出したわ」
A「プロレスだよ、それ!!」
?「なんでプロ…??」
私「ちーーがーうよーー!!映画だよーもー!火事のやつ!」
C「あーそうそう!ドアのとこから火がバァってなるやつー!」
B「なんだっけ。あ、プロレスのはバックドロップじゃん!!」
全員「ギャハギャハギャハハwww」
私「で、ホットフラッシュ第2期ってどういうこと?」
最終的にちゃんと戻ってきたから正しい。
まぁ私酔ってないからね、梅酒1杯だしね。
あとなんやかんやみんな頑張って突っ込めてる。
たどたどしいけど…!!
但し、ネタみたいだけど本物のボケなんだよね。
本当に勘違いとか言葉が出て来ないってすごい。本当にそうなの。日常なの。飲んでなくてもそうなの。
加齢って本当にすごい。
全然思い出せないし、出て来たのが別の言葉や思い出に更新されてたりするやつとか。
会話の半分以上が「ほにゃらら」か擬音で何を言いたいのか分からないし、察しも悪い。
「えーと」「えーと」ばっかり。
つらいよねーいやだよねー、老いは。て言いつつ笑ってるの。
アラフィフ女4人の飲み会。
今後の展開を思うとつらかったり楽しみだったりする。
映画?「みうらじゅん&いとうせいこう 20th Anniversary ザ・スライドショーがやってくる」
これまでの彼らの超絶バカバカしいスライドショーライブのまとめ的な映画を観てきました。
「スライドショー」とはなんぞや?
みうらじゅんが勝手に惹きつけられたものを撮影してきた膨大な写真をスライドにしてでっかいスクリーンに映して見せて、それをいとうせいこうがツッコんでいくっていうものです。
ツアーをするくらいやってます。多分盛況です。20年もやってるそうです。
もうそれ以上の説明はないです。
「なぜこれを撮った?」
「だって許せないじゃないですか」
「まだこれ撮るのか!」
「もうこれはどこまで?って気になるじゃないですか」
ていう感じのやり取りが延々続きます。
10歳くらい下の友達とだけど、ちょうどいい具合にMJ(マイケル・ジャクソンじゃない)や「見仏記」読んでたり、「MJ気になってる具合がほぼ同じやん?」てことで。
笑いのツボが同じっていうのがミソ。
ツボミソ。
実は映画館でこういうのん観るの初めてかもです。
アーチストのライブフィルムとか。「いやーライブはライブだからいいのであって、んー映画館でフィルム観てどうなのよ?」て思ってました。
話しだけでも絶対面白いんですよ。もー笑った笑った。ヒィヒィしました。
20年前から最新のものまで頭おかしい度合いが想像を遥かに超えてて、もう異常に一貫したバカバカしさ。散々笑ったネタも初見のネタも。あの人の笑いは劣化も進化もしないんですよね。
あー…笑いの説明ほど虚しいものってないですよね。
(大きい声で書かせてもらいました。つまりこの映画を観た面白さは絶対に文字で伝わらないので、もう読まなくてもいい話だってことです)
「みうらじゅんって何してる人?」とかいう方はとりあえずコラム1本でも、いやもうググって発言のひとつでも読みましょう。
もしそれでも「キモい」なら多分それ以上いくら読んでも絶対に分からないと思われるので諦めましょう。勿体ないけど。勿体ないけど仕方ない。
一生に一度、人はインドまたはエジプトに呼ばれるとか言う話と同じで、MJには呼ばれてないんだと思います。(神ではないけど)
ただこの「いとうせいこう」さんなんですけど真面目です。真面目すぎます。
みうらといとうそれぞれこれまでの関係性やライブに臨んできた気持ち、作り込みについて語るんです。スライドショーの合間合間に。語りが入るんですよ。
これは「スライドショー」についての映画なんで不思議じゃないんですけどね。
「みうらさんはこうなんで、僕はこうでなきゃ」とか「いとうさんはあれでああだからぼく気を遣ってて」とか言われると不安になるんです。
もしかして真面目?真面目に笑いを演出してるの?
だとしたら猛烈に悲しい。
みうらじゅんの着眼点から発想の広がりや更には深み、のめりこみ…その異常とも言える変態性は「素」だからこその味わいがあると思うからです。みうらじゅんが「素」でやってる。ここがすごくいいんですよ。あれらは「考案」するアイデアや活動ではないはずと。
考えて出て来るならそれこそAIにも出来るじゃないですか。いやあんなんがAIに出来たらそれこそ世界は終わりだと思います。
しつっこいけど、あの世界はみうらじゅんにしか見いだせないし語れない。なんでもない日常とか風景とか「なんでもない」ものでしかない。
いとうせいこうはスライドを見て突っ込む。一般の人が「ええっ?」て思うところを的確に言葉にしてみうらじゅんを撃つ。
撃たれるほどみうらじゅんは喜ぶらしいです。そして撃ちこまれた弾を更なる深みや新たな世界を求める原動力にしてるみたいです。よし、次も撮ってこなきゃ!みたいな。
「本当はこんなことおかしいって分かってるんですよ」
お互いそう言うけど、そんなこと当たり前です。じゃなきゃまともに社会人として生きてられないと思います。
でも、みうらさんが後半加速度つけて我々一般には分からない奇妙な感覚に突入して饒舌になり、もはや何を言ってるのか分からない状態に。
あの時みうらさんは「自分が変なこと言い出した」とは気付いてないと思います。
やっぱり「本物だ」
そこで安心しました。この人は真の「変態」だ。そう思いました。家族やいとうせいこうや、その他色々な人がみうらじゅんを人間として暮らせる状態にしてるんだろうと。
みうらさんは、死んだ時もいとうせいこうにツッコまれたいって言ってました。本当に棺桶に入ったスライド出してましたよね。もうキスをしても身体の関係になってもいいっていうくらい相思相愛なんですって。出逢った時からもうそういう気持ちなんですって。結婚してもいいじゃないかって。出逢った瞬間からお互いに、とかまあその辺は「どうぞお好きに」ですわ。
そこまでの関係だからこそふたりのショーが毎回完成されているってことらしいです。そこは頷けます。だからこその優しいバカな笑いなの。平和そのもの。
愛する人が「バカじゃないの?!」って笑ってますからね。みんなも遠慮なく笑える。
何度も言いますが、みうらじゅんのコレクションを「なるほど」と受け止めつつ「お前おかしいよ」て突っ込むというやりとりがなかったら、みうらじゅんはただの変態です。
ただの変態っていう職業はないです(と思います。)
最近たまにテレビにコメンテーターなんかで言葉を発すると、さすがのMCも笑っていいのかいやもう笑ってるしかなくて、これはお茶の間では無理だなと。
いとうせいこうが「なるほど」と捕球をしてからでないと世には伝わらないんだなということが良くわかる映画でした。
とにかく面白いんですよ。あの人たちのやってること。
唯一無二。
久しぶりに腹抱えて笑いました、映画館で。たまにはいいです。しかも一人じゃなくて共有出来る人とっていうのが。ぼっちじゃなくて良かったとつくづく思えます。
友情大事。老いたらほんと大事。
映画「虐殺器官」
前半、やけに冗長だった気がする…。
というのも私、
”人工筋肉のポッド”
それだけがどんな形状・質感で描かれるのか、どんなものなのか、本当にそればかりに期待し過ぎていた。
なんなら最初のシーンはそれでしょ?くらいに思ってた(なんでや)。
なのでいきなり張りつめた軍法会議みたいなシーンに「?」てなっちゃって、すぐに遡りのシーンになって色々頭に入らないまま。
結構長い説明的なシーンが続いておった…気がする。大事なはずなのに全然記憶とリンクしてくれない。
原作を読んだ時にはもちろん激しい衝撃に見舞われたし、「人間の意識の罪深さ」を改めて突きつけられて、恐ろしくて悲しくて落ち込んでしまうほどだったのに。
生活から軍事にかかる様々な未来のアイテムに興味が持っていかれてしまって、そのまま読後印象も頭の中で落ち込みからワクワクに書き換えられてしまったのかもしれない。
それこそ「脳にマスキング」がかかったように。
私は「ピザとスタバ」の世界で『実写化してほしい!この世界観は日本の制作じゃ無理だからハリウッドに!!』という気持ちに執着してた。
アニメ化の話を聞いた時はかなりガッカリしたし、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」が公開にされた時は、『なんでこれなのだなんで「虐殺器官」でないのだ』と地団駄を踏んだ。
更に「ハーモニー」のキャラクターデザインが公開された時はなんかもう『アニメだもんな』という諦めに色々な期待は塗りつぶされていくみたいだった。
もうこれ、一度原作に立ち返るべきだろうな、私。
でも最近全然本が読めないモードなのでなんならもう一度劇場に行こうかとすら思う(これは私には珍しい現象)。
この作品の公開に先立って、伊藤計劃氏のその後の作品「ハーモニー」(読了)と「屍者の帝国」(読みかけのまま読了に至らず)が地上波テレビで放送された。「屍者~」は別人が引き継いで完成させているので別物と思っていたし鑑賞してもそうだった。(…ああいうの、スチームパンクっていうの?)
「ハーモニー」は今作のその後の世界などと思っていたけれど、あらためて劇場で今作を観たらそれすら覆された感がある。
もしどうしても紐づけするなら、『こうなったりして』という網の目の先の1つの世界程度かなと。
とにかく人がいっぱい死ぬ。
頭に穴が空いて手足は吹き飛びグチャグチャになって血が溢れ出して。子供もバンバン撃ち殺される。
死体を掻き集めて製造した戦闘員に「ハンバーグになるまで」銃弾を撃ち込む。
腕どころか下半身を失っても痛みを痛みとして感じないまま息絶える戦闘工作員。
脳に「痛覚」や「恐怖」「怯え」そして「嫌悪感」や「罪悪感」すら麻痺するフィルターをかけられて「世界の秩序」を守ろうとする人間社会。
「虐殺器官」がある限り、人間は虐殺をする。
それを発動する条件がある世界とない世界。
「見たくないものは見えないもの」
現世に戻りたい、とりあえず。
「ピザとスタバ」で戻れるんだ!それがあれば見たくないものは見ないで暮らしていける。
伊藤計劃よ。あなた何処にいるんだ、今。
この世の中の行く先を何処まで見通してたんだ…。
人工筋肉のポッドは後半大活躍。
ポッドに乗り込むまでの様々な儀式的な段取り、これらは記憶の通りでやっぱりにやけてしまった。ああそうそう!なるほどこれね!あれ待って、こんなに攻撃力あったっけな…?苦笑
そして薄っすら思い出す、イルカの筋肉を使ってるんではなかった…?あれ?人工筋肉?
下半身のロボット、最近開発されたよね。つい最近そんなニュース見たよ。
今作それがさりげなく登場したので「ほぇ?」てなった。ほんとにほんとに形状はそのロボットそのままで息を呑んだ。
「人工筋肉による脚」なんだって。でもそれは実は「本物の生物の筋肉を使ったもの」と明かされる。
表向きには「人工筋肉」と謳いつつ、実は海洋生物を繁殖させて、貧困にあえぐ人々に肉を解体し筋肉を取り出させるという労働の搾取によって製造されてると。「生き物を犠牲にして製造されてる」と。海洋…生物。
現実と非現実が、分からなくなる。
息がつまる…
もうどう考えていいのか分からない。
殺し合いがイケナイことは分かってる。充分に分かってる。
監視もただの暴力も、児童虐待も、みんな悪いことは今も存在してる。
未来にも存在し続ける。
人には「虐殺をする器官」が脳にあるのだから。
エンドロールの制作者がほぼ多分100%に近い、日本人の名前ばかりだった。
日本アニメーションのプライドを感じた。(外国人スタッフを入れることについての良し悪しの問題ではない。そもそもそこを問えるほど内情につては無知なので。)
プロジェクトの途中で、制作会社が倒産した。詳細は知らないけど、潰れかけたプロジェクトを、新たな制作会社が立ち上がり丁寧に再構築して、このクオリティで公開に漕ぎつけた。
これに関わる人たちの熱に、本当に泣けるほど感動した。
本当に素晴らしいと思う。
追記20170221
昨日、原作本をポチりました。(読んだ時は借りたもので。もしかしたら本棚に埋もれてるかもしれんけどw)
初めてお題に挑戦します。「バレンタイン、初めて渡した日」
多分小学1年生?いやぁ2年生かな。
1、2年はクラス替えがないのでごっちゃになってる。
3年生からは近くに出来た新設の小学校に移ったのでとにかくその頃の同級生が相手だった。
こばやしかつや君。
名字は合ってる。
昭和40年代も終わろうという頃。今ほど離婚率は高くない時代にあって、彼は姓を変えた。子供なので事情はさっぱりわからない。
「こばやし」が変える前だったか後だったかも忘れてしまったけど、とりあえず「名前て変わることあるの?!」ていう驚きは覚えてる。
私はお人形遊びやおままごとより、仮面ライダーごっこに興じる子供だった。
しかも微妙に女子らしく「ショッカーに掴まっちゃうヒロイン役」も、しかし「助けに行ってショッカーと戦うライダー」にもなりたい欲望丸出しなヤツであったため、割りと孤立してた(のではないかと思う。めんどくさいじゃん、そんなやつ)。
保育園時代は本当にひとりで柵に括りつけられる演技をしたり、「とぅーっ!」とか助けに来たり、空気と戦ってた記憶がうっすらあるし。
(結構悲しくてヤバい過去を明かしてないか、私は?)
でまあ、とにかく外でそうやって男子と混ざって暴れ回っており、だいたいこばやし君がそれに付き合って遊んでくれたんだ。あとニコニコしていい感じだったような気がする。
妄想癖はありつつも一応しっかりしていたので(多分)、自閉症(多分)の男の子の面倒も任されていたんだけど、公園でそうやって時間も我も忘れて遊んでいたまさにその時はその子が一緒だったか、または公園内でひとり遊びしてたか、その記憶はない。
でもちゃんと家に送ってから帰ってたのでなんか責任は果たしてたはず。行方不明なったとかそういうおおごとなら流石に覚えてるだろ(多分)。
そんな荒くれ者の私に「バレンタインデー」などという女子的発想を植え付けたのは、絶対母しかいない。
母はお人形が好きでミーハー女子な人だったからだ(まだ生きてる)。
日本では、1958年ころから流行した[2]。ただし、その内容は日本独自の発展を遂げたものとなっている。戦前に来日した外国人によって一部行われ、第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられたが、日本社会に定着したのは、1970年代後半であった。
(中略)
1970年代は日本の資本主義がほぼ完成し、成熟した消費社会になった時期とも重なる。バレンタインデーにチョコレートを贈るというのは、小学校高学年から高校生までの学生層から広まったという。
wikipediaより抜粋
おおう、
要するに70年代前半小学生低学年の私、バレンタインデー黎明期じゃないの!!
もちろん買ったのはこれ。
もちろん?
だってwikiにはバレンタインチョコ考案はメリーチョコレート説、モロゾフ説、森永製菓説、伊勢丹説ほかさまざまあるけど、実家の目の前の商店街にあるパン屋さんではこれしか買えなかったんだもの。
今は1枚税込87円だそうです。
当時は30円くらいだったんじゃないかと。5円や10円でアイスキャンデーが買えたんだもんね。なんならチョコレートはぜいたく品だったのかもしれない。
仮面ライダーごっこ終了後、夕暮れの公園で「渡したいものが!」と特に包みもなしにこれを差し出した。(一応もじもじしてた記憶)
こばやし君は一瞬首を傾げたものの受け取るやいなや、赤い外袋をバリバリと破きバリバリと豪快に食べてしまった。
寒かったので硬かったんだろうな、乾いた音を立てて食べるこばやし君の乾いたカサカサの手を見つつ「そういうもんか?」と思っていた。
なんでしょう、渡すことに何の意味があるかくらいは分かってたと思う、もじもじしたくらいなので。
普通にいっつも一緒に遊んでくれてたこばやし君を好きだったのは間違いないし。
言ったらなんだけど、その頃遊んでた男子も女子もこばやし君以外記憶がない。仲良しの女の子がいたと母はたまに名前も出して言うけど、さっぱり覚えてない。
そもそもライダーやら戦隊モノ遊びに付き合う女子はいなかった。いなかったよ…(涙)
もともと幼少期の記憶が少なくて、学校行事もアルバムが残ってるから「動物園行ったんだなー」ていう程度。
あとは近所の幼馴染の年上の女子がものすごく意地悪とかズルするヤツだったのは覚えてる。今となっては母の近所に住んで、親の見守りと同時に私の母にまで気を配って親身になってくれてるらしい。
Tえちゃん、いつも母がお世話になりまして、ありがとうございます。はい。
あ。
こばやし君、
私がバレンタインチョコレートを渡した初めての人。
夕暮れの公園でハートチョコレートを受け取ってバリバリ食べてくれた人。
彼にしてみたら「お!チョコレートくれんの?ラッキー!」だったのかもしれない。
私、時代の先端を母に突き飛ばされて目を瞑って走って(落下して)たんだろうな…
ちなみにwikiには大戦後、来日した外国人が持ち込んだ風習ともある。
チョコレートなんて日本人には「進駐軍に『ギブミーチョコレート!』とまとわりつく」みたいな屈辱的な記憶が残ってる時代からほんの?それともやっと30年?という時代。
モノクロの思い出。たくましい日本の背景を思う…
真面目に終わらせてみた。
映画「マリアンヌ」
髭をサッパリ剃ったブラピ。
七三分けのツヤ髪ブラピ。
取り乱した時にはらりと前髪が落ちる美しいブラピ。
良い映画だ!!!
腕利きスパイ、なにかと動揺が表情に出るし、おどおどするし、お前ダイジョーブか?とな。
ブラピやからダイジョーブなんですけどね。
と言うのが最初に出て来た感想です。
なんですけど。
戦争映画>悲恋映画
私にはどうしても、土台戦時下のお話。
舞台も背景もみな戦争であるということから目を避けられず辛かったです。
あとリアルで斜め前のおっさんが盛大にイビキかいてて。
ついつい眉間の皺がまたより深く…。
そこー!!責任とって!!!
イギリスロンドンでは、あの戦争中に盛大なホームパーティを、しかももうご近所さんとか迷惑ちゃうんかというどんちゃん騒ぎをするという、
日本との意識の差というか、結構呆然としてしまったなぁ。
フィルムっぽさというフィルターなのか、ちょっと昔のカラー映画みたいな質感の画質で趣があったな。
赤ちゃんがキューピーちゃんみたいに愛らしくて、マリオン・コティアールのコケティッシュな衣装とかもステキ。
という感じの備忘録でした。
だいたい映画鑑賞後は思い付いたことをささっとツイートしておいて、ブログを書いている内にあれこれ考えが広がったりするんだけど、この作品はツイート以外の事はあまりなくて。
あんまり深く考えさせる映画ではなくて、男女の情熱に浮かされるように観てた様な、そんな感じでした。
フランス語ね。フランス語。うぃ〜…
ま、無敵のスパイはやっぱり007だよねぇ…
(イーサン・ハントもまあいいよ?)
あ。
邦題に違和感ありまして。
原題「Allied」を翻訳アプリかけて。
うおおおおん。これだからぁ…でした。これはあかんやつでしたねぇ。
※追記20170817
長編映画の初4Kはこれだそうだよ!一見の価値あり!